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ブラック企業の理想の社員となる人間のつくり方。(学校教育編) 長文注意です。 [労災事件]

長すぎると思います。時間の余裕のあるときにご覧下さい。


1 企業の理想の社員とは
 上司には常にイエス。働くことを嫌がらない。
 必要があれば徹夜をしても作業を続ける。
 休日も出勤して就労するが、出勤簿やタイムカードに記録を残さない。
 残業割増賃金は請求しない。
 自ら危険業務、人の嫌がる作業を率先して行う。
 取引相手については、自分が嫌われても会社のためにゴリゴリ無理を通す。
 法律よりも、会社の利益を重視する。
 そして、他の労働者を監視し、自分と同じような思考を持たせようとする。
 自分が嫌がることを部下に押しつけて育てる。
 会社で、労働者の人数が多過ぎるなと思えば、部下をパワハラをしていびり出す。
 自分から辞めるように上手に仕向ける。

 家族よりも会社の仕事を優先する。
 家に帰っても仕事を続け、翌日の準備を行う。
 家のことに関心を向けない。
 家族サービスをするくらいなら、睡眠をとる。
 家族が自分を見放して、家庭がなくなっても、
 会社で働いていれば、給料をもらえる。死ぬことはない。
 「ものを考える」とは、会社の利益を考えることであるが、
 自分で会社のために何をしたらよいかということを独自に考えることはいけない。
 上司や経営者は自分に何をして欲しいだろうか、
 何を求めているのかという発想こそが正しい。
 自分がその要請に応えられないなら、どうやって自分を変えていくか
 という考えこそがまっとうである。
 会社が社会にどのように貢献するかなどと考えることは有害である。
 それなら、言われたことを一生懸命やるほうがいい。
 マニュアルに忠実に行動するべきだ。
 過労死する人間は、弱い人間だ。象徴的な脱落にほかならない。
 同僚こそがライバルだ。

2 教育の重要性
  このような社員を作るためには、一朝一夕では無理だ。
 人間は、自分を守る仕組みが有り、
 生理的な限界を超えると判断した場合は逃げ出すことをすることが通常だからだ。
 そんな弱い人間が、次から次から社会に出てくれば、
  日本はダメになる。企業にニートがあふれることになる。
  
  カエルも、一度に70度のお湯に入れれば、反射的に逃げ出す。
  しかし、最初に30度のお湯に入れても、平気な顔をしている。
  この温度になれれば、50度のお湯もそれほど抵抗を示さなくなる。
  そして、徐々に温度を上げていけば、
  70度、80度のお湯に触っても抵抗を示さない。
  多くのカエルは抵抗を示さず死んでしまう。
  しかし、生き残るカエルもいる。
  そのような強靭な精神力を持った労働者は、
  意識的に作り出さなければならない。これこそ教育である。
  学校のうちから、少しずつ、厳しいグローバル環境に
  なじませていくことこそが、教育の使命である。
  活力ある日本を作るのか、世界から取り残されるのかは、
  学校教育こそが決め手となっている。
3 学校前教育
  子どもが子どもらしく、発見や知識の習得に喜ぶようではいけない。
  自然に触れ合うなんて、衛生的にも良くないし、情緒的にも誤っている。
  子どもに任せるのではなく、親や専門機関に管理させることが必要だ。
  幼稚園受験や小学校受験、早期教育によって、がっちり管理する必要がある。
  知識習得は、この時期に開花する。
  国家の名前や電車の名前など無駄な記憶を子どもに習得させず、
  漢字や英語、数学や理科、社会の基礎を徹底的に叩き込むべきである。
  この時期に、徹底的に管理をすることによって、
  誰かの言うことを聞くことによって得られる
  評価される喜びを感じさせることが、幼児教育である。
  くれぐれも自分の頭で考えるという作業をさせてはいけない。
  親は、子どもの時間をしっかり管理し、
  頑張ることに喜びを見つけるようにしてあげよう。
  子どもが自分で自分の身を守ろうと考えさせることはもってのほかである。
  赤ん坊と同様に、母親がしっかり管理させるということは安全確実である。
  常に誰かから守られ、誰かから評価されることに喜びを見出させよう。

4 学校教育
  多少のいじめがあっても教師は放置するべきだ。
  いじめられる子は所詮社会の役にたたない。
  「合わない人間関係」は付きものである。
 
  大人は、子どもに大丈夫かと聞けば良い。
  自死する直前まで、子どもは、どんなにいじめられても
  大丈夫ですと答えるからだ。
  できればそれを職員室で言わせて、ほかの教師に証人になってもらおう。
  本人が教師の介入を望んでいなかったのだから、教師とすればなすすべはない。
  
  子どもが考えを育てていくのは、中学校の頃だ。
  中学校の頃に余計な思考をさせてはいけない。
  時間を潰さなければならない。
  学校が始まる前に、朝の部活動練習をさせ、
  学校では多少眠くても、身柄を拘束していれば、
  非行に走って、学校の対面を汚すことはない。
  授業が終わっても、部活動をさせる。
  クタクタにして家に帰せば、
  余計な遊びもしたいという気持ちもなくなるだろう。
  ストレス発散といえば、思春期の子を持つ親には殺し文句である。

