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「村八分」から見たいじめと心のケアの本質及び道徳と文明と歴史の前進の落とし穴 [故事、ことわざ、熟語対人関係学]

「村八分」という言葉がある。
村の総意で、秩序逸脱者の家に対する制裁であり、
共同して絶交するという形で
村にいながらにして排除されるものである。

「八分」というのは、
絶交はするが、火事と葬儀の時だけは
絶交を解いて助け合うという意味からきているという。

残りの八分とは、
成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行
とされる。

二分の絶交を解く理由は、
消火活動を助けないと類焼するからということと
死者の腐敗から臭いや伝染病の危険があるから
といわれているようだ。

この理由に対する違和感と
村八分という精神的負荷を与える行為が、
いじめの本質を表していることにふと思い当たり、
少し考えてみた。

先ず、
いじめの本質について、

おそらく、
全部で10あるうち2だけ絶交を解くので八分
という言い方は、何らかのこじつけであろうと思われる。
8個は何でもよいのだと思う。

要は、お祝い事や困りごとは、
村で共同で祝ったり助け合ったりする
その輪の中から排除するというところに本質があるからである。

慶びごとがあるのに誰も一緒にお祝いしてくれない
これは、精神的追放を強く感じることである。
実際に困って、誰かに助けを求めたいときに
誰も手を差し伸べてくれない
ということも同じように苦しい。

いじめとは、あるいは職場のモラルハラスメントとは、
何もない時に起こる
目に見えた嫌がらせ(作為のいじめ)、
だけではなく、
いじめているように見えないけれど、
当然仲間なら共同行動をしてくれるはずの時に
それをしない嫌がらせ(不作為のいじめ)
もあり、
いじめの本質が、
コミュニティーからの排除の意思表示にある
ということが村八分ではわかりやすく示されている。

では、なぜ2つの出来事では絶交を解くのか。

先ず類焼を防ぐということに疑問がある。
舞台は江戸時代の農村部である。
これが確かに都市部の商工労働者の住宅であれば、
近隣の建物と密集しているので、
類焼を防ぐことは必要だが、
農村部は、隣家ともかなりの距離があり、
山林に類焼がある可能性はあるとしても、
住宅への類焼は
それほど一般的ではなかったはずだ。

加えて、ホースすらない時代に
消火活動をどうやって行っていたのか。
特に類焼を防ぐためには、
火元の付近の家を壊すことしかなかったはずだ。

私は、消火活動について絶交を解くのではなく、
火事の後のいわゆる火事見舞いについて、
要するに家屋焼失後の後処理について、
絶交を解いて共同作業を行う
ということではないかと考えている。

次に死者の腐敗臭や伝染病についても
隣家との間隔が離れていることを前提に考えると、
あまり説得力はない。

また、埋葬ならば、
当時は土葬であることも考えると、
それほど共同作業の物理的必要性が高いとは思われない。
すくなくとも、それだけで絶交を解くとは思えないのだ。

ここで、日本には「人が死んだら罪を水に流す」
という思想があり、これを理由として上げる人もいる。
それは、なかなか魅力的な考えだ。

但し、実際は村八分は、
「家」単位で行われていて、
罪を犯した人ではなく、
その親が死ぬ場合も
即ち、もともと罪を犯していない人が死んで
罪を犯した人が生き残っている場合もあり、
この場合でも絶交を解くという理由が少し苦しくなると思う。


私が考える2分の理由は、
端的に、喪失感に対する精神的手当だと思う。
今はやりの言葉で言えば、心のケアである。
但し、それは、
焼失後の最低限度の家庭再建
埋葬から葬儀までの最低限の行為を
共同で行うことであり、
それ自体が心のケアなのだと思う。

