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面会交流調停にあたって家庭裁判所に対する申し入れ案 [家事]

1 別居親との面会交流は、子どもにとっての権利である。
  概ね10年ほど前までの面会交流調停においては、会いたい別居親と会わせたくない同居親のどちらの心情ももっともであるということで、話し合いがまとまらないという調停が行われていたこともある。しかし、これは誤りであり、過去の事例ということにしなくてはならない。面会交流は、あくまでも一方の親と離れて生活する子どもの権利であり、子の福祉の観点からは、面会交流が子の福祉に害する結果になる場合を除いて、実施させなければならない。親どうしの、会いたいとか、会わせたくないということは、面会交流調停には本来無関係の話である。ともすれば調停は、調停に出席する当事者の感情に左右されてしまう場合がある。しかし、面会交流調停は、調停当事者の意見に左右されずに、家庭裁判所が後見的見地から子どもの利益を実現することが求められている。子どもが当事者として調停に出席していないからと言って、親の感情を子どもの利益に優先させてはならない。
  面会交流は、別居や離婚による子どもへの負の影響を軽減させるために行うもので、子どもの健全な成長のために行われなくてはならないものである。以下説明する。

 1)離婚や両親の別居の子どもに対する影響

   離婚や両親の別居によって子どもに与える負の影響としては、大規模統計研究をまとめたアメイトらの研究が有名である。結論としては、離婚家庭の子どもはそうでない子どもに比べて、幸福感の指標において点数が低いということ、就学後から10代前半の子では離婚の影響が大きいということである(Amato.P.R.& Keith.B Parental Divorce and adult well-being of children analysis. 「子どものための法律実務」(日本加除出版社)95ページ、小澤真嗣「家庭裁判所調査官による『子の福祉』に関する調査―司法心理学の視点から―」(家裁月報61巻11号6頁)。
また、日本の民法766条改正のきっかけとなったウォーラースタインとケリーの60組の家族の調査も価値の高い研究とされている。彼女らの離婚後5年を経た子どもたちへの実証的な研究報告である“Surviving The Breakup ”によれば、離婚後の生活によく適応し、心理状態が最も良好であったのは、別れた父親と定期的に交流を持ちつづけていた子であった。父親と定期的に交流して父母双方とよい関係を維持していた子は、他の子と比較して、自我機能が良好で、自己評価も高く、親の離婚が原因で抑うつ状態に陥ることがなかったのである。
一方、別れた父親との接触がなかったり、少なかったりした子は、父親が会いに来てくれないことに失望したり、孤独感や無力感を抱いたり、あるいは、逆に父親に怒りや恨みをおぼえたりする傾向があった。(家裁月報41巻8号 「子の監護事件に関する面接交渉」佐藤千裕 224頁)。
両親間の紛争が高い場合は、子は、「忠誠葛藤」と呼ばれる、父と母のどちらの自分が付くかということで悩み、時にはどちらについても他方の親に対しての自責の念が生まれる現象が起きる。自分が日常的に愛情を受けていた者が自分の目の前からいなくなっているために「対象喪失」を起こす。さらに、不安、悲しみ、無力感などの否定的な体験によって、身体症状や抑うつ、学業不振、攻撃的言動を起こす(岡本吉生ほか「家事事件における子どもの調査方法に関する研究」家庭裁判所調査官実務研究(指定研究)報告書第7号)。
これらの子どもたちに対する負の影響は、短期的に収束するのではなく、将来にわたり影響を及ぼす。上記ウォーラースタインの研究はその後も行われ、25年にわたる追跡調査が行われた。
調査10年後に発表された“MEN、WOMEN&CHILDREN A DECADE AFTER DIVOCE”(邦題「セカンドチャンス 離婚後の人生」草思社)はしがきによれば、離婚から1年から1年半後については、ほとんどの家庭が危機を脱していなかった。5年後の調査では、3分の1の子どもたちは立ち直ったが、3分の1以上は以前より悪くなり、睡眠障害、学業不振、突飛行動が慢性化していた(同書20ページ)
ウォーラースタインは、25年目の調査を“The UNEXPECTED LEGACY of DIVORCE”(邦題「それでも僕らは生きていく」PHP。で発表した。10年後の調査の傾向が続き、子どもたちは自己肯定感が低く、特に異性との関係で健全な成長を遂げることができず、結婚ができないか、結婚してもすぐに離婚するかつての子どもたちが多くいることなどを報告している。
子どもが従来両親と居住していた家から、突然一方の親に連れられて転校を伴うような環境が激変する転居を余儀なくされた子どもは、面会交流の意義は大きい。特に国境を越えて転居を余儀なくされた場合は、ハーグ条約によって、元の国に戻される手続きが定められている。しかし、子どもにとって大切なことは、国境を超えるか否かにあるのではなく、元の環境から別の環境に突然環境の変化を強いられ、実の親の一人や、学校の先生や友人たち、なじんだ自宅や地域を奪われることが負担であることにそれほど大きな違いはない。外務省が述べる連れ去りは、国境を越えなくても、子どもにとって大きな心理的負担を与えるものであり、このような状況に置かれた子どもの心理的手当ては、家庭裁判所において子の福祉の観点から具体的に講じられなければならない。