  部活動終了後は、塾に通わせる。
  夜中に家に帰っても考える時間は与えない。
  スマートフォンを持たせて、ラインなどをさせて、
  眠るまで無意味な時間を過ごさせる。
  家庭との結びつきは極力絶とう。
  将来、長時間労働や休日労働、単身赴任をしても
  精神的にへっちゃらな大人にしよう。

  睡眠時間が短くなると、自分で考えるという能力が著しく低下する。
  そうすると、声の大きい者に従おうとすることはよく分かられている。
  
  一人ひとりの個性を尊重するなどと甘えたことを言っていたら、
  子どもたちは、社会の荒波に飲み込まれてドロップアウトをする。
  
  子どもたちには、将来的な不安を植え付けなければならない。
  はみ出してしまうと、正社員にはなれない。
  正社員になれなければ、老人になってから国民年金で暮らさなければならない。
  そうならないためには、自分が誰に評価されなければならないか、
  大人しくするということが自分を守るということであり、
  大人しくするということは、自分の担任の言うことに従うということである。
  
  子どもたちに余計なことを考えさせないで、
  与えられた作業をいかに完璧にこなすか、
  何が出題者の意図なのかということを的確に考えさせる指導こそが大事である。
  ただ、指示待ちの子どもでは情けないし、社会の役にたたない。
  上司がどう指示するかということを自分で考えて、
  みずから率先して行動しなければ人間としては情けない。
  その時、余計なことを考えさせるのではなく、
  正解を探ろうとする思考態度を確立してあげよう。
  真理を探究させてはならない。正解をうかがうことが正しいあり方だ。
  
  先ず、否定的な評価を心がける。
  子どもは満足させてしまったのでは、伸びなくなる。
  常に足りないところを見つけてあげて、叱ってあげるのが親切だ。
  常に、自分は評価されている対象であるという緊張感が
  子どもを伸ばす最大限のポイントだ。

  モチベーションなどは親や教師が持っていれば足りる。
  親や教師のモチベーションで子どもをどう行動させるかが教育である。
  大事なのは過程ではなく結果である。それが、社会の常識である。
  社会の常識を教育に取り込むこと、先取りすることが優れた教育である。
  人格の向上とは、社会適応能力の向上のことである。
  学校は工場であると心得よ。
  
  道徳とは、身勝手な考えをさせないということだ。
  利己的であってはならない。常に、誰か恩のある人のため、
  家庭では親、社会では教師の言うことを素直に従う、
  疑問を持たない、自分の限界を越えようとする姿勢が大切である。
  友達同士の助け合いなど、未熟な子どものやることではない。
  
  教室が荒れるということは、精神的に問題のある子どもがいるせいだ。
  家庭環境も影響している。いじめがあれば早期に隔離をして、
  真面目な子供たちに迷惑をかけないようにしよう。
  精神的な問題はスクールカウンセラーの領域であり、
  教師が踏み込んではいけない。
  適切な治療、投薬による無抵抗化という科学的な解決を目指すしかない。
  今の向精神薬は、副作用がないから安心してどんどん使おう。

  ただ、注意を要することがある。小さい時から親の言うことを聞き、
  熱心に学習する優秀な子どもに対して、
  環境が恵まれない子どもは嫉妬心を起こすということだ。
  優秀な子どもが、そうではない子どもに、
  ちょっかいを出すということはありえない。
  優秀な生徒からいじめられたという申告は、思い違いであると心得よ。
  なお、多少、そのような問題があったとしても、
  子どもなのだから、仕方がない。
  優秀な子どもたちが、社会に巣立つために、教師は防波堤になろう。
  
   部活動を進学に結びつける工夫は賞賛されるべきである。
   部活動で県大会の上位に入ったならば、受験資格を与える
   ということは、素晴らしい工夫である。
   こうすれば、部活動を、家庭学習よりも優先させる口実になる。
   安心して、余計な勉強をさせないで済む。
   素直な子ども、考える前に行動する子ども、
   こういう素晴らしい子どもほど、よりよい学校に進学し、
   社会に貢献してもらおう。そういう社会の仕組みを大人が作るべきである。

5 教師の心得は、子どもに、働き方を指し示すこと
  教師の働く姿は子どもたちは見ている。
  朝早く、夜遅くまで部活動に付き合う。
  専門的指導はできないのだから、時間をかけるしかない。
  よその学校もどうせ一緒だ。
  それで、疲労骨折やストレスが溜まったとしても、仕方がない。
  部活動で上位に行くためには多少の犠牲がないわけがない。
  土曜日も、日曜日も、特に何もしなくても学校という職場に出てくる姿を見せよう。
  
  家族とは、心でつながっていれば足りる。
  そういう生き方を子どもたちに示そう。
  親はなくても子は育つ。
  自分の子どもが多少曲がっても、
  教え子を健全に成長させることが社会人であることを教えてあげよう。
  自分の子どもに問題が生まれても、持って生まれた運命か、
  子どもの学校の責任だと教えよう。世の中持ちつ持たれつだ。

