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普通の夫の普通の会話は、普通の妻には怖いと思われている事実。男性脳と女性脳2 女性脳が始まるとき [進化心理学、生理学、対人関係学]


【事例:運転中の毒づき編】

後に夫と妻になる婚約中の二人が、男性の運転する自動車で移動していました。交差点の赤信号で一番前に停車していて、青になって発進しようとしたところ、青になるかならないかのうちに対面で一番前に停車していた車が突然発進してきて、自分たちの車の前を強引に右折して進行を遮っていきました。年配の男性が運転手でした。
後に夫となる男性は、「何やってやんだ。馬鹿野郎。ふざけるな。」と叫びながら、遠ざかる車を睨みつけながら直進していきました。
助手席の女性も、恐怖で青ざめながら、男性に対して、「強引な運転よね。」などと共感を示しました。
ところがこの男女がのちに結婚し、子どもが生まれましたが、その後数年で離婚の裁判となりました。女性側から離婚が申し立てられたのです。女性は、離婚原因の一つとして、男性が乱暴で怖いということを上げています。その一つの例として、この交差点での出来事をあげてきました。「相手はお年寄りの運転手なのに、つかみかかってケンカを売ろうとするような言葉を吐いて、怖いかをしていて、一緒に生活することは無理だと思った。」というのです。
言われた男性は、ではどうして結婚したのだ。結婚しなければよかったじゃないか。それが離婚理由になるなんてことはありえない。アラ探しをされ、言いがかりをつけられたと思います。だってあの時一緒に怒ってくれたじゃないかというわけです。どうして今頃そんなことを言い出すのか理解できません。

【典型的な女性脳は、争う姿、人を攻撃する言動が怖い】

前回の解説をまたこの記事の最後に載せておきます。
女性脳は、仲間の結束、調和を求めます。それが目的に適ったことであろうと、正義を主張していようと、攻撃的な言動を見聞きすると、「怖い」と感じます。仲良く楽しくいることが一番の目的ということも外れてはいないと思います。何かいさかいが起こると何とか仲直りをして仲間内の秩序を守ろうとしますので、働きかけることができないほどの怒りが近くで表現されると、どうしようもなくいやな気持ちになります。
出来事から数年以上たっても、交差点での出来事とその後の夫の言葉、憎々しげな表情を思い出すと、怖くなってしまう、どうしようもなく嫌な気持ちになるということは、どうやら本当のことのようです。

【男性脳が、乱暴な言葉を怖がらない理由】

男性脳は、多少厳しい言葉を聞いても怖くないことが多いようです。
例えばチームスポーツで、叱咤激励するとき仲間同士でも乱暴な言葉を使いますが、士気が高まることはあっても、味方の叱咤激励で委縮することはありません。それは、勝利という目的のために行われていることで、自分を攻撃しているわけではないということをよくわかっているからです。
運転中の毒づきは、安全運転ということもありますが、交通ルールを守る、あるいは交通エチケットを守るという目的に照らしてそれに反する行動する者に対しての怒りですから、毒づくのは当たり前だという意識があります。自分の身の危険があったこと、それ以上に大事な婚約者を危険な目に合わせたということから、衝突の危険から解放されて安心をしたとたんに、緊張が相手に対する怒りに変わります。
そして、助手席の婚約者も、自分と同じ気持ちだということを疑いません。

【婚約中の女性の心理】

当時女性は、やはり、強引な右折による衝突の危険の怖さを感じ、さらに男性の毒づきに怖さを感じているようです。しかし、男性と自分は強固な仲間なのだという意識がありますから、男性に対して共感を頑張って示し、二人の協調性を保とうとしてしまいます。また、前回もお話ししましたが、現代社会では男女差のある生活はあまりありませんし、男女の別なく受験競争で、目的を達することにまっしぐらに行動するという男性脳的な行動習慣を植え付けられているということもあります。あまり女性脳の傾向が強く表れないようです。ノリがよく、容量の良い女性は、男性と一緒に毒づくということもあるようです。
しかし、衝突の恐怖と、それに続く隣の人間の憎悪の姿をみることによって、自分を守らなくてはならないという興奮状態が生まれます。これは、緊張の記憶になっているようです。

【問題提起】

それでは、いつ、緊張の記憶が、恐怖と嫌悪の記憶に変化したのでしょうか。

【結論】

多くは、出産後に記憶の変化がおきたものと思われます。

【解説:女性脳が活性化する事情】

出産によって、女性は、その共感力が主に赤ん坊に向かってしまい、成人男性、つまり夫に向かわなくなっていく傾向があるということを、数年前相次いでバルセロナの大学と福井大学で発見されました。
それまでは、夫は自分の仲間であり、自分には攻撃してこないということについて、夫の気持ちを読み取って疑わないことができました。しかし、共感が夫に向かわなくなる結果、夫が何を考えているか実感としてわからなくなるようです。脳の構造と機能からそういうことになり、これは多かれ少なかれほとんどの女性におき、2年くらいは続くようです。

