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遺伝子と病気予防まではよいけれど、遺伝子で職業を決めることはいかがなものか [事務所生活]

「こころ」は遺伝子でどこまで決まるのか
―パーソナルゲノム時代の脳科学
(NHK出版新書) [新書] 宮川 剛 (著)

読みながら驚きまくっていました。
わずかの間にここまできたのかと。

遺伝子と病気との関係が
どんどん明らかになって行っているそうです。

遺伝子を解析すれば、
どんな病気にかかりやすいかがわかる
ということになります。

遺伝子を提出すると、
どんな型の遺伝子か、
どんな病気になりやすいかという
レポートを出してくれる
会社もあるそうです。

病気の中には、
例えば統合失調症のように
精神的な疾患もなりやすい遺伝子があり、
ある程度性格傾向もわかるというのです。

ここまでは、即ち新書の話までは
素直にびっくりし、感動もしました。
お勧めの一冊です。

問題はここからです。

本を読んで驚いて妻に報告したら、
なんと妻の話では、
中国?では、
遺伝子を解析して、
向いている職業やスポーツなどを教えてくれる
何かがあるという週刊誌ネタがあったそうです。

一番効率的に
職業を決めるとのことです。

さすがに、そこまでは、どうなのだろうか?
一瞬科学的に聞こえるけど、
本当だろうか?

例えば、弁護士なんて、
どういう人が向いていると言えるのか、
誰かが決められるのだろうか。

また
色んなタイプの人がいていいように思います。
私のタイプの弁護士はそれほどいないかもしれないし。
最近少数派を感じることが多いので・・・

また、何のために職業を選ぶのか、
それによっても異なると思います。

弁護士にしても、
それで、少数者の為に貢献したいのか、
社会正義の実現に貢献したいのか、
金儲けをしたいのか、
私のようにすべてほどほどやりたいのか。

それによっても向き不向きは違うと思います。

あなたはこの職業が向いているよと、
幼児の時に決められた人生は
楽しいでしょうか?
(遺伝子は一生変わらないそうです)

そもそも、遺伝子のほうだって
それほど確かな解析ができるのでしょうか。

病気だって、かかりやすいということであって、
必ずかかるというわけではありません。
あくまでも確率の問題です。

先の新書にもその旨指摘はされています。

私は、人間の構造は、
案外大雑把であり、
案外周到であるという印象をもっています。

一つ一つの構造は、あんがいぶっきらぼうで、
ぜい弱性を抱えているのですが、
必ず、別のそれをフォローする仕組みがあって、
つじつまを合わせているという印象です。

例えば交通事故などで、
脳の神経のパーツが壊れて、
それが再生がされない場合でも、
他の神経が発達してフォローするとか、

眠りや覚醒の仕組みでも、
一つのメカニズムではなく、
いくつかのメカニズムが複合して機能し、
特定のメカニズムを他のメカニズムがフォローするとか、

私の場合、
転んで右手を骨折したけれど、
左手で箸が上手に使えるようになった
・・・これは食欲の問題ですか?

自然界でも、
スギ花粉が花粉症を引き起こすけれど、
むしろ森の中に行って良くなったという経験があり、
森にはスギ花粉をだす杉と
杉花粉の弊害を疎外する者を出す何かが
あるのではないかと
そんなことを思っているのですが・・・

要するに
病気にかかりやすい遺伝子があれば、
病気をかかりにくくする遺伝子もあるのではないか
と単純に言えばそういうことをいいたいのです。

また、人間の性格ですが、
私は、社会の中で、
要するに他人との関係で
性格の発現が行われるという
側面があるのではないかと
言いがかりをつけたいのです。

たった一人で生きているなら
そこで、その人の性格は
あまり意味のあるものではないでしょう。

職場や家族や
他の人たちがいて、
その人たちとの関係で、
性格というのは意味を持ってくるように思います。

そして、天国もコンディション、地獄もコンディションです。

自分のコンディション、周囲のコンディション、
それらが組み合わさって、
自分の心というものがあるはずです。

例えば、先ず、
怒りを起こしやすい遺伝子もあれば
怒りを抑える別の遺伝子もあるのではないでしょうか。

そして、それぞれの遺伝子は、
おそらく社会性を前提として
群れの中にいることを前提として
形成されているものだと思うのです。

そうだとすれば
他者との関係で、
怒りを出しやすくなったり、
群れの誰かが怒りを出したら
自分は引っ込めるという
そういう関係性の中で
発現したり、抑制されたりする
性質があるのではないかということです。

また、それぞれの遺伝子は交配されて
複雑になっていると思うのです。

遺伝子を解析し、病気を予防する
ということは素晴らしい科学の成果だと思います。

しかし、遺伝子を決定的要因として、
個人に対して何らかの評価をするのは、
少なくとも現段階では非科学的だし、
極めて危険なことだと思います。

自分の幸せを自分で割り切るのはいいでしょう。
賢い生き方だと思います。
他人の幸せを、他人が割り切るというのは、
人間の命に対する冒とくのような気がするのは
いかがでしょうか。


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