 2)面会交流の意義

   面会交流は、上記のような離婚や別居などの両親の紛争に巻き込まれた子どもたちの否定的影響からの保護要因になることが指摘されており、子どもが精神的な健康を保ち、心理的・社会的な適応を改善するために重要であるとされている(「子どものための法律実務」(日本加除出版社)96ページ)。心理学者の小田切紀子の調査研究では、面会交流の意義は、子どもにとって、①親から愛されていることの確認、②親離れの促進、③アイデンティティの確立の3点を挙げている(同書97ページ、小田切紀子「子どもから見た面会交流」(自由と正義Vol.160 no 12 28ページ以下)。面会交流が実施されることで親からの愛情を感じることができる。面会をする別居親からの愛情はもちろんだが、別居との面会に快く送り出す同居親に対しても愛情を感じることができる。どちらかの親に没入することがなければ、強い依存状態に陥ることが無くなる。アイデンティティの確立については次項において説明する。
   面会交流は、現在、法務省においてもホームページでの啓もう活動など積極的に推進している。最高裁判所の動画においても面会交流の推進及びより良い面会交流の方法の提案などがなされている。いずれも、面会交流が離婚や別居後の子どもたちの健全な成長のために必要不可欠であることを強調している。

2 片親疎外の概念に関する整理(片親疎外症候群との区別と子どもに対する深刻な影響)

  現在、離婚の子どもに対する負の影響は、離婚そのものではなく、両親のたがいに対する葛藤が一番の原因であるとされている。それが片親疎外にもつながり、後に述べる子どもたちの成長に深刻な影響を与えている。
  この点、現在においても、家庭裁判所において、片親疎外(PA)と片親疎外症候群(PAS)との概念の混乱が見られ、片親疎外の懸念を示すと、同居親の子どもに対する悪意の働きかけはないなどといった返答がよこされることがある。概念を正しく理解していないために、別居親が同居親を過度に非難しているという誤解をしているのである。本庁においてはこの初歩的な誤りをするとは思えないが、他庁において確認されることなので、念のために付言する。
  片親疎外症候群(PAS)とは、精神科医ガードナーが提唱した精神障害である。監護親が子に対して洗脳に似た操作を行っている場合に起こす子どもの病的症状であるというのである。このPASについては批判が多い。
  このPASについては、Johnston& Campbellの大規模調査があり、結果として、非監護親に対する否定的な感情を伝えられた子がすべて非監護親を拒絶しているわけではなく、監護親による働きかけがなくとも、子が非監護親に対して憎しみを抱いている事例があり、複雑な様相を示していることが報告されている。
  その結果、PASを修正する形で「片親疎外」(PA)が概念づけられていった。結論としては、「子の非監護親に対する拒絶する現象」のことを言い、この理由としては監護親、非監護親、子の要因などが複合的に作用しているとされている。
Johnston& Campbellによれば、片親疎外の減少が起きる要因としては、監護親の非監護親に対する否定的な言動や、非監護親からの手紙や電話を取り次がない、思い出のものを捨てさせる、面会交流を理由なくキャンセルする等の行動が、子どもに対して、面会交流やささやかな思い出にまどろみ、非監護親からの愛情を確認することが、監護親から否定評価されるという忠誠葛藤を起こさせ、自分は監護親を選んだということをアッピールするために非監護親を否定する態度を強めるという要因があることが指摘されている。また子どもが、両親の板挟みを上手に解決する能力が無いために、単純に一方の親に同調することによって解決を志向しているとされている。それらは、背景として同居親から見捨てられると、自分は一人ぼっちになるという子どもなりの不安が強く作用しているとのことである
  但し、片親疎外の結果、子どもが、「完全な善人の母親(同居親)の子どもの自分」というアイデンティティと「完全な悪人の父親(別居親)の子ども」である。という二律背反するアイデンティティを持たせられる結果になってしまう。極端なアイデンティティは統合することが難しく自己イメージの混乱が生じてしまう危険がある(片親疎外の項は前掲小澤41~45頁)。
  このような影響は自我が確立する15歳ころに顕著に表れる。自己イメージの混乱は、自我の同一を妨げる。片親疎外のもう一つの側面である極度な同居親に対する依存傾向は、同級生などとの対人関係に問題が生じ、引きこもり、自傷、拒食症などの遠因になることもある。
  片親疎外の保護因子としても面会交流は重要である。離婚に伴い葛藤が生じることは仕方がなく、同居親に対して子どもの前でパーフェクトにふるまうことを期待しても仕方がない。どんなに葛藤を子どもに見せても、別居親との面会交流だけは第一に考え、快く送り出してくれることで、子どもは片親疎外に陥る危険は著しく低減するであろう。