  夫や妻から見放されても、
  一緒にいる時間がないくらいで心が離れるのならば、
   元からそうなる運命だったと割り切り、
   結婚相手選びを慎重にするように教えよう。

   残業代も、休日賃金も受け取らないで働く
   ボランティア精神を子どもたちに示そう。
   そうすることで、子どもたちは、将来、
   会社で残業代請求をして解雇されるという
   不合理から回避することができる。
   先生だってタダ働きをしているという現実を見せよう。
   長時間労働も、タダ働きも、実際にできるんだ
   というサンプルを見せよう。
   我慢することが、将来の出世につながるということを教えてあげよう。
  
  必要なことは断らない。
  嫌なことは、自分が率先して名乗りを上げよう。
  やるべきことは、全て必要なことだ。
  時間がないことを言い訳にしない。
  立派な仕事をしているのだから、一生懸命働くことは大切なことだ。
  寝不足が続いたくらいで、体調や精神状態がおかしくなる
   なんてことはあってはならない。
   そんなやわな人間は、教師としては失格だ。
   誰かに助けを求めることは、教師としてあるまじき態度だ。
  全部自分が解決しなければならない。
  上司や同僚をあてにするなんて、社会人として失格だ。
  
  制度は変えることはできない。
  制度を変えようとするなんて、狂気の沙汰であり、
  カルト政治団体の教義と一緒だ。
  子どもを反社会カルト教団になじませてはならない。

  必要なことを受け入れなくてはならない。
  達成が困難な場合はどうするか、
  気力、根性、気合、全て振り絞って頑張る。
  精神論は大事だが、精神論だけでは非科学的だ。
  栄養ドリンクを箱買いして常備しているのが社会人だ。

  出来ること、できないことの判断は、
  平均より少し上の能力のある教師を標準とするべきだ。
  そうでなければ向上心が育たたない。
  教師なのでできて当たり前。
  今ある仕事は、代々必要があるから、伝えられていることだ。
  できないから仕事を削るということは、聖職者としてあるまじき発想だ。
  できないことを言い訳にして、子どもに申し訳ないとは思わないか。
  やったほうが良いことを、自分の都合で削るということはあってはならないことだ。
  
  その結果、子どもの顔を見る時間が少なくなったって、
  それは教師の仕事ではない。顔を見て子どもの状態が分かるならば、
  スクールカウンセラーなんていらない。
  教師ができないことをしてもらっている。
  教師は、子どもの心理の専門家ではない。踏み込んではいけない領域だ。
  
  大人は、与えられた仕事に責任感を持たなければならない。
  暴力生徒やモンスターペアレントは、
  担当者が、同僚や上司に迷惑をかけないように、
  一人で対応をやり切ることが肝心だ。
  それで、精神的に問題となるのは、
  高所からの俯瞰的な見方ができていないからだ。
  同じ対等な人間と考えるところが問題だ。
  
  多少問題があっても、学校の中で収まっていれば、
  生徒はやがて卒業する。それまで耐えて、次の人との交代を待てば良いだけだ。
  
  チームプレイとか、協力体制とか甘えたことを言っていたのでは、
  子どもたちが健全に成長しない。
  一人でやりきる姿を見せることこそが生きた教育である。
  
  教師も完全な人間ではない。同僚の欠点は、公にしよう。
  自分の良いところは、忌憚なくアピールしよう。
  同僚より自分が優れているところを説明することによってアピールすることになる。
  子どもに、正しい人間関係のあり方を教えよう。
  
  忙しすぎるなら、同僚同士、大いに嘆こうではないか。
  決して外部のものに弱音を晒してはならない。
  劣った、自分勝手なPTAや評論家に労働実態を知られてはならない。
  どこの職場も皆同じだと思って納得しよう。
 
  シンポジウムをしたり、デモンストレーションをしたりして、
  市民に訴えることは情けないことである。
  教師としてのプライドを傷つける。
  誰も、教師、特に公務員教師に同情する人なんかいない。
  誰も関心なんて持つわけがない。
  学校は、年齢の高い子どもの保育所がわりに考えているのだから。
  そういう割り切りや社会のあり方を子どもたちに教えてあげよう。
  
  問題を、みんなで解決しようなどという仲良しごっこは厳に慎もう。
  現場の人たちが、社会の中で、現状を報告し、
  他の職種から、アドバイスを受けたり、知恵を出し合うなんて
  具体的な解決策や、サボる発想が起き上がるだけだ。
  自分たちや先輩方が築いてきた、教師としての発想が壊されてしまう。
  せっかく凝り固めた考え方が揺らいでしまう。
  少しずつ、一つ一つ、人間らしい生活に向けて
  地道な改良を重ねていこうなんて、夢見がちな人間の言うことだ。


  一人ひとりの限界の突破の集団化こそが、問題の解決である。
  決められた制度を守らない姿を子どもたちに見せることは、
  非行を賞賛しているようなものだ。
  タバコを吸いたい、酒を飲みたいからといって、
  法律を変えようとする大人がいますか?
  
  世の中の厳しさを、教師がわが身をもって示すことによって、
  教え子を理想の社員に育て上げよう。
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