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真の連れ去り防止は、安心して楽しい夫婦の生活を作ること。夫の妻に対する言動の間違いリスト 女性は男性に比べて夫婦関係について原因がないのに不安を感じやすいという仮説に基づいて考えてみた。男女は決して対等平等ではない。 [家事]



できれば前回の記事と合わせてお読みいただくと何を言っているのか理解しやすくなると思います。

前回は、離婚は、というか子どもを連れて突然の行方をくらます形の別居は、一つ二つの直近の夫の行動が原因ではなく、それまでに夫が原因とは限らない原因で離婚に踏み切りやすい精神状態(離婚飽和状態)が妻に生まれていて、些細な夫の言動をトリガー(きっかけ)として起きるのだということ、そのために連れ去り別居を防ぐためには離婚飽和状態を作らないことが肝心だということを述べていました。

一つは夫の日常の言動が、他の精神的問題や他の人間関係上生じていた不安と相まって、離婚飽和状態の形成に一役買う場合もある、もう一つはいつもと同じ言動が離婚飽和状態になった後ではトリガーになるということでした。

何をすると離婚飽和状態になる方向に向かい、あるいはトリガーになるのかということを予め検討しておくと、その言動をしないことができます。しかし、それがわからないと、日常の言動が知らないうちに連れ去り別居に近づけている危険があるため、これまでの実務経験からできるだけ具体的に問題のある夫の言動をあぶりだそうというのが今日の記事です。

まず、夫の言動がどうして離婚飽和状態を形成するのかということです。
妻は、夫の言動の積み重ねによって、「自分のことが自分で決められない」という不自由感、非拘束感を抱くようです。さらには、自分に対する評価が低いこと等から、「自分は夫婦という人間関係に安住できないのではないか」という不安感を抱くようです。これらの感情を起こさせる事情が継続してしまうと、不安感、閉塞感、解決不能感を感じるようになってしまい、とにかくこの不安などから解放されたいという気持ちが形成されてゆき、解放されるなら何でもよいやと言う気持ちになってしまい、思いついた行動を抑制することができなくなってしまうということが起きるようです。

夫の言動が、妻から見れば、「自分が対等の仲間として扱われていない」、「仲間として尊重されていない」という感覚を与え続けてしまうということにまとめられると思います。

=離婚飽和状態を形成する夫の言動リスト=
<それ自体が直ちに危険な言動>
・ 離婚、別れる、終わり、出て行けという発言
・ 子どもや第三者の前で体面を傷つけること、不貞
・ もちろん暴力、特に妻にとって理由が理解できない暴力
・ 妻が危機的な状態にあるのに救済せずに放置すること
・ 逃げ場のない状態に追い込むこと

<継続すると危険な言動>
・ 家庭内のことの決定システムについて、妻の感情よりも、合理性や損得を優先してしまうこと(妻の意思決定の否定)
・ 妻の感情よりも、自分の体裁を優先してしまうこと
・ 妻や子よりも、自分の公的な関係を優先してしまうこと
・ 妻の感情よりも、社会的ルール、正義感を優先させること(最終的に社会的ルールを優先することよりも、妻の感情を即時否定すること)
・ 妻の言動に対して、肯定を表明しないこと

<危険な言動をしてしまう夫の誤謬>
・ けんかにおいては夫婦は対等・平等だ 
・ 同じことを相手もしているので、こちらもしてもよい
・ 妻が原因を作っての反撃には再反撃できないはず
・ こちらに原因が無い場合には、妻が自分に不機嫌な様子を見せてはらなない
・ 家庭の中でも不合理な提案は却下されるべき 合理的な案が優先されるべき
・ 家庭の中でも感情よりも合理性や正しさが優先されるべき
・ 男子たるもの妻の機嫌を取ることは情けない

=解説=
<それ自体が直ちに危険な言動>
直ちに危険な言動がどうして危険なのかについては特に解説する必要はないと思います。逆に言うと、こういう言動が、仲間として尊重していない言動の典型であって、人間としては耐えられない言動だということです。