3 面会交流調停は、どのように面会させるかということを話し合う調停である。

 1)面会阻害事由の調査

   先ずは、面会阻害事由の有無を確認することは当然である。面会をさせると連れ去りの危険があるのか、児童虐待があったのか、子どもの面前で配偶者加害暴力や虐待があり、面会の機会に暴行が起きる可能性があるのか、子どもの拒絶がないかということである。同居親の感情は、面会阻害事由とされていない。
   但し、連れ去りの危険については、連れ去られないような出入口が一つしかないような場所で実施することで解決される。児童虐待の有無、子どもの拒絶については、家庭裁判所の調査官の調査が必要となる。但し、引き離された子どもは、上記理由のため多少にかかわらず片親疎外症候群の様相を見せることがむしろ通常である。子どもが調査官に会いたくない、会わなくても良いといっても、実際に面会したときの子どもの喜び方を見れば、それが片親疎外症候群ないし、忠誠葛藤によるものであることが容易に理解できる。同居時の記録、写真やビデオなどで良好な関係が示されれば、客観的資料に基づいて判断されるべきである。
   仮に面会阻害事由が疑われるというのであれば、速やかに試行面会が行われるべきである。客観的資料もないのに同居親の言い分をいつまでも真に受けて速やかな試行面会を怠ることは厳に避けていただきたい。
   同居親への暴力の懸念も、過去において具体的事実がない場合は考慮するべきではない。但し、後述するように同居親の不安があることは事実であるから、それに対する対応として、面会時のルールについては、具体的に取り決めをするべきであると考える。
   ちなみにアメリカの配偶者加害の研究者であるランディ・バンクラフトらは、「DVにさらされる子どもたち―加害者としての親が家族機能に及ぼす影響」(金剛出版)の中で、DV加害者(batterer)であっても一般に子どもは加害者とある程度の接触があったほうが順調な経過をたどる(142頁)と指摘している。ここでいうDV加害者は、日本の曖昧な概念ではなく、「DV加害者とは、パートナーとの間に威圧的な支配のパターンを形づくり、時おり身体的暴力による威嚇、性的暴行、あるいは身体的暴力につながる確実性が高い脅迫のうちのひとつ以上の行為を行う者のことである。」
と明確に厳しい定義を述べている。このような定義の加害者であっても、子どもは接触したほうが良いと述べられているのである。

 2)調停で話し合うことはどのように面会させるかである。

   面会阻害理由がなければ実施の方法を話し合うしかない。これが鉄則である。強固に面会交流を拒んでいる同居親が面会交流に応じるためには、裁判官や調停委員が強く説得するしかない。同居親は、よほどの事情から離婚をするのであるから、子どもを会わせたくなるということはない。子どもを会わせたい気持ちになるまで待つということは、結局は面会を子どもにあきらめろということに等しい。しかし子どもは健全な成長が妨げられる危険を容認するべき原因を作ってはいない。申し訳ないが、裁判官や調停委員から、子どもの権利を抽象的に解くのではなく、片親疎外の完成による極めて深刻な影響を伝えて説得するしかない。また、子どもに対する責任を分担すること、子どもに縛られない時間を作ることが有効であること等、負担を軽くして、子育ては母親がするものというジェンダーバイアスから解放することが有効である。
   しかしながら、同居親に葛藤や抵抗が強いことは事実として存在する。同居親がより安心して合わせることができるような工夫が必要であるということは多い。
   面会場所や打ち合わせの方法、直接接触しないで済む方法、その他同居親の安心につながる方法は積極的に受け入れられるように別居親とも工夫を出し合うことが有効である。共通の知り合いなどの支援者を面会に同行させることでも同居親の不安が軽減することもある。但し、同居親の要求が子の利益に反する場合は、家庭裁判所は同居親を説得しなければならない。同居親の感情で、面会交流の質量が減少してしまうことは避けなければならない。子どもが十分に同居親から愛情を受けているということを実感できる面会交流が実現しなければならない。

