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修習生からの問いかけ、なぜ自殺予防、精神疾患事件に取り組むかにどうこたえるか [自死(自殺)・不明死、葛藤]

私の担当する修習生ではなく、
別の修習生から、私に話を聞きたいという
オファーがはいった。

どうして、精神疾患に絡む事件や
自殺予防に取り組むか、
その理由を聞きたいらしい。

気軽に了承したが、
これは、きちんと対応しなければならないと、
実は緊張している。

修習生という大事な時期の方々に対して、
茶化したり、交わしたりすることもできない。
また、過剰な演出をして、
変な影響を与えてもいけない。

とにかく直球ど真ん中な質問であり、
私が修習生の時に、
このような着眼点で、
弁護士に尋ねてみようと思ったことがあっただろうか。

こちらも襟を正し、答えようと思っている。
また、自分にとっても、
ちょうどよい機会のような気がする。

とっさに思いついたキーワードは、
総決算、自然な流れ、無くなった人とともに
ということだが、
うまく説明できない。
こういうときは、時系列を確認することが、、
一番の早道だと思う。

+++++

さかのぼればキリがないので、
本来は弁護士になってからの話をしたいけれど、
やはり、大きな影響を与えられたのは、
過労死弁護団と細倉じん肺弁護団で、
これらは、実は修習生の時から、
いや、実は両方ともその前から関わりがあった。

過労死弁護団についてはつい先日記事にしたので、
私の記憶が鮮明だということで、今日は割愛。

細倉じん肺弁護団については、
これも1回の記事では終わらないので、
また別の機会にお話しするとして、

肺が医師になる医学的な過程を突き詰めたことと
じん肺に罹患した鉱山の男たちの苦しみについて
徹底的に事情聴取をした経験、
そのお話を聞いた人たちが死んでゆく経験が、
今の私の源流になっていることは
間違いないと思う。

*****

弁護士になって、すぐに、
妻からの離婚の相談で、
夫が働くなったという訴えが相次いだ。
うつ病と言う知識がどこかにあって、
妻に、うつ病という知識を理解してもらい、
解決につなげたかったが、
いずれも離婚という結論は変わらなかった。
当事者にしてみればやむを得ない話である。

結構前からうつ病に関する事件
特に離婚事件と精神疾患は
継続して担当していた。
そううつ病の夫に振り回される
家族からの訴えにも取り組んだ。

また自殺事件も割と早い時期に担当した。
会社の社長が保険金目当てに自殺をした事例である。
ところがその保険の受取人は、
家族ではなく、会社に入ってしまった。

まだ当時は、団体生命保険(団体定期保険)についての
全国的な取り組みも始まっていない時期で、
手探りで始めた事件だったが、
遺族にとっては、夫が自殺しただけでなく、
保険金も会社に入るということと、
色々な人間関係があり、
大変混乱されていた。
その混乱を真正面から受け止めてしまい、
私も精神的にかなり疲弊してしまった事件だった。

当時所属していた大先輩に、
見かねて事件を引き取っていただいた。

事務所を独立して、最初に手掛けた過労自殺の事件は、
大学を卒業して1年たたないで、
過酷な長時間労働と、
社会経験の無い者に対しての過酷なノルマ、
指導もせずに、だめだしばかりを果てしなく繰り返す上司という
過酷な職場環境での自殺が
労働災害と認められ、
女性の自殺がはじめて労働災害と認められた事件となった。

そこまではよかったが、
民事事件で、関係会社が、示談に応じなかったことから、
遺族がおこってしまい、
私との連絡もたってしまったということがあり、
この点も消化不良の原因となっていた。

*****

以上をまとめると、
うつ、自殺事件というのは、
私にとって、積み残しが果てしなくある事件
ということになるようだ。
一つ一つの事件で、やり残しが必ずある、
何か、もっと酔い解決方法を提示できたのではないか
ということが、
特に強く心に残る事件ばかりだったように思う。

これらは、弁護士人生のかなり早い段階にあり、
今にして思うと、困難な側面も強いと思う。
今担当しても、本当に、もっと違う解決方法が
あったのかについても、自信があるわけではない。

ただ、積み残し、宿題を片付けていないという
そういう気持ちがあることは間違いない。

これが一つの源流となっている。

無くなった人と一緒にということでは、
数年前に、裁判で公務災害が確定した
私の小学校から高等学校までの友人の
中学校教師の自殺事件の時に
はっきり感じた。

彼のお子さんに、真実を説明しなければならないという
使命感が強く出てきて、
事件の調査に取り組んだのだけれど、
お前から話してくれという
彼の声と言うか私選を何度も強く感じた。

もしかしたら、オカルト的に聞こえるかもしれないし、
過剰なパフォーマンスに聞こえるかもしれないけれど、
小学校から高校まで一緒だったやつなので、
私は、当たり前のことと、自然に受け止めている。

今でも、時々助けてもらっているような
そんな気がすることが、時々ある。

そういう視点で、
事件に取り組んでいると、
案外解決のヒントが見えてくることがあり、
最近の解決事例につながっているように
思える。

*****

事件をやっていて、
やはり思うのは、
本当は救えた命だったのではないかという
やりきれない思いということになる。

もっと、人の命の弱さを
みんながわかっていれば、

もっと自分でもどうしようもない精神状態と、
治療によってその危険を回避できる
可能性があるということが
常識のように知識が普及していれば、
こんなやりきれない思いが
あちこちに怒らなくて済むはずだという
気持ちになってしまう。

遺族の悲しみ、つらさ、
亡くなった人の後悔に立ち会っている
私が、その予防行為に
関わらないわけにはいかない。

****

ここまで書いていて、
自分がやっていることが、
特別なことではないような気が、
自然なことのように改めて
思えてきた。

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