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対人関係学の人間観 カウンセリングのX理論(本来怠け者論)とY理論(人間信頼論)によせて (「カウンセリングの話」シリーズ1) [進化心理学、生理学、対人関係学]



私が司法試験に合格して、試験勉強以外の本を読むことを解禁して最初に読みだしたのが平木典子先生の「カウンセリングの話 増補」(朝日新聞社)です。何度か繰り返して読む本の最初の本となりました。今回何度目かの読み返しをしてみて、改めて勉強になりましたので、メモを残すことにしました。

先ずは、カウンセリングの人間観のX理論とY理論についてです。
X理論とは、人間怠け者論であり、人間は本来、仕事とか精神労働が嫌いであり、責任は取りたがらず、できるだけ楽しようとする自己中心的な存在だという人間観です。

Y理論とは、人間信頼論であり、人間は本性的に働くことが好きであり、遊びや休息と労働は同じものであるという人間観です。

ここで平木先生が、カウンセリングはY理論の人間観に立つと明言されていることから、何度もこの本を読むことになったのかもしれません。この前読んだ時もそうですが、何度読んでも感動した箇所でした。

現在は、全く考えが変わりました。と言っても、X理論が正しいと考えるようになったというわけではないのです。
「人間の本性」という不同なものがあるような考え方自体に賛同できなくなりました。人間のこころは環境に大きく影響されるものだということを考えるようになったわけです。

対人関係学の考え方は以下のとおりです。
人間が、自分が仲間だと感じる他者と人間関係を形成している場合、仲間のために働こうとか、仲間のためになる活動に喜びを感じて、生き生きと働くし、考えるし、どんな結果になっても人生をかけて寄り添っていくという考えです。

しかし、自分が孤立しているとか、虐げられているとか、幸せになる展望を持てない場合は、自分から進んで働こうとしないし、怠けて楽をしようと思うものだということです。

もっとも、子どもは、大人からの恩恵を受けようとする傾向にあることはやむを得ず、X理論的な行動傾向になってしまうという発達上の問題もあるだろうとも考えています。

人間が心を持ち始めた200万年前の狩猟採集時代は、他人と言えば全員が一緒に助け合って暮らしていた群れの仲間ですから、人間信頼論が妥当していたと思います。現在では、他人が自分の敵だということは大いにありうることで、このような心が壊れる原因となっていると考えます(環境と心のミスマッチ)。

X理論とY理論、対人関係学は、実践的にも違いが生まれてきます。
労務管理では、X理論に立つと、人間は怠けがちなので、報酬で誘導したり、懲罰でけん制したりしてともかく働かせなければならないという方向に向かいます。
労務管理のY理論はよくわかりません。
対人関係学は、職場が仲間であるという実感を持てることにより、より個々人のパフォーマンスが発揮できるようになり、生産性が上がるということに力点を置くようになります。

X理論の労務管理の弱点は、働くモチベーションが窮屈であり、失点を防ぐことを志向してしまい、言われた行動しかしなくなる。実際の結果よりも、上司の評価の方を気にして抜け駆けをする、職場が殺伐になるというところにあります。この点に留意する必要があるわけです。

対人関係学の労務管理理論は、人間関係論という労務管理論を理屈づけしたものです。個々人の帰属感をどのように高めるかということがカギになります。報酬や懲罰が全くないというわけにもいかないので、程度の問題となるかもしれません。

また仕事の内容に応じて出し入れをする必要がありそうですね。

刑罰理論でも古代中国の論争でも、このようなX理論とY理論の対立がありました。荀子の性悪説と孟子の性善説が対立して、人間とは無秩序に向かうものであるため法律で厳しく制限をしなければならないという性悪説の思想で法律が作られた時代があったわけです。

この二元論的な考え方は私達にも浸透していて、何か犯罪とか虐待とかという出来事があると、刑罰を厳格化して、刑罰の威嚇をもって犯罪を抑止する、警察の権限を強化して虐待を防止するという考え方になっているわけです。

これに対して対人関係学は、人間は自分が仲間だと思える他者と継続的に関係が構築されていれば犯罪や虐待は起きにくくなるということで、対人関係の在り方を改善していくことが最大の予防だという考え方になるわけです。

但し、対人関係学は、性善説に立ち切っているわけではなく、人間の本来的な心が複雑な人間関係の中に適合していないために、犯罪やいさかいなどの不具合を起こす原因が現代社会には常に存在しているという認識を持っています。放っておいても大丈夫というような考え方ではありません。

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