 4 面会交流の緊急性

   面会交流は速やかに実施しなくてはならない。
   面会交流調停が申し立てる場合、離婚調停や婚姻費用調停などが併合されてしまう場合がある。これは制度の趣旨を十分に理解していないものと思われる。
   むしろ別居が始まると同時に面会交流も実施されなければならないはずである。子どもたちは、先述のように、環境の激変の中で心理的負担を受けており、これまで生活したことの無い環境の中に立たされている。同居親以外の愛着の対象がすべて奪われた状態である。一方の親が自分の目の前からいなくなることも、不安を増大させる出来事である。同居親とも離別する不安を潜在的に抱えている。忠誠葛藤が無駄に強くなり、片親疎外が進行している。できるだけ早期の段階で別居親との面会交流を実現して、自分が愛されているという実感を持つ必要がある。
   婚姻費用調停が優先させるべき合理性があるとすれば、婚姻費用の支払いが早期に合意される場合に限られるだろう。例えば暴力や虐待の無い事案においても子どもの連れ去りは起こっているが、そのような場合、別居親は子どもを連れて勝手に出て行かれた上に、高額になる傾向にある婚姻費用の負担を行うことは心理的抵抗が高い。養育費相当額は支払う必要性を感じているが、それを上回る婚姻費用相当額を支払うことに抵抗を示すことは心情としては理解できる。そもそも婚姻費用を負担するのは、共同生活を営むにあたって必要な費用を支払うことが当然だからである。一方が共同生活を営む意図がない場合にその者に対して費用を捻出する義務を課すことが近代市民法の理屈から導くことができるかについては疑問も多い。
   このような場合、すべてが同一期日に話し合われるとすると、事実上婚姻費用の話し合いが先行することになる。面会交流については実質的に、婚姻費用の話し合いが整った後で行われることが多い。ある家庭裁判所では、離婚調停が優先したところもある。面会交流調停だけは子の福祉の観点から急がなければならない調停であり、これは婚姻費用調停を急ぐべき事由と両立する。当事者や代理人が許す限り、別期日で可及的に速やかに十分な時間をとって話し合い、早急な面会交流を実施させるべきである。   

5 間接交流は回避しなければならないこと

   家庭裁判所は間接交流と言われる、手紙や電話などでの交流を頻繁に提案する。しかし、間接交流は上記の面会交流の意義、別居親からの愛情の実感、親離れの促進、アイデンティティの確立に効果は乏しい。つまり間接交流は面会交流としての意義が乏しいのである。一番の問題は、間接交流は、交流にならないことである。直接交流ができない場合は、電話での交流もできないことが一般的である。また、手紙は子どもには渡らないことがほとんどである。子どもからの返事はめったに来ない。というか来ないことが多い。手紙を子どもが手に取れる場所に置いているということも聞くが、子どもたちはそのような手紙を積極的に読むことはできない、読んだ形跡を同居親に知られるわけにはいかないからだ。これは、多少経験のある調査官なら誰でも知っていることである。面会もしない親と子の手紙のやり取りは、実際は行われない。
   そもそも子どもにとって有益ではない面会交流である上に、なかなか実現が難しい交流である。これを提案する理由は、これならば同居親に承諾させることができるかもしれないからである。禁じ手の発想というべきである。子どもの利益を考えるべき面会交流調停において、同居親の感情を理由として子どもの利益を十分に実現できないという結果を家庭裁判所が提案することは、家庭裁判所の存在意義に関わることである。子どもの一生は一度しかない。子どもが子どもである以上、その健全な成長に対する責任は親や大人が果たさなければならない。表面的な事件処理のために、子どもの健全な成長という利益に目をつぶることは家庭裁判所の体をなしていないと厳しく批判されるべきである。

 6 面会交流に関するレクチャーは早めに行うべきである

   動画やパンフレットを見せて面会交流の意義についての説明は可及的に早期に行うべきである。一つの選択肢を提起する意味は大きい。その際も、誰しも離婚相手に子どもを預けることに抵抗があることを理解し、それでも子どもにとっては面会交流が大切だということを説明する必要がある。
   それだけで、嫌だけれど面会交流をさせなければならないと納得するケースは案外多い。
   頭では面会交流が必要だとはわかっているという同居親の言葉をうのみにしてレクチャーを遅延させることはできない。面会交流が必要だからどのようにして合わせるかという議論になっておらず、会わせるかどうか検討するということで数か月を過ぎている場合は、面会交流が子どもの健全な成長にとって切実に必要だということを頭でも理解していないことを示している。実際、このような同居親の発言がある場合は、面会交流が実現するまでには時間がかかることが多い。

