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自殺対策の特効薬地域のきずな、人情長屋をなぜ面倒くさいと感じるのか、自問自答 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

自殺対策の特効薬は、
人間や家族を孤立させず、
その人やその家族の問題点を、生活の中で、
共同で考えて、対策を講じていく、
具体的な例が人情長屋である。
なんてことをこれまでお話してきました。

夫婦の問題にまで、お節介なおかみさんが入ってきて、
悩みを聞き出し、亭主に意見を言ったりする。
子供のいじめがあれば、誰かから聞き出して
いじめているこの親に直談判する。
職場の親方に文句を言ったりもする。

まあ、これが現代にすんなりスライドさせることはできないでしょうが、
地域コミュニティーが一つの回答ではないかと思っているわけです。

(もっとも、自殺を人権ととらえる場合には、
国家こそ、自殺に追い込まれない政策を行わなければならないし、
そうでなければ、国家の体をなさないという視点は、
どこかにきちんと持っていなければなりませんが・・・)

私の子供の頃、今から40年くらいまでは、
地域コミュニティーの残骸があったように思います。
隣近所という言葉もあったし、
おすそ分けなんていう言葉もあったように思います。
引っ越しても、前のご近所さんが遊びに来たりということもありました。
確かに、それなりに、相談したり相談されたり、
ということもあったと思います。

だけど、今はどうでしょう。
マンションという、自分の頭の上にも足の下にも人が住んでいますが、
同じフロアの人たちの名前どころか、顔もよくわからない人もいたりして、
職業さえもわかりません。

そして、私自身、町内会の行事にはほとんど参加せず、
参加しようとも思わないのです。
面倒くさいのです。

でも、何かの拍子でうっかり参加して、
それでもせいぜい30人くらいでしょうか。
オヤジどうしで一杯やると、
そのあとは、ご近所ですから、
道で会うとあいさつをするくらいのことはやるわけです。
結構、それだけで、いい感じで、苦にはなりません。
でも、それ以上ということも無いのです。

一つは、食わず嫌いみたいなことがあって、
なんか悪い方、わずらわしいことばかり考えて、
良い方は、ちょっと思いつかない。
だったら、家族でつるんでいたほうがいいかと思うのか。

そもそも、町内会の行事ったって、
年に1回かその位だろうから、
ご近所づき合いする的が無い。

マンションだけで100人以上いるのだから、
ご近所づきあいといってもキリが無い。

いつまでもそこにいるわけではなく、
構成人員が入れ替わる。
(といっても、10年住んでいるなあ)

マンションの住人から、
多重債務やDVの相談を受けても
どうしたらいいかわからない。

あるいは、昔の隣近所というのは、
年寄りや専業主婦が中心で、
そういう人が家族にいない
ということも、大きな理由かもしれません。

40年前に比べて、職業を持つ女性は増えているように思います。
女性が能力を発揮する場ができたという側面もあるのでしょうけれど、
女性も働かなければ家族が生活できないという側面もあり、
男性でもいいですが、
家事ということが、その分軽く扱われているように思えてもきます。

地域コミュニティーの復活は、
40年前の復活ではなく、
何らか、新しいスタイルのものを、意図的に構築することが
求められるのだろうと思います。

この点、思考がこれ以上まとまりません。
ただ、自分自身が、他人との継続的な付き合いということを
面倒くさく考えている
このことを自覚することからはじめれば、
自分自身の分析をすれば答えがある程度期待できるという
利点にも気がつくので、いいかもしれない。

私はボランティアや近所づきあいが苦手。
これも、カミングアウト?





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