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中学生の自死(自殺)が短慮、浅はかに行われているという無知に強く抗議する [自死(自殺)・不明死、葛藤]

中学生の自死を防げなかったことに
自死予防の一端を担う者として悔しくてならない。

ただ、今回の事件に対するリアクションで
疑問を感じたことは、

例えばカウンセラーを自称する人が
怒りをあらわにして、
「死ぬな、生きろ」と
上から目線でメッセージを表明したり、

親を含む他者への迷惑をあげて
だから死ぬなとメッセージを出していることだ。

自死をする中学生は
大人以上に、些細なことで自死を選択し、
大人以上に、何も考えないで自死をすることが
前提とされているようである。

おそらく善意でメッセージを表明しているのだろうが、
これは死者にムチ打つことであり、
遺族を苦しめるだけではないのか。

また、そのようなお気楽な前提での
中学生の自死の把握では、
予防にも役立たない。

結論押し付け型の
パワハラ型言動であると感じた。

もちろん、彼らも
自死をさせたくないという本意であることは理解できるが、
そのような結論をお願いしても
結論は左右されない。

中学生の環境は
大人よりも過酷である。

自我が目覚め、
自分の可能性を考え始めようとする時期に
既に左右には厚くて高い壁があり
自分の個性がどのようなものであろうと
その中を進まなければならないようになっている。
と感じているだろう。

はじめから自分らしく生きる自由など
感じられない。

では自由に生きなくても良いから
寿命まで幸せで生きられるかというと

定年退職まで雇用が約束され、
社会保険が完備して退職後もそれなりに暮らせるという
何とかなるだろうという
漠然とした楽観的な考えをもつことも許されない。

中学校時代、
万引きや暴力や多少の逸脱があっても、
一発試験で挽回できるというものではなく、
推薦入試という形で
3年間、何の問題も起こさないで
全力を出し続けることを強制される。

365日監視されているようなものだ。

失敗が許されない生活を送らされているのだ。

失敗しなければ良いわけではない。
誰かのミスを自分のせいにされても
推薦入試は終わりである。

少なくない中学生は、
その失敗は、将来のフリーターや
派遣切り、リストラの予備軍だと
感じているようだ。

実際、そのような指導が
中学や高校では、なされている。
「老後に年金のない生活でよいのか」
と、極めて悪質な恫喝で
生徒たちは管理されている。

そのような緊張の連続は、
どこかに息抜きを求める。
この場合の息抜きは、
自分よりも弱い者を見つけて
それを攻撃し、
あいつより自分はまだましだ
という確認をすることだ。

このため、いじめの対象は
何らかの弱い者であることが多く
いじめられている子の言動などが
原因になるわけではない。

即ち
差別が過酷になる。

性同一性障害に対する差別
発達障害に対する差別
弱さを伴う差別がいじめの対象となる。

差別の仕方も過酷だ。
ヘイトスピーチは見ず知らずの者が行うが、
中学生の差別は、
毎日同じ学校に拘束されるものから行われる。
自分のわずかな理解者の面前でも行われ、
被差別者に対して理解を示すことも
できなくなっていく。

文字通り日常の中において
心休まる場所がなく、
いつ攻撃が来るか
毎日が苦痛の連続である。

そして、
誰も助けない。
報道によると教師すらも見てみぬふりをしている。
親に話すこともできない。
親を心配かけたくないという話はとても多く聞く。
絶望しかない。

大人は、クラス替えまでというが、
クラスが変わっても攻撃しに来るやつもいる。
廊下などでも会うだろう。
会いたくないということが
毎日のテーマになる。
これは相当辛い。

そして、自分の障害が
治療などでなおらないとするならば、
一生同じ苦しみを味わい続ける
という感覚を蓄積していくわけである。

13,14歳の一生は70年くらい続くだろう。
70年間苦しみ続けるのだと
みんなと同じ立場にはなれないんだと
そういう絶望感を
あなた、浅はかだといえますか?

そういう絶望感を持つ子供たちに対して
死ぬな、生きろと
上から目線で言えますか?

言われた方は、
なるほどそうですねと
考えを改めると本当に考えていますか?

まずは大人が
差別をされて虐められている子どもたちの
絶望感に向き合う必要があります。

虐めている子どもやその親の反撃が怖いならば、
その子供たちのいないところでかまいませんから
思いっきり虐められていることをかばい、
特別大事にしているというメッセージを伝えるべきではないでしょうか。

本来は、大人がチームを組んで、
虐めている子どもたちに
絶望を与えていることを指導し、
みんなで協力して助け合う喜びを指導しなければならないのですが、

そこまで力量がないならば
(時間、条件を含めて)
徹底的にかばわないとだめだと思います。

自分のところに逃げてきていいんだというメッセージを
確実に伝えなければ
絶望しかありません。

形式的な謝罪の会で一兆上がりでは
立場が悪くなるだけです。
それは単にアンケート調査のつじつま合わせであり、
逆効果に過ぎません。

カウンセラーを含めた社会が
いじめから逃げても良いんだという
風潮を作らなければならないこの時に、
死ぬな生きろでは、
なんていうか、
そういう人の心を理解しない人が
まだ、カウンセラーを続けるのでしょうかね。
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