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セルフエフィカシーの対人関係学的理解と功罪 ダメな人を好きになってしまう原因 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

自己効力感 self-efficacy
オリジナルの概念とは少し違うのですが、
対人関係学もこの概念に注目しています。

対人関係学は、人間の社会病理の要因として、
その人が、その人の帰属する群れから排除されるかもしれない
という予期不安をもつことが、
交感神経を活性化させてしまい
焦燥感が強まり、判断力や推察力が鈍り、
ヒューマンエラーを発生させたり、
犯罪や離婚、自死につながると主張しています。

要は、自分が失敗するだけでなく、
群れの他の構成員が自分に対して
仲間として扱わない態度を認識すると
不安でたまらなくなるということなのですが。

これは勘違いでも起きます。
逆に、自分は尊重されているという勘違いで、
人間は、精神的安定を保てるということにもなります。
自分勝手な思い込みと言いますか。

この思い込みの際たるものが、
「自分は、他人の役に立っている」ということです。
自分は、ろくに家にも帰らず働いて、
給料を渡しているということや
会社で評価されているということから
家族の役に立っているはずだという思い込みをもって、
安心しているわけです。

役に立っているから、仲間から外されないだろうという
実にわかりやすい構造です。
但し、これは、自覚や意識があるわけではありません。
無意識に、遺伝子的に、
役に立っているという認識が
人を安心させるというか、
不安を抱かせないわけです。

思い込みと言ってしまうと、
実はそうではないということにつながりやすいのですが、
中には、自分勝手に頑張ってしまって、
もっと家にいてほしい、家族のだんらんがほしい
という要求を無視していて
家族から仲間として認識されなくなってきている
お父さんたち(私も含めて)が
結構いらっしゃいます。

大抵の離婚の出発点は
そういうところにあるわけです。

セルフエフィカシーが、周囲の価値観と調和しているとき
本当にその人だけでなく、群れ全体が幸福になります。
相手も、自分のためにありがとうということで、
愛されているという実感が抱けます。
仲間として尊重されていると思うわけです。

これが、例えば、封建制度の道徳観が
体制の中で共有されているときは
大変うまく事が運びます。

ところが価値観が多元化してしまうと
じつは、そのことが、相手を圧迫することが出てきていしまいます。

先ほどの夫婦の例もそうです。

夫婦の価値観を道徳とか、法律、合理性、功利性という
対人関係の外部に求めることは
価値観の多様性のある現代では
ミスマッチの原因となります。

お互いが言葉でこうしてほしいということを
冷静に希望を述べるということが大事になります。

ところで、対人関係学的な意味のセルフエフィカシーは、
第三者的に困った事態を引き起こします。

女性に多いと思われていますが、男性にも実は多くて、
どうしようもない人に振り回される人に、
このセルフエフィカシーが関与していることがあります。

どうしようもない人
例えば、すぐに暴力をふるう人、
極端にわがままで、相手の心を踏みにじる人
「なんであんたは、そこまでつくすのよ!」
という事例に、このセルフエフィカシーの構造が
関与しているようです。

そういう人と付き合うからか、もともとか、
自分に自信がない人が犠牲になります。
養育環境で、あまり褒められたり、
失敗や未熟な点を受け入れられたことがなく、
些細な失敗を極端に叱責されて育った人
常に、否定評価だけがなされた人とか、

失職するなどして生活能力がないと思っている人
うつ病で、誰かの世話にならないと生活できない人、

このように自己肯定感が少ない人、
要するに自分の価値に自信が持てない人が、
自分が世話をすることのできる相手
自分が支えることができる相手
自分を頼ってくれる相手
を無条件で助けようとする意識を持ってしまうのです。

一言で言って
「あの人は私がいなければだめなのよ」
ということは、
「私はあの人を助けないの生きていけないのよ」
ということと同じ意味ということになります。

対人関係学的に言えば、
他人の役に立っているという思い込みが、
セルフエフィカシーを持ってしまう
そうすると、
どんなに迫害されようと
そこから逃れてしまうことは
自分の価値を放棄することになってしまうので、
自分を解放することができないのです。

それは、死ぬことに近い、
生きることの放棄ということになってしまいます。

DVということで、
支援者の価値観で別離を進めることがあると思いますが、
うまくゆかないのは、そういうDV被害者の心理を
理解していないからです。

身体生命の損害に対しては寄り添えても
その人の人間性に寄り添えていないということになります。

またそういう人が、当事者が迷惑をしても
かまわず喜ばれない援助を続けるのも
セルフエフィカシーが関与しているということになります。
自分は(本当は自分の価値観、自分の認識できる範囲で)
正しいことをやっている(暴力はいけない)
この当事者の役に立っている
だからどんどん働きかけようというわけです。


セルフエフィカシーには良いところもあります。
おそらく、ロールプレイング療法なども
セルフエフィカシーが関与しているでしょうが、

もっと積極的に、うつ病治療、引きこもり治療に
活用されるべきだと思っています。

これまでの精神医療やカウンセリングの多くは
セラピストの患者に対する施しで、
患者は、思い違いを直されるだけではなかったでしょうか。

もっと、患者自身のセルフエフィカシーを活性化させるべきです。
どうしても、一方通行でうつ病者を見ていると
自力で生活することが難しく、
一方的な援助が必要な人だと思いこんでしまいます。

ところが、うつ病者同士の中では、
それぞれ個性はありますが、
相手を助けようという気持ちがわいてきます。

自分が受け入れられているという実感が持てる環境の中では、
むしろ多弁になる傾向があります。
相手の役に立とうという気持ちは、
かなり、積極的な思考や行動を起こさせます。

いつそれをやるかは問題ですが、
治療効果が上がった後でしょうか。

おそらく、治療が成功しているのに
行動が改善しないというのは、
ちょうど
骨折は治っても筋肉が衰えているので
うまく歩けないということと同じなのではないかと思います。

筋肉の部分がセルフエフィカシーです。
治療というよりもリハビリですね。




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