特に暴力については、その場で直ちに恐怖がみられるだけでなく、何年か後になって実はその影響が持続していたことがわかり、本人すら自覚がないうちに精神状態が悪化していたということがあります。夫の言動だけで精神悪化が生まれたか否かは不明としか言いようがないのですが、その暴力が無ければ不可解な精神症状は生まれなかったはずだと感じられる事例をいくつか担当しています。

そして、何らかの妻の先行行為に問題があって、夫の感情の爆発が予想される場合は、身構えますし、因果関係がわかるのでまだよいのですが、妻からすると「どうしてここで暴力を受ける。」という理解不能な場合には、防ぎようがない暴力を受けたという無意識のレベルでの学習をするようで、夫に対してむやみやたらに警戒するようになってしまうようです。こうなると夫の実力以上に夫に対する恐怖感や不快感、嫌悪感が生まれやすくなるようです。

この類型の言動があれば、離婚飽和状態が十分に形成されていなくても、離婚に踏み切るトリガーになりやすいようです。また、一つ一つの出来事が、直ちに離婚原因として主張されることが多いです。

自分の窮地を救わない、放置されるという離婚原因は、東日本大震災の際にみられました。地震の時に一緒にいなかったということそれ自体が不信感の原因になるようですし、家族であれ、友人であれ、自分以外の人間の面倒を夫が見ていたという事情が、やや病的なまでの離婚飽和状態の形成の原因にもなりました。

<継続すると危険な言動><危険な言動をしてしまう夫の誤謬>のセット解説

1 職場の価値観を家庭に持ち込まない(合理性優先は家庭には当てはまらない)
  このことに男女差があるのかないのかわかりませんが、現状は男性側の問題として多く気になっています。企業の中の価値観を家庭に持ち込んでいるのです。極端なことを言えば、「話し合いは結論を出すためのツールであって無駄話はしてはならない。」みたいなことを言い出したら、夫婦は崩壊するというか、家族という意味合いが無くなります。おそらくこれは賛同いただけるのではないかと思います。
 それから、費用を切り詰める方法があるにもかかわらず、だらだらと不合理な行動をすることは不道徳の極みだとでも言わんばかりに、妻の行動を批判しだす夫も多いです。それでどのくらいの金額が削減できるのかわかりませんが、妻がストレスを抱くようになって、勝手に高額のランチに行ったりすれば元も子もありません。まあ、それは冗談ですが、結局、それがそんなに重要なことなのか理解できない場合は、どうして自分の行動が否定されたのか理解できません。そうすると、自分は何をやってよいのか悪いのかわからなくなってしまうのです。これ自体が不自由感を抱くことであり、こういうことが継続すると支配されているような感覚になっていくようです。
 どうでもよいと割り切れるところは、相手を否定しないということを意識するべきです。夫婦再生を目指していて、割と妻の精神状態に理解のある人でも、妻側の出してきた計算書について、計算方法や項目の挙げ方に目くじらを立てる人がいるのです。私はその人のそれまでの妻に対する寛容な態度とは異質なものですから、「この点をある程度鷹揚に考えることができるならばあまり細かいことを言わないほうが妻にとっては圧迫感を感じないよ」と言い、「もしかしたらお仕事の関係で無意識に合理性やルールを優先してしまっているのではないですか」と尋ねたところ、はたと気が付いて、「そこは、指摘しなくてもよいです。」というやり取りが普通にあります。特に、お金の関係する業種、職種の人に多いです。一種の洗脳されている状態ですから、次に別の出来事があっても同じ思考傾向を持ってしまいます。また私も同じやり取りをしないとなりません。これは大変恐ろしいことだと思いました。
 とにかく、目の前の損をしないために全力を挙げる人が多く、そのために将来的に大きなものを失うことになるということを考えない人がほとんどのようです。私がここで偉そうなことを言うのは、自分がきちんとできているというのではなく、そういう離婚事例をたくさん見ているからです。

