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元派遣社員無職の男性が、東北自動車道で投石し、不特定多数人を攻撃した理由 [刑事事件]

栃木県内の東北自動車道で、
投石をして自動車のガラスなどが割られた事件で、
器物損害容疑ということで、元派遣社員の無職の男性が逮捕されました。

容疑者は、罪もなければ、恨みもない人に対して
危険極まりない行為をしました。

これから述べることは、
彼の弁護ではありません。
あくまでも予防的観点から、
こういう可能性もあるのではないかということです。

被疑者は、
今年2月に努めていた会社がつらくて仕事をやめたそうです。
その時の派遣の仕事でストレスがたまり、うっぷんを晴らしたと述べています。

平成25年、厚生労働省の調査では、
派遣社員は126万人に達し、
登録しているだけの人を含めると252万になるそうです。

同じ労働をしていても
正社員に比べて賃金が極端に低いという報告もあります。
また、解雇法理の適用がないということで、
いつ、派遣先から着られるかわ駆らないという不安もあります。

また、臨時の人 と正社員から見られて、
名前を呼ばれずに、「ハケンさん」とか、メガネとか
適当に呼ばれることもあるそうです。
何も仕事が与えられず、
ただ、正社員の陰口のために存在しているのではないか
と思いたくなるような派遣先もあります。

一言で言って、
「仲間」として見られていないことが少なくないようです。
資材と同じように見られている人材ということかもしれません。

中には、正社員がやらない危険な仕事や汚い仕事を
やらされる派遣労働者もいるみたいです。

仲間として見られていない、
人間として扱われていないという認識のしかたをすると、
人間の脳は、危険にさらされているという反応をしてしまいます。
脳は、体に指令を出し、
血圧や脈拍、体温が上昇し、
血液がドロドロになり、血流が筋肉に向いていきます。
ストレスの正体は、この脳が起こす反応です。

どんなことがつらかったのかわかりませんが、
派遣労働者は、仲間として認められていないという
そう感じる理由は、普通はあるということになりそうです。

しかも、仕事をやめるほどのストレスですから、
相当の危険を感じてしまっていたのでしょう。

これがひどい状態になると、
ストレス反応ということで、
通常感じない出来事で危険を感じるようになります。
パニックや不安障害などの精神的異常が起きることもあります。

被疑者が2月から無職だったとすると、
仕事がなかったのか、
それまでの仕事を過酷に感じていた後遺症か、
いずれにしても、ストレス=交感神経の高ぶりが慢性化していたものと思われます。

するとどうなるか
人間の特徴である、これからこういうことをしたらどういう結果になるか
という推論をする脳の機能が低下ないし停止してしまうのです。
この機能を担当しているのは目の裏にある
前頭葉前野腹内側部という脳の一部です。

その結果、これからやることが人に迷惑かかるとか、
警察に捕まるとか
普通の人が、やっぱりやめたとするきっかけが
なくなってしまうのです。

それで短絡的に、犯罪を実行してしまうことが
できるようになるわけです。

(「交感神経持続による反応群」という概念と対人関係的アプローチの提案
対人関係学のページ より
 http://www001.upp.so-net.ne.jp/taijinkankei/koukanjizokuhannougunn.pdf

でも、どうして、恨みも落ち度もない
不特定多数人を危険な目にさらすことができるのでしょうか。

それは「怒り」の構造から説明することが有効だと思います。

怒りも、危険に対する対処行動です。
自分に危険が及んでいる場合、
不安となりますが、
それを何とか解消したいと思うようになるのです。

ところが、派遣制度の不合理だったり、不景気だったり、貧困だったり、
社会から与えられた危険による不安を解消する場合、
怒りの矛先が思い浮かびません。

それでは怒らないかというとそうではありません。
むしろ、怒りの矛先はどこでもよいのです。
自分が優位に立てるのであれば、怒ることができるという関係になります。

怒りさえすれば、不安が、一時的であれ解消されます。

ヘイトスピーチも、リアルの生活上の困難さを、
外国人に対して怒りをぶつけて不安を解消している
という人が少なくないと思います。
匿名での行為というところに象徴されていると思います。

被疑者の話が本当であれば、
東北自動車道を通る自動車は、無防備な状態を
被疑者に見せていたと被疑者は感じたのでしょう。

石をぶつけて右往左往する人を見たい、
自分の行為によって人を動かしたいという
放火犯などに見られる被支配の意識から人を支配したいという
ゆがんだ願望に近い類型のように感じました。

社会は自分を守ってくれない。
社会の中で、人間としての自分が否定されている。
そういう意識の人は、
だれにでもいいから、怒りをぶつけることがあります。

もちろん悪いことです。
本当な厳しく処罰されるべきでしょう。

しかし、被害者でない私たちが考えるべきことは何でしょう。
予防だと思います。
人を大事にする風潮、働いても不安にさいなまれるような
劣悪な雇用条件を一つずつ無くしていくことが
危険の芽を摘むことだと思います。
自分や自分の家族に被害が及ばないことを考えるべきです。

これに対して厳罰はあまり効果がありません。
なにせ、交感神経が慢性的に高ぶっているので、
刑務所行くからやめようというきっかけがないのです。
そういうことを考える脳の機能が停止ないし低下しているのです。

誰でも働いていたらつらいことがある。
という通常のつらさは、昭和の話です。
昭和の時から、会社も、学校もつらさの程度がけた違いだし、
辛さに耐えられない人が増えているのではないでしょうか。

そういう時、こうあるべきだという正しさだけを主張することは、
予防の観点から、まるで無力だということを考えるべきです。

正しさを唱えていれば安心できる社会ではない
ということを真正面から認めて、
予防のためにできることを真剣に考えるべきだと思います

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