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裁判員と弁護人の感覚のずれはどこから来るのか [刑事事件]


カテゴリーが刑事ばかりになっています。
私が弁護人をやった裁判員裁判が
11月10日に判決があり、
11月24日の終了をもって、
被告人が控訴しなかったので確定した
ということがありました。

一昨日、少年事件で死刑判決があり、
この事件は、昨年私が仙台弁護士会の
副会長の時に、
重大事件だということで、
仙台弁護士会の、3人の若手弁護士の先生に、
少年事件のエキスパートの先生ですが、
半ばボランティアで、
仙台弁護士会が弁護をお願いしたという
いきさつがあるので、
特に注目していた事件でもありました。

被疑者国選と当番弁護士で、
今日も刑事裁判があり、
病的酩酊を理由に無罪を争って
月曜日も別の事件があり、

11月は刑事事件に明け暮れました。

着目しなければならないのは、
裁判員と弁護人の間に、
裁判や事件について
感覚のずれがあるということです。

弁護士会で集団的に検討しなければ
ならないと考えています。

色々考えてみます。
第1に、その事件のことで話をするのは、
被告人、被告人の家族、
傍聴に来ていた人ですが、
話ができるのは、新聞記者くらいでしょうか。

新聞記者も事件を多く見ているせいか、
弁護人と新聞記者との間に
感覚のずれはあまり感じません。
量刑についての感想は、ほぼ一緒です。

昨日の地元新聞、河北新報の
少年に死刑判決が出た記事の
署名解説記事は、とても素晴らしく、
おそらく諸外国は、日本の裁判員裁判が
なぜこんなに死刑判決が出ている
理解できないと思いますが、
その説明資料になるくらい、
要点を突いた記事になっています。

裁判員裁判の対象事件は、
残虐な事件ばかりですが、
裁判員の方々は、
このような事件を初めて体験します。

弁護人も、
殺人事件の弁護が初めてだとしても、
これまで、いろいろなむごい事件は経験している
ということはあるでしょう。

そもそも、大抵の刑事事件は
被害者がいるわけで、
一方で理不尽な思いをした人がいるのに、
犯人を弁護しているのだから、
その感覚が身にしみついている
というところがあるのでしょう。

だけど、
はじめての弁護も、
それほど抵抗なく弁護できます。

一つには、
刑事裁判について、勉強し、
弁護人の役割を把握しているからなのでしょう。

記者もたくさん刑事裁判を見て、
鋭い感覚で、勉強されているのでしょう。

刑法を学んだときの驚きということを思い出すべきです。

黙秘権について学んだときです。
被疑者、被告人には、
事件について語らない権利があります。
なぜそのような権利があるのでしょうか。

理由の一つに、
自分の罪を語らせることは、
その人の人格を傷つけるから
強要させることは、文化国家としてできない
というものがあるのです。

我々の感覚的には、
悪いことやったんだから、
説明しなければならないだろうという
感覚があると思います。

これを学んで、正直私は驚きました。

近代以前の刑法で、黙秘権が無く、
強制的な取り調べで、
罪なき人が、嘘の自白を迫られて、
誤って罪をきせられたり、
取り調べの過程で、拷問で命をなくしたり
していた反省があるわけです。

どうも日本の学生は、
この誤判防止、拷問禁止ということで、
黙秘権を理解したがるのですが、
というか、理解できないのですが、
実際には、自白を強要すること自体、
世界水準の人権感覚では、
野蛮なことととらえられているようです。

この点、無理せず日本感覚なのが、
検察で、
国連の人権規約委員会が、
日本政府に定期報告の説明を求め、
その中で、なぜ、捜査段階で、
被疑者の取り調べで、自白をとりたがるかの
説明を特に尋ねたそうです。
この時、政府は検察官を派遣し、
説明をさせたのですが、
この時の説明が、

取り調べで自白させることによって、
被疑者が反省したという事情が出るので、
被疑者の為にも自白させている
という説明をしてしまったそうです。

自白をさせることは、
被疑者の人格を傷つけるという
国際的な感覚を
全く理解していないことが露呈されてしまい、
国連の委員たちからあきれられたそうですが、
本人は、なぜ自分の説明が受け入れられないか
ピンとこなかったとのことでした。

なんで、私が見てきたようなことを言うかというと、
実際見に行った人がいて、
その人から聞いた話を思い出したからです。

黙秘権だけでなく、
被疑者の人権を守るために、
刑事訴訟法が色々な仕組みを作っています。

それを勉強しなければ、
司法試験に合格せず、
弁護士になれません。
自然と、そのような感覚も身に着いたのでしょうか。

しかし、裁判官や検察官も
同じ勉強をしたんだよなあ。

しかも、
我々の年代では、刑事訴訟法を勉強しなくても
司法試験合格は可能だったんで(今は違います)、
刑事訴訟法をろくに勉強しないで、
弁護士になった人も半分くらいいるのですが、
あまり感覚のずれはないかもしれません。

(こういう人も、民事訴訟法は勉強して
合格しているのです。)

やはり、弁護人としての感覚なのかもしれませんね。

これは、裁判員裁判が続く限り
(本当は刑事裁判が続く限り)
検討しなければならないことなのでしょう。

そういう意味で、今日は第1弾ということで。

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