ここで女性は、女性脳を開花させるのではないでしょうか。子育てを意識すると、「子育てチームが仲良い状態を保ち、穏やかに平和に子育てに協力している」ということが安心の材料となります。攻撃が自分に向かっていなくても、とにかく怒っている人を見るのが怖いのです。怒りに正当な理由があろうとなかろうと、結果として不穏な状態の人を見るのが嫌なのです。それにもかかわらず、男性が生まれたままの状態で、毒づいたり、けんか腰の対応をしたりすれば、怖くてたまらなくなります。これが続くと一緒にいることが嫌になることは理解できると思います。なにせ、夫は信用されなくなっているわけです。その攻撃は、自分に向かうかもしれないとも感じているのでしょう。
男性として普通の人が、男性同士の中で許容されている語気を強めたり、強調したものの言い方をしたりしてしまうと、それまで何も感じなかったのに、出産を経験した女性は、「怖い」と感じるように変化してしまっているのだと思います。
そうすると、何かの拍子に交差点のことを思い出して、当時は緊張の記憶であったのに、今は夫に対する恐怖の記憶に変化するのです。当時は、頑張って共感してくれていたので、自分を守るために怒っているなんてことも感じ取ることができたかもしれません。しかし出産と同時に、夫に対しての共感力はなくなるのですから、自分に対して攻撃が向いていなかったという確信は持てません。
そのことを思い出しては怖くなるということは、起こりうることなのです。
そして、実際に妻の方が、殺傷能力の高い暴力や、臓物をえぐるような悪口、絶え間なく執拗に繰り返す嫌味を繰り出していることが少なくありません。だから、夫は自分を守ろうとしてしまい、自分を守るために妻に合理性を言い聞かせることが少なくありません。夫は、原因の有無、道徳に照らした場合の優越で妻を説得します。しかし、妻は原因論には関心がなく、声が大きい、乱暴な言葉を使われた、理詰めで追い込まれた等という、方法論を非難してきます。これは目的遂行第一主義の男性脳と、協調中心主義の女性脳の違いから来ているもので、話がかみ合わないことは、むしろ当然のことなのです。男性も女性も、もうどうしてよいのかわからなくなります。これは、あなただけが感じている理不尽ではなく、ごく普通にありふれた理不尽さなのです。多少の程度の違いはあれ、普通の夫婦の日常なのです。
それでも妻は怖いのです。怖いからこそ反撃するのです。

【通常出される疑問があります】

「妻が私の言動を怖がっていることはありません。なぜならば、私を挑発することを言ったり、先制攻撃をしてくるのですから。本当に怖いならば、そんなことはしないはずです。」

【それは誤解です】

こういう疑問を呈する方は、おそらく「怖い」というと、子犬が一人で震えているようなイメージを持っていらっしゃるのだと思います。しかし、野良猫が駐車場の奥でのんびりしていて、かわいいなと思って毛を撫でてあげようと手を近づけると、こちらに攻撃的意図がなくても猫はものすごい形相でこちらを威嚇してきて、時には爪でひっかいてきます。この猫のイメージの方が、気丈に反撃してくる奥さんのイメージです。
猫が攻撃してくるのは、怖いからです。自分に危険が迫ってきていることを認識し、危険を叩き潰すことによって回避しようとしているわけです。