 7 別居親の協力は不可欠である

   別居親も同居親も、結局は自分たちの子どもを健全に成長させるために共同作業をしなければならないことは離婚後も変わらない。同居親の不安や抵抗を取り除くために別居親が行うべきことは多い。
   別居親が、面会時、同居親の悪口を言わない、生活ぶりを子どもに尋ねたりしない、受け渡しの時間は厳守する等のルール作りを承諾することは極めて簡単だ。思い切って別居親にこれらの提案を自らさせることはそれほど難しいことではない。そんなことでも、同居親の安心につながる場合は大きい。
   また、別居親が同居時や別居後に、同居親が子育てに努力していることを認める発言をするのであれば、それを積極的に同居親に伝えることも同居親の不安を軽減させることにつながることがある。さらに何らかの謝罪があれば、それも伝えるべきだ。但し、これらを戦略的に話してもらうことは良いとしても、強要することはできない。子どもの利益のためにということで、その有効性を説明することは必要かもしれない。

 8 子どもに責任のない面会交流の質量の制限は回避するべきである。

   間接交流とともに、極端に短い面会交流時間や極端に少ない頻度の面会実施が提案される場合がある。子どもの事情から必要であればやむを得ないが、ここに同居親の感情を入れることは間違いである。面会交流はあくまでも子どもの利益のために行われるものだからである。
   子どもの事情で質量が制限されるのは以下の場合である。
   乳児などの子どもの年齢のため、外出する時間に制限を設けるべき場合。
   別居親が子どもと極端に離れて暮らしているために、実際の面会が毎月実施することが難しい場合。
   部活動等で、土曜日、日曜日の予定が立てられない場合。但し、このような部活動は中学生までは禁止されるべきだと考えるがそれは別のところで。
   毎月の面会交流の実施が難しい場合は、実施する面会交流は、子どもが別居親になじむ時間を十分確保して行うべきである。あるいは直接面会交流ができない場合は、電話やインターネットでの面会交流を補充的に実施するなどの工夫が必要であろう。
   特に就学前の幼児は、記憶力が十分発達していないため、たとえ一回当たりの面会時間が少なくても、頻回の面会交流が実施されることが望ましい。
   月に一度、2時間の面会交流は、不当な時間的制約を課していると評価されるべきである。子どもが病的原因を抱えているならともかく、健全な体力があるのであれば、1か月に1度の面会ならば最低でも6時間くらいは必要である。受け渡し場所から遊園地などの施設に移動する時間も考慮しなければならないからだ。この移動時間も貴重な面会交流の時間である。案外遊園地よりも電車で一緒に切符を買って、一緒に窓からの景色を見たことが懐かしい思い出になることもある。子どもの体力についての考慮は、面会交流実施の方法について議論すれば足りる。

 9 まとめ

   いずれにしても、子どもたちの健全な成長を阻害する危険を生むかどうかは、同居親、別居親の判断にゆだねられている。家庭裁判所は子の福祉の観点から後見的に監護に関する助言を行わなければならない。家庭裁判所が無制約に同居親の感情に流されてしまうことで、面会交流が十分に実施されず、その結果子どもの健全な成長が阻害されても、家庭裁判所は責任を取らないであろう。子どもの人生は一度きりで、その人生のために重要な子どもという時期も一度きりである。子どもの健全な成長以外の考慮要素は排さなければならない。
   本来、監護の方法は、家庭の中のことであり、両親が決めればよいことである。そこに簡易裁判所ではなく家庭裁判所が介入することが許される根拠は、子の福祉のために後見的に介入することが法律で定められているからである。子の福祉の観点に立たない働きかけは、家庭裁判所の権限ではない。重々ご理解、ご承知おきいただきたい。

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Yamanaka

>外務省が述べる連れ去りは、国境を越えなくても、子どもにとって大きな心理的負担を与えるものであり、このような状況に置かれた子どもの心理的手当ては、家庭裁判所において子の福祉の観点から具体的に講じられなければならない。

 残念ながら、日本の家庭裁判所には、そのような「手当て」を「具体的に講じ」る能力も意志もありません。どうしてもというなら、他方の親の同意のない子どもの連れ去り別居を違法とする法改正をしないと。
 もっとも、今さら法改正したところで、「日本人女性が平気で子どもを拉致し、国を挙げて拉致を合法化する拉致大国日本」という一度染みついた日本の国際的なマイナスイメージは簡単には消えないでしょうけど。
by Yamanaka (2020-08-19 00:29) 

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