心のケアとは何をするべきなのか
という本質がまず示されている。
一言でいえば
その人にとってのコミュニティー機能の回復であり
その本質は共同作業である。

さらに、家族の死亡や火災による家屋の焼失による
人間の喪失感は、
どのような罪を犯した人間に対しても
手当てされるべきだという
当時の「常識」が垣間見ることができる。

もう一つ、
どんな罪を犯した人間でも
家族がかばうことが当たり前だということが
家族ぐるみで絶交されることの本質だ
という側面を見逃すことはできない。

そうだとすると、
罪びとに対する制裁の気持ちが強くても
その家族に対する制裁の気持ちは、
時とともに和らぐのだろうということが考えられる。

そうだとすると、そうだとすると、
人が死んだとき、火事の時、
せめてそういう時は、
力になりたいという感情も
あり得る話なのだと思う。

但し、実際の村八分も
村八分という言葉も
このような二分の絶交解除という理性的な対応ではなかったようだ。
江戸時代についてはよくわからないが
特に戦後の事件については、そのような印象がある。

例外のない排除ということと受け止められていると思う。
もしかしたら、それが自然の感情なのかもしれない。

だから、二分の絶交解除という制度を
誰がどのようにして作ったのか
大変興味がある。

この言葉が確認されているのは
幕末らしい。

村八分という概念は江戸時代に生まれた可能性がある。
そうだとすると、
私は、苛烈になりやすい村の排除に対して、
武士が宗教の力を借りて
排除の感情をすり替えた可能性があるのではないかと
感じている。

そうだとすると、
村八分という陰惨な風習を表す言葉が、
全国的に流通している理由も説明がつく。

武士という制度自体が公務員であり、
その後の明治維新のプロパガンダで
不当な攻撃をされているが、
実際は、道徳を確保していた側面がある。

仙台では四谷用水という開放式の用水路があり、
街を流れる用水路は清流として利用された。
どこかで述べようと思うが、
それは神社やお寺を利用して清流を確保し、
足軽より上の武家屋敷の間に本流を通すことで
水質を監理していた。
そして、年に二回の川底の掃除など
徹底していた。

江戸時代が終わり廃藩置県によって
清流は失われた。

道徳といっても理念的な規範ではなく、
江戸時代は生活を支えていたのである。

死によって罪を水に流すというのは、
仏教を言い訳に利用したのだと思う。

家族の死や自宅の焼失という喪失感を
放置しないことで、
八分にされた家族の破れかぶれの行動を防止し、
あまりにもかわいそうな家族を目の当たりにすることで
住民たちの心がすさむことを防止し、
共同体機能を回復させていくことで、
農業労働者、生産地を疲弊させない
という機能を経験的に必要としていた
と考えている。

それを道徳とか「常識」とかといって
武士の強制力をもって実現していた
可能性は無いだろうか。

また、庶民も
その常識を受け入れるインテリジェンスがあったのだと思う。

ギリギリの理性が
道徳を軽視する勢力によって取り除かれ
村八分という言葉が形骸化され、
全面排除と同義になったのではないかと
にらんでいる。

封建制度が崩壊したのは
歴史の前進なのかもしれません。
しかし、歴史の前進は、
すべてが正しく合理的であるとは限らない
ということを考えるべきだと思うのです。
それは当たり前のことだと思います。

不合理が是正される側面と同時に
それまで、合理性があって意識的に大切にされていたことが、
無意識に脱落している可能性もあることを見逃さないことが
大切であると思います。

それが新しい体制と矛盾しないのであれば、
理性的にそれを取り込んでいくことが
人間関係の営みの点で必要なことだと常に感じています。

そうでなければ、
歴史が進むにつれて、
人間の感情や、当たり前の心が
失われていく危険があることになってしまいます。

現在、パワーハラスメントやいじめ
趣味の集団や地域で
二分すらないような集団的な排除が行われているように
感じてなりません。
昔当たり前だった人の心が
ないがしろにされている原因が、
文明そのものにあるということも視野に入れて
問題に対処するべきなのでしょう。




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