SSブログ

累積100万件達成記念 対人関係学概論 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

対人関係学という言葉がやたら刷り込まれているのですが、
大体こういうことということで紹介させていただきます。

1 対人関係学の目的
  どんな世の中でも、恐慌下でも、ファシズム下でも、戦時下にあっても、人間として生まれてきて良かったという体験をしながら生活するという、したたかに生きるための実務的学問です。 現在においては、自死予防、いじめ、パワハラ、クレーマー、依存症の予防、家族の再生等が大きな目的となります。

2 対人関係学の思考の出発点
  先ず、「生きる」ということについて、哲学的な把握ではなく、あくまでも生物学的な把握から出発します。動物(念頭においてわかりやすいのは哺乳類)は、「寝ている状態が 基本なのか起きて活動している状態が基本なのか」という問題で、寝ていることが基本であり、必要があるから起きて活動しなければならないのだというところから出発します。
  では、どのような必要があって、起きて活動をするのでしょうか。大事なことは、「危険を回避しながら食料を調達する」ということだと考えます。その他にも、住みかを安全なものに維持、改良するということや、繁殖の相手を見つけて子孫を増やすという目的もあるのですが、それらは当面割愛します。
  そして、「食料調達」よりも「危険回避」に着目します。食料は、極端な話をすれば、後で調達すればよいのですが、危険は存在したら直ちに解しなければなりません。少なくとも哺乳類全般に、危険回避のメカニズムがあるはずです。

3 危険回避システム(交感神経の活性)
  対人関係学の出発点が、危険回避のメカニズムの理解です。
  これは、第1に「交感神経を活性化させて、逃げたり戦ったりするシステム」です。血圧や脈拍が増加し、体温が上昇し、血流が筋肉に多く向かうようになります。危険から逃げたり、戦ったりするための筋肉動作システムです。
  第2に、血液の凝固因子が増加し、傷つく前から、傷口をふさぐ準備をします。
  第3に、余計なことを考えなくなる、脳の機能の一部停止ないし低下です。怒りや逃避に集中するため、危険が回避されるまで怒りや逃避に歯止めをかけようとする思考を起こさせないようにします。危険か危険で無いかという単純化された思考が優位になります。
  第4に、一度体験した危険を記憶し、危険に近づかないようにする記憶のシステムも重要な危険回避システムです。

4 危険回避と人間
  人間は他の動物と比べて危険回避能力がいかにも中途半端です。
  武器となる爪や牙、体重がありません。逃げるための、卓越した走力もありませんし、持久力もない、分厚い皮膚もない。そこそこのものは持っているのですが、決め手がありません。
  このため、人間は、集団化するようになりました。集団化すれば、多角度からの反撃が可能となり、力も増えるために、攻撃力が強い動物も、よほどの事情がなければ襲いづらいという利点があります。
  このような人間の特質は、サルから分化して数百万年、人間が成立して20万年とも言われますが、その中で自然淘汰される形で発達していきます。即ち、「他者と協調して群れを形成することができる人たち」の末裔だけが生き残って、そのような能力のない人たちは、猛獣や飢えで絶えていったと見ることができます。

5 集団化を実現できた人間の脳力
  これは、複雑な思考、特に、現在起きていない派生効果を推論する能力に長けている、つまりそのような機能をつかさどる脳の発達があったことが前提条件でした。その続きを考える推論する力といってもよいでしょう。
  この力があったため、集団から追放されるようなことをしようとしない傾向があり、しようとすると危険を感じるという仕組みを発揮することができました。
  この力は、火力などの危険物を扱うための前提条件でもあります。この力のない他の動物は、例えば火は、危険なものであるという認識しか持てません。危険を回避するために近づかないのです。しかし、この力があるため、人間は二極的思考をせずに、どのように扱えば危険が回避できるかを把握し、記憶し、危険をコントロールして、危険からもたらされる利益を享受してきました。これこそが人間を他の動物と区別する一つの指標となるものだと思います。
  この力をつかさどっているのが、大脳前頭前野腹内側部であるとされています。このことはダマシオの二次の情動概念などで見いだされたものです。対人関係学は、これは、危険回避システムだと主張するところが独自のものだと思います。

6 集団化と人間だけが著明に感じる危険
  集団を形成する方法は、集団から離れる、離れされそうになると不安になるというシステムです。これを現代的に見ると、自分が集団から排除されそうになると危険を感じて、自分の行動を修正しようとするシステムです。
  自分の行動で修正ができるならばよいのですが、集団の他の構成員の行動から危険を感じる場合が、現代では多いようです。
  他の構成員からの言動というのは、自分が集団の中での「役割を否定される」。「不平等な使いを受けている」等、仲間として尊重されていないと感じると、危険として不安になるわけです。
  不安ないしストレスとはなにかというと、身体生命の危険を回避するシステムがそのまま作動してしる状態ということになります。要するに交感神経の活性化です。走って逃げるわけでも、戦うわけでもないのだから、その必要もないにもかかわらず、筋肉動作システムが働き、思考が二極化し、怒りを収めることが自発的にはできなくなるということになります。

7 対人関係学の対象
  すべての対人関係に起因する不都合が研究対象です。犯罪も、多重債務も、依存症も、離婚も、クレーマーやいじめ、そして自死これらの現象を分析し、予防方法を確立することがその目的です。
  そして、それらを予防するとは、たとえば現状の人間関係がそのままでいじめの統計数字だけがなくそうとしても無理であり、人を追い込む対人関係から人と人が助け合う対人関係を形成することが、その根本解決であると考えています。
  このブログでは、これらの基本的な考え方(対人関係学の立場)から、様々な対人関係上の不具合及び本来の在り方を検討してきました。
  現在の病理的な社会現象は、対人関係の不具合から発生していると考えます。人間は、たとえドライな人間関係を志向しているように見えても、20万年ないし数百万年の遺伝子の旅を経て現代にあるわけですから、実は潜在的に、他者との協調を求めています。そのことに通常は気が付きませんが、他者から尊重されないことがあると、疎外感という不快な感情を抱いてしまうという形で、遺伝子が伝えた人間らしさが目を覚ましてしまうのです。これが、現代の様々な病理を発生させている原因です。それだけ、現代の社会が、本来人間が持っている本能的要求を抑圧したいびつな形になっているということだと思います。人が人を追い込むことを嫌悪されない、むしろ当たり前とされる社会になっているのだと思います。
  ただ、このような人間の特質が正しいというのであれば、対人関係の状態の改善によって、人間の力をよりよく発揮することができるはずです。傷ついた心を癒し、生きていくことの意欲、力を取り戻す方法となるのでしょう。人と人とが助け合う、そのことによって、すべての人がより充実した生活、生まれてきて良かったといえる生活を送る。その大きな目標の到達との途中で、人を人として尊重しない社会病理が、その結果生まれてしまう社会病理が解決されていくものと考えています。
  
  対人関係学へようこそ!

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0