【怖いということの解説】

奥さんが反撃してくる危険は、生命身体の危険が迫っているということではなく、対人関係的件です。自分が不当に低く評価されるのではないか、自分がけなされるのではないか、不合理に叱責されるのではないかというような、仲間として扱われない、究極的には仲間から追い出されるのではないかという危険を感じているのです。先ず、特に出産を経験した女性は、自分が尊重されるべきだということに過敏になっています。人間が子どもを育てるためには当然の反応です。過敏になると、あらゆる夫の言動が自分を否定しているのではないかと、半ば妄想的ともいえるのではないかというほど悪く受け止めるようになります。例えば、夫と妻の話の流れの中で、自分の失敗に気が付いたようなとき、例えば、自分が光熱費の支払いをすることを忘れていたのに、私が立て替えて払ったと言い張っていて、夫に金を出せと責めた挙句、「お金渡したよ」という夫に対して「卑怯者、自分のことではお金を使うくせに、家のことではケチになる。」なんて悪口を言って、夫を攻撃していたとします。すると、払い込み用紙とお金がクリアファイルに挟まれて出てきて、ああそうだ。夫に出してもらってここにしまったのだということを思い出し、バツの悪い思いをしているとします。そこで、「ごめん、私が間違っていた。」と素直に言えば良いのですが、さすがに妻もそれで許してくれないだろうという気持ちになっているわけです。「どうせ、あなたは、私が記憶力がなくて妄想的な話ばかり言っていると思っているのでしょう。」なんてことを毒づいてきたりするわけです。これが、記憶では、そういう風に言われた。夫から精神病者と言われたという記憶に改変しているのです。
この時、妻は、自分が夫から、記憶力がなくて妄想の障害を持っているなんて思われたくないという危険意識でいっぱいで、自分を守らなくてはならないという過敏な状態になっているわけです。自分が悪いのですが、夫が怖くなるポイントです。不合理なことが起きています。ここでよくできた夫ならば、「そういう間違いはあるよ。俺は何も気にしてないよ。」というのでしょうが、普通の男性で、しかもこう言うことが何度も繰り返していると、いつもこちらを攻撃する。こちらが悪くなくても攻撃を仕掛けてくる。という気持ちになることは、これも致し方がないことかもしれません。
でも、奥さんは危険を感じているから、追い詰められた猫のように攻撃をしてくるのです。自分の至らないことを自分で分かったからこそ、自分を守ろうとするのです。とても厄介なことは、自分を守るためには夫を攻撃しなければならないという反応をしてしまうことです。
怖いがために攻撃する。攻撃されればやはり自分を守るために反撃する。反撃されれば攻撃されたと思いますからさらに反撃します。本当は仲良くしたいのです。仲良くしたい気持ちが強すぎて、仲良くできない事情を見つけては、自分を守ろうと攻撃が始まってしまうのです。
そして夫は、原因論、正義論、道徳など原理論理のところで妻を諌めようとします。妻は、やはり原理論理論には興味がなく、協調論を重視しますから協調しているとは感じられない大声、理詰めの問い詰め、過剰な表現への攻撃などを指摘して、かみ合わないまま事態は深刻化していくわけです。

【ちなみにどうすればよいのか】

猫の飼い主ならわかると思いますが、多少引っかかれても怒らないということです。自分の失敗を含めて許容しているという安心感を持ってもらうことです。これは繰り返し繰り返し刷り込むことが必要です。
心構えとしては、女性は大事にしないといけないということに尽きるということでしょう。大事にするとは何かです。出産前は何も言われなかったとしても、出産後は特に、大声を出さない、誰に対しても攻撃的な態度を見せない、誰に対してもですが、特に子どもには乱暴な言葉を使わないということは鉄則なようです。子どもを守ろうという意識は強いので、思わぬ攻撃を受けることがあります。そして、大目に見るということです。とにかく、妻の身の回りの人間関係は穏やかさをキープすることを心がければよいようです。
女性と男性の違いをしっかりと意識して、一緒にいて快適に過ごしてもらう。そうすれば、あとは今までとそんなに変わらなくても良いのかなと考えています。

【付録、男性脳と女性脳が合理的であった時代】(再掲)

 人間の心が生まれた200万年前の狩猟採集の時代にヒントがありそうです。男性はチームを組んで、イノシシなどの小動物を狩りしたそうです。その間女性は子育てをしながら植物を採取していたようです。どちらかというと男性は、狩りチームの一部となり、動物を狩るという目的のもと、合理性を追求しながら目的達成に集中していたということになります。女性は、一人一人がそれぞれ食べられる植物を探しておそらく協力して刈り取って群れにもっていったのでしょう。
 ここから男性は、目的のもとに結束して目的完遂というところに価値をおく傾向が生まれたというとわかりやすいと思います。女性は、目的遂行というよりも、群れを守るという意識ですから、群れの他者との調和、群れの平和に価値観がより重く置かれるということもわかりやすいと思います。
 人間は、男性的な目的のもとで、自分をチームの一部として動かすという緊張感を長く持続させるように人間の体の仕組みはできていないようです。夕方には群れに復帰して緊張感を緩和させていたようです。群れの中では、調和の技術もノウハウも女性が上ですから、女性に従って行動していたのだと思います。屈強な男性たちが命がけで狩りをしてきても、群れの中では女性の尻に敷かれ、指図されてその通り動いている図を想像すると、なんだか笑えてきますよね。「ええ、そうなの、従わなくてはいけないの」という表情をしていたのか、「何でも言ってくれ、俺はできるぞう」と喜んでやっていたのか、どちらなのかを考えても面白いと思います。
学説では、当時は完全平等で、狩りが上手な人が偉いという意識はなかったそうです。偉ぶる人は、偉ぶったということを理由に、みんなから攻撃されたのではないかと考えられているそうです。
 元々、男性の思考パターンは狩りの場合にのみ有効で、家庭では女性脳に従ってきたのだとすると、現代においても人間の在り方は、これが自然だということになりそうな気もします。
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