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手を離した方が母親だ 大岡裁きの意味するものと その人情もなくした文明未開の日本での戦略 [故事、ことわざ、熟語対人関係学]

大岡裁きで、
一人の子どもをめぐって、二人の女性が
「自分こそ母親だ」と譲らず、
ついに南町奉行所でお裁きを受けることになった。

奉行大岡忠相は二人の女性に対して
子どもの両手を持ち引っ張ることを命じた。

一人の女性が痛がる子どもがかわいそうで
腕を離したところ、
大岡は、
そちらを母親と決めた。

わが子の痛みをかわいそうだと思う方が母親だ
という理由であった。


これはもちろんフィクションで、
南町奉行といえば
県警本部長と高等裁判所の長官を兼職するような
典型的な官僚であり、管理職なので、 
滅多なことで自ら現場に出ることはなく、
そもそも親子確認の訴えなんて事件は
受理さえされなかったでしょう。

庶民の願望が現れたものとみるべきです。

では、どうして、このようなストーリーを
生み出した人がいて、受け容れる人がいたのでしょうか。

先ず、第1に、現代との間隔が違うのは親子関係というものです。

どこまで真実性が追及されるかということですが、
一言でいうと、
「そんなのわからないよ」
という意識が最終的には支配的でした。

日本の民法も、実は、
分からないことにこだわるよりも
さっさと決めた方が子どものため
という思想があります。
嫡出子推定制度や
嫡出否認の訴えが、ぐずぐずしていると
提出できなくなるという制度などが
そういう考えの元現行法で定められています。

さらに江戸時代になると
名づけの親とか、拾い親とか
とにかく親をたくさん作って
みんなで子どもを育てるということが当たり前でした。

だから、今ほど、
血縁関係を厳密に(ヒステリックに)考えていたわけではない
ということをまず背景事情として押さえておく必要があると思います。

次に出てくるのは、
では、親として一番重大な資質とは何か
ということです。

子どもが痛がってもその痛みを気にしないで引っ張り続ける。

こういうことは実は世間でよくあることです。
子どもが真実の母親の元にいることが幸せだ
ということが独り歩きして、
親の言うとおりにすることが子どもの幸せだということになり、
親のエゴを子どもに押し付けて
子どもが苦しんでいても手当てをしない
といえば、心当たりがあると思います。

この大岡裁きは、
結局、
子どもが一緒ににいると幸せになる人
あるいは、
子どもを自分のエゴで苦しめない人
それが親だというメッセージだと思うのです。

実はこういう話は世界各地にあるようで、
有名なソロモン王の裁きでは、
子どもを切り裂いて二人に半分ずつ与えよと命じ
私はいらないから生きたまま相手に渡してくださいと
懇願した女性に子どもを渡したという話もあります。

親が、子どもに執着するあまり
子どもが悲鳴を上げていることに気が付かない
ということが、
世界的に存在する問題の所在なのでしょう。

私が多く扱っている事件が
まさに子の取り合いの事件です。
しかも、真実の親どうしの取り合いです。

親どうしが離婚をしても
子どもと親の関係は死んでも続きます。
それにもかかわらず、
親の離婚が一方の親と子どもの
いわゆる子別れにつながってしまうということが
21世紀になっても日本では続いています。

他国と比べて子どものための法制度の整備
ということが著しく遅れていることにも原因があります。

離婚後は一方の親だけが法定代理権や監護権を持つ
という制度は、
一方の家に子どもを遺し
追放された親の干渉を遮断するという
封建的な観念の元
どの国もそういう制度でした。

ところが先進国、お隣の韓国など
このような不合理な制度を改めているうえ、
共同親権がスムーズに進むように
行政サービスや司法サービスを充実させています。

日本は全くの野放しどころか、
子別れを行政が促進しているという
子どもを大切しない野蛮な国として
世界から注目を浴びているところなのです。

さて、
日本の大岡裁きは、現在も受け継がれているのでしょうか、
日本の裁判所では、そういう扱いは少数といってよいでしょう。
どこまでもどこまでも、子どもの腕を引っ張り続ける親が
親権をとるという図式になることが多数です。

このことについて次回お話ししたいと思います。
一番の問題は、
そのような引っ張り続ける母親であっても
「子どもは母親のところにいなければかわいそうだ」
という思い込みがあるようです。

今子供の腕を引っ張り続けているのは
母親だけでなく、奉行所までが加担している
という状況です。
文明もなければ人情もない
荒れ果てた祖国の心象風景に立ち会っている思いです。

しかし、私の経験では、
大岡裁きは、現代においてもなお存続しているし、
それが悲劇的な形になって現れるということです。

ほかならぬ子どもたちは、
自分がもう一人の親と自由に会えないことに
疑問を持ちだしています。
最近は、子どもたちがもう一人の親の方に
逃げ帰っているということが
身近でも起き出しています。

なぜ逃げかえるのかというと、
一つは、別居親の悪口を言われることがいたたまれないこと
(当たり前のことですが、自分の悪口に聞こえてきます)
一つは、兄弟間の差別
一つは、また親子みんなで暮らしたいという気持ちを
実現してくれそうなのは別居親の方だ
という意識が多いようです。

今、わが子に会えなくなって
落胆している親御さんがたくさんいらっしゃいます。
できることは、
針の穴を通すような難しい作業ですが、

自分が子どもがかわいそうだから、
自分のエゴをひっこめるという作業をして、
それを子どもたちに伝える作業をすることです。

相手親と一緒にいる子どもたちを責めていないし
褒めてあげる。
一緒にいる親の悪口を子どもたちに伝えない。

一緒になって腕を引っ張り続ける構図を
早く上から見下ろすことができるようになり、
止める。
譲歩をしながら、
最終的な子どもとの信頼関係をどのように作っていくか
そういう戦略になるのだと思います。

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ひろみ

はじめまして。
読ませていただきまして、涙が止まりませんでした。

私は昨年、二年半もの離婚裁判の末、離婚しました。
モラハラで苦労していた私を見かねた、実の父が、夫に話をしたいと申し出たことで、夫は怖くなり子どもたちを連れ出し、私を追い出しました。翌日娘を連れて行こうと抱き上げた時に義母が引っ張り 娘が痛がるので手を放してしまいました。それから一年以上、子どもたちと接触させてもらえず、私を担当して下さった弁護士の先生が、この「大岡裁き」を出して裁判官に訴えて下さいましたが、親権はとれず、今は娘と月一回の面会と電話交流を行っています。ですが、長男とはまだ一度も 面会交流も電話も出来ず、プレゼントも拒絶されています。

今は こちらで読ませて頂いたように、自分のエゴを引っ込め、娘には元夫を褒めて 元夫にも 子どもを育ててくれている事に感謝の手紙を送っています。
今は、子どもの心を大切に、
子どもが「お父さんもお母さんも どっちもいい人」だと思えるように、努めています。

ありがとうございました。
子どもを連れてこれなかった母親というのは、なかなか肩身が狭くて、理解してくださる言葉はとてもありがたいです。

ありがとうございました。
by ひろみ (2017-07-11 13:13) 

ドイホー

コメントを読んで驚きました。今私が担当している事件と瓜二つだからです。もっともっと、大勢の人たちで話し合う必要があると感じました。
by ドイホー (2017-07-12 09:54) 

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