SSブログ

自分の会話の「遊び」の無さを反省する。家庭に忍び込む職場のマニュアル [事務所生活]


「遊び」と言っても、大辞林によると
5 機械の連結部分が、ぴったりと付かないで少しゆとりがあること。
  ハンドルの―
という意味に近いのです。

ブレーキをかけるとき、
例えば自転車なんか、
この遊びがなければ、
ききすぎてしまい、
うまく止まれず転んでしまうでしょう。

人間関係に、特に会話に、
この遊びが無くなっているように思います。

なかなか要件に入らないで、
遊びの会話がつづくと、
自分でもイライラする時があります。

大抵は時間が無い時です。
急いでいるので、
例えば、電話を切って別のことをしなければならず、
結論だけを言ってもらいたいのに、
なかなか結論を言わない。
イライラしてしまいます。

しかし、このイライラは正当なのだろうか。
昨日ふと思ったわけです。

この遊びの会話を意図的に排除したのが、
企業の会議などのしつけ、教育です。
会社は、仲良しサークルではなく、
結論を出すために話し合っているのだ、
結論を出すことに関係の無い話はするな、
それが社会人だと、

大学時代の友人が、
新入社員になって、誇らしげに言っていました。
その時は、なるほどと思いましたし、
仕事というのはそういうものかと
私の価値観も左右したのですが、

「遊び」という言葉を聞くたびに、
チクチク、胸に刺さっていたのです。

どうも、職場のマニュアルは、
この遊びを徹底的に排除したものになっているようです。
スマイルも、遊びではなく効率のようです。

普通の人間の行動から、
遊びを徹底的に排除していけば、
思考の中でも、
遊びを拒否していく感情が出るように思います。
遊びは非効率だ、悪だと。

普通の感覚で行動すれば、
上司から叱責されるようになります。
すると、そういう志向、思考が身についてしまい、
家庭での会話からも、遊びが無くなるのではないかと
そんな気がしてきました。

職場や家庭など、継続的人間関係の中において、
もしかしたら、
この遊びというのは、
重要な役割を果たしているのではないかという考えが
ちょっと離れられなくなっているのです。

家庭でもそうですし、
依頼者との電話応対、
事務所の事務員への対応、
不必要なまでの遊びの排除は、
むしろ弊害が生じるような気がして、
徹底的に見直しをしてみようと思います。

一番冒頭で引用した大辞林では、
5の意味が機械のことでしたが、
4の意味は、「気持ちのゆとり」
という意味だそうです。

なるほど、遊びが無くなれば、
気持ちのゆとりも感じられなくなるわけです。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0