2 任せたことは否定評価しない。(男子厨房に入らず)
 だいぶ前にこのブログで述べたのですが、戦前の男子は出された食事に文句を言わないとか男子厨房に入らないとか戒めを以て、調理を任せた人を尊重したものだとお話ししました。これは別に調理に限定した話ではなく、夫婦で役割分担をした以上、相手のすることに文句をつけないということがその意味するところです。
 いまだに地方の中小企業(役所を含む)なんかは「ほうれんそう」をありがたがって唱えていますが、それは労務コンサルの立場から言わせてもらえば、企業活動の縮小にしかつながりかねない重大なデメリットを持っているのです。
 この習慣が家庭に持ち込まれているのかもしれませんね。
 いずれにしても他人に対するコーチングというのはノウハウと寛容の心が必要であり、安易なダメ出しはパワハラにしかなりません。それはご自分も職場で嫌になるほど経験していることだと思います。

3 妻を最も大切な人間として最大限の尊重と尊敬を示すこと
  間違っても、「私の愚妻です。」なんてことを他人の前で言ってはいけませんよ。現在は平等、民主主義の世の中にかわったからです。昔これが違和感なく受け止められていたのは、夫と妻の関係ではなく、夫と相手の人間関係が平等ではなく、経済外的に相手に服従する(悪く言えば)人間関係だったからです。
それから、家で男子厨房に入らず等、戦前の男子は女子に対して最大限の配慮を示し、子どもの前で尊敬を示して見せていたからです。今はその信頼関係もないのですから、普段尊敬を示していないくせに、妻を貶めるようなことをよそで言っては瞬時に離婚飽和状態を形成してしまいます。
 なお、現代日本は、家族が孤立しているというこれまでにない家族形態をしています。夫の両親との同居はデメリットもありましたがメリットもありました。例えば夫が家に帰らないで、公的な活動を優先したとしても、家の中で話し相手や夫の悪口を共に言い合う仲間というか、妻の淋しさに共感を寄せる相手もいたわけです。しかし、現代の孤立過程においては、一方が家庭をかえりみない場合は、もう一方は子どもの世話をしながら一人ぼっちで時間を過ごさなければなりません。現代日本では、妻を一人にすることは大変危険なことになっています。孤立感はすぐに発生しやすい状態になっていると言えるでしょう。
 仕事で帰宅が遅くなる人は少なくなっていましたが、友人関係を大切にする余り、家庭をおろそかにする人もいるようです。そこに女性がいれば妻は当然に不信感を抱きます。家庭と仕事以外の部分で、妻と共有できない時間はなるべく作らないほうが結婚を維持するという観点からは無難だと思います。
 妻がバーゲン品しか買わない、スーパーでも割引商品のワゴンに真っ先に向かうということがあっても、自分の給料が低いことを馬鹿にしていると思う必要はありません。楽しそうにしているならば、それくらいやらせてあげればよいと頭では理解しましょう。
 まあ、結婚した時、お互いに相手を最大限尊重するというようなことを言って信用させて結婚したのだから、何年かたったら期限切れなんて言うことは断固許されないということなのでしょう。

