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日の丸・君が代と千人針 [事務所生活]

千人針を見たのは、つい最近
宮城県南部の白石市というところです。

白石城の城山を登り、
反対側のテニスコートの方に降りて行くと、
城山に沿って堀がめぐらされていて、
堀端を散策することができます。
木々に木札がついていて、
木の名前を知ることができることも
案外嬉しいものです。
水鳥も羽を休めて漂っていて、
隠れた名所のようです。

城山から、旧白石女子高の方に別れて、
沢端の堀端を少し歩くと、
「人形の館」という看板が見えてきます。

古民家を改造して、
昭和の人形や着物、
おもちゃや文房具などが展示してあります。
その2階に戦争当時の風俗が展示してあり、
千人針もありました。

トラの絵が書いてあるただの手拭いに、
赤い糸で、びっしり一針一針
縫いつけがある
それだけのものです。

きれいなまま保存されているので、
持主は、
激戦地域にはいかないで、
戦争が終わったのでしょう。

本当に言うならば、ただの手拭いです。
とても弾除けなんかの役に立つ代物ではありません。

おそらく、
千人針を刺した女性(ひと)も、
それをお願いした女性(ひと)も
本気でこれで弾除けになるとは
信じていなかったと思われます。
それだけ儚いほど貧弱なものです。

それでも、無事帰らんことを
本気で思っていたことが、伝わってきます。
正直、その思いが見えるように、
それだけ苦しくなるほど伝わってきました。

無意味なこととわかっていても
やらないではいられなかったという
そんな想いが伝わってきて、
胸が締め付けられるようになり、
その前から動けなくなりました。

太平洋戦争は、
軍国主義のもと行われたのでしょう。
それを否定する理由はないと思います。

ただ、
一般庶民は、
本当に、八紘一宇とか
アジアの盟主とか、
そういう精神的高揚のもと
戦地に赴いたり、送り出していたのでしょうか。

日の丸万歳、君が代万歳と
精神的に鼓舞されていたのでしょうか。

知覧を尋ねた時も、
天皇陛下万歳と叫んで死んだ若者はほとんどなく、
やはり母親をよんで、
死んでいったと伺いました。

戦争を二度と起こさないためには、
戦争に対する反省が必要で、
一億総ざんげとか大雑把な反省ではなく、
支配層の反省、
庶民の反省と
詳細に行う必要があるように思います。

誰に責任があり、誰が悪いのか
ということではなく、
どうして戦争が起きたのかのメカニズムを
分析しなければならないと
刑事弁護の手法からは
そういう結論になります。

弁護とは、悪くないと主張することではなく、
先ずどうしてその事件が起きたのかというところから
始まるのです。
悪くないというのではなく、
どのように悪いのか、
どうしてそういうことになったのか、
今後そうならないためにはどうするか。
です。

最近、日の丸・君が代を
そんなに攻撃しても意味がないのではないかと
思えてならないのです。

過去の過ちがあったからといっても、
私が日本人であることには変わりない。
自分の国を愛することは自然なことだし、
日本の歴史は日の丸の歴史よりはるかに
長いわけです。

過ちも愛するから「愛」なわけです。
過ちは無かったんだ、
ないことにするんだというなら、
それは、愛ではなく「好き」のレベルでしょう。

反省と自虐は全く異なります。
反省は、明るい将来に向かっての
行動指針の為の作業です。

苦手とばかり言ってられないので、
平和問題というか、
以上の観点から、
日本の弁護を試みようと
ちょっと思いついた次第です。


ちょっと思いついたついでなのですが、
一般庶民の中にあったのは、
強制された埋没志向ではないかということです。

いじめの構造によく似ているのではないか。
いじめられるターゲットがないけれど、
いじめを黙認する心理状態といいますか、
この辺をちょっと考えてみたいのです。
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