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仙台なのに暑くて眠れない。司法浪人の生活を東京で送っていたときのこと。 [事務所生活]

仙台なのに暑くて寝苦しい夜です。
本当は、昨日は、労災の裁判を提訴してテレビに取り上げてもらったり、
労働審判で、ぶちぎれたり、
いろいろ面白いことがあったのですが、
暑いんで、頭がまとまりません。

仙台でこんなに暑いことは記憶にありません。
20年前に東京にすんでいて、
司法試験に合格しなくて浪人して勉強をしていた時以来のことです。

いわゆるバブルのしっぽのころで、
不動産業者や銀行に
宅地建物取引主任者の試験勉強を教えに行ったり、
(まさにリクルート事件のころにリクルートに行ったり)
大学の宿直の仕事をしたり、
時にビルの建築現場で、ボードを運んだり
コンクリートをはつったりして
勉強をしていました。
親の援助も大きかったです。

安アパートにクーラーは無く、
窓を開けてしのいでいたのですが、
向かいのうちのクーラーの排気熱とモーター音にも
悩まされました。
いつも夜中の2時まで眠れませんでした。

今日は、あの時と同じ寝苦しさです。
昨日のことが、頭の中でまとまらないのに、
20年前のことがありありと思い出せるのは、
認知症とにているような気がします。

司法浪人のころの夏の夜といえば、
町内に漫画家の赤塚富士夫さんが住んでいて、
町内会の夏祭りのポスターに、
あのキャラのイラストを描いていらっしゃいました。
気さくな人柄そのままの方だったようです。
しかし、昼間っから飲んで酔っ払っている姿しか
住民は知らないので、
あまり尊敬は集めていなかったけど、
みんなから愛されていた方でした。

なぜその酒場にいったか、
まったく記憶が無いのですが、
高田馬場の地下の飲み屋で、
やたらと檄文のような字ばかりが書かれていた店で、
原爆画家の丸木のじいさんの方と
飲んでいたことがあります。
爺さんの方とは、
ご夫妻で絵をお書きになっていたという記憶で、
奥様ではなく、爺さんのほうということです。
酒場では、
学生がそのまま年だけを取ったような印象の方でした。
なにか、ずうっと説教をされていたような記憶ですが、
みんな酔っ払っているので、誰も聞いていなくて、
それでも、ニコニコと自分に言い聞かせるように
お話されていたというように記憶しています。
かなり有名な方のようでした。

夜ではないのですが、
井草を歩いていて、
銭湯の塀の角を曲がったところで、
ご夫婦連れとぶつかりそうになり、
飛びよけたところ、
よく顔を知っている人だったので、
思わず挨拶をしたところ、
国会議員で、選挙ポスターで顔を知っていただけの人でした。
かなり有名な議員さんでした。
もちろん一面識もありませんでした。
議員さんは、手を上げてニコニコと挨拶をされ、
奥様は、深々とお辞儀をされ、
一面識も無い司法浪人に、ずいぶん丁寧なご夫婦だなあと
申し訳なくなりました。
さすが、国会議員になる方は違うなと思いました。

当事宮崎事件があり、この人が同い年で、
オウムの上祐氏も同い年、
そんな事件ばかりあったので、
いい年をして毎朝仕事にも行かず、
無精ひげを伸ばしてぶらぶらしていることは、
世間の目を強烈に意識せざるを得ない状況でした。

私にとって、司法浪人のころとは、
毎日が、寝苦しい夏の夜のような日々でした。
このブログを書くようになって、
このころの夢を見ないようになったということを
以前かきましたが、
あまりにも暑い夜なので、
不思議に、記憶が、突如よみがえったようです。



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