4 男女は対等平等ではない。
  実際は対等平等なのですが、心構えとしては、対等平等として考えないほうが良いという意味です。
  対等平等や正義というのは、突き詰めれば、報復の正当性の根拠となるものです。ひらったくいえば他者を攻撃する際の言い訳です。
・ 相手が自分をこういう言葉でからかったから、自分も同じ言葉でからかってよいのだとか、
・ 妻が自分に対してこういう言葉を言ったから自分は怒ったのであって、多少大声を出したり物にあたったりしたとしても妻は文句を言えないはずだとか、
なんというか、子どもじみた対等平等は考えない方が無難だということです。
例えば、「妻が夫を反射的に小突いたから自分も小突き返したのだ」ということを言う人がいます。「私が暴力をふるったのではなく、妻と対等にもみ合っただけだ。」という人もいます。まあ、実際は妻の方が手加減がきかない状態で危険な暴力をふるうことも実際には少なくないのですが、第三者との間では、このような対等の主張は通用しません。
これまでけんかにおける暴力の対等平等がありえない理由が、男女には筋肉量の格差が存在するため、そもそも対等平等の条件が無いという説明でした。しかし、離婚飽和状態の理論からすると、この理由付けは修正が必要であるようです。
 つまり、女性の方が一般に暴力による精神的ダメージ(自分が仲間として尊重されていないというショック)が深く、かつ、持続するからということが正しい理由となると思います。特に出産後の女性に対してはそうなるようです。こういう意味でも、男女は対等平等の関係にはなく、古来のレディーファーストをはじめとする女性優遇措置は、このような法則を経験的に把握していて、こうすると円満な人間関係を構築できるという人類の知恵だったということに気が付くべきでしょう。
5 妻の言動にはこまめに肯定を示す。
  離婚飽和状態形成の原因となることが女性の間ではよく知られている「肯定をしない男」ということを、男性はあまり理解していません。男性の立場からすると、自分の言動に対して相手から文句を言われないなら肯定されていると感じやすいのではないでしょうか。しかし、女性は、肯定をされなければ不安になるようです。あまり気づかれないことですが、こういうところにも男女差があるようです。
でも、そう大それた肯定が必要なわけではなく、花が飾られていたらきれいだねと言ったり、作ってくれた食事がおいしければおいしいねと言ったり、何か提案があってどうでも良いことでも「どうでも良いことだ」と言わないで、「賛成」と言っておけばよいのですからそんなに大変なことではありません。
女性は不安を感じやすいということがキーワードです。男性とはやはり違うのだと考えた方が実務的だと思います。

6 女性はこちらに理由がないときでも不機嫌にしてもよい特権がある
 対等平等だとすれば、道徳的に考えれば、こちらに原因がないのに不機嫌な態度を見せることは失礼なことだということになろうかと思います。
大体は八つ当たりと考えてよさそうですね。しかし、正論で割り切れないのが家族という人間関係だということでよいのではないでしょうか。不機嫌には理由があるのだから、理由の解消に貢献するべきだという考えの方が建設的ではないでしょうか。つまり、不安を感じてしまうと不安を解消したくなる。不安を解消するために、不機嫌な態度を示したり、相手を攻撃したりするということが、一時的に不安を感じなくて済むことなのです。女性の場合は不安を感じやすく、感情コントロールできない事情があるとするならば、これを無視して非難をしてしまうと、そこは心休まる場所ではなくなるような気がしないでしょうか。
女性は「不機嫌でわがままなことがあっても、攻撃されない」という特権があると考えた方が無難だということになりそうです。その時は気にするそぶりをするのは良いとして、本当に気にしなくても良いのです。こちらに原因はないのですから。
思うに、このような理不尽な状態を耐えるのが、古からの男性の役割だったようです。古今東西の文学作品や芸術作品はこの男性の苦悩を描いていると思います。ギリシャ神話や古事記、「源氏物語」や「竹取物語」もそのような視点で読み直すと見えてくるものもあるように思われます。アナトール・フランスの「にんじん」なんていう作品はその最たるものではないでしょうか。また、ソクラテスの妻クサンティッペ、モーツァルトの妻コンスタンツェ、トルストイの妻ソフィア等有名な悪妻は多いものです。しかし、実は悪妻ということではなく、単にしたたかさやあざとさとは無縁の女性らしい女性だったという可能性もあると私は思っています。

 最後に最も大切なことを述べます。いつも述べていることですが、こちら側も完璧を目指さないということが一番大事です。3割くらい実現すればだいぶ楽しい、安心できる家庭が生まれるのだと思います。7割失敗しても、「ああ今失敗した。」と気が付くことの方が有効だと思います。そして、失敗後のフォロー、修正能力こそ、大切なのだと感じています。

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