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雇用の安定化こそ、資本主義国家が行う最低限度の仕事  自立自助は国民に丸投げという意味で政府が使ってはならない。 [労務管理・労働環境]



国家政策という観点からのお話です。

雇用は安定した方が良い。
従前の、コンセンサスでした。

様々な政策に合致していたからです。

一番イメージしやすいのは人道的効果、人権的効果ですね。
働いても食べられない、あるいは食べられる仕事が無い
ということになれば収入が無くなり、
生物的貧困を招き、健康や生命が侵害される。
社会的貧困の場合は、劣等感や疎外感に苦しめられる
ということになります。
社会も殺伐としてくるわけです。

経済効果としては、
労働力が消耗して働けなくなれば
生産活動に支障が出ますし、
収入が無くなれば、
消費活動が低下していくわけです。

治安も悪くなります。

もっとも影響を受けるのは福祉の関係です。
昔の日本には社会政策学というものがありました。
雇用政策と社会保障を軸とした
国民の福祉を向上させるという政策です。

国民が仕事に就けるようにしよう
安定して就労し続けるようにしよう
働いた分だけ、それなりの賃金を得られるようにしよう
という労働政策を基盤としています。

そしてその賃金の中から社会保険の保険料を払わせるわけです。
雇用保険(失業保険)
健康保険
労災保険
老齢年金
不可避的に起きる失業、傷病による就労不能
労災、老齢による収入の喪失に備えて
保険料を支払うということです。

自分の賃金の中からあるいは使用者の負担で
お金を出し合っていざというときに備える。
こういう制度ですから自立自助的な制度といえるでしょう。

公的に自立自助の仕組みを作っていたとも言えるでしょう。
それが資本主義国家なわけです。

だから、雇用の安定化は資本主義国家における屋台骨ですし、
政府は雇用の安定化をすることが基本任務だ
ということが言えるわけです。

しかし、それぞれの使用者は、
できるだけ人件費を抑えたいと思うでしょうし、
不要になったら人員整理をしたいと思う傾向にあります。

そこで、「総資本」という概念が提案されました。
社会政策学者として名高い大河内一男先生で勉強しました。
東大総長をされて、
「太った豚になるよりやせたソクラテスになれ」といった発言や
学生運動の頃に学生に取り囲まれた等の話の方が有名ですが
日本の社会政策学の屋台骨を形成していたおひとりです。

一つ一つの使用者が個別資本だとすると
個別資本に任せていたのでは雇用が不安定になり
社会保険制度が成り立たず、
公的扶助で税金が流出してしまう
その税収も減少してしまい
資本主義国家が成り立たなくなる
このため、すべての資本の共通利害を体現する
というフィクションとして「総資本」という概念を提唱された
のでしょう多分。

総資本の観点から行う国家政策が社会政策であるというわけです。

行動成長あたりまでは、こういう考え方が主流で
疑われることもなかったようです。
ところが、特にバブル崩壊あたりから
このような考え方は急激に姿を消します。

社会保障の基盤である「労働政策」
という観点からの政策や研究がどんどんなくなり
代わりに、
労働力流動化政策を中心に据える
労働経済政策にとってかわられるようになりました。

労働力流動化とは
必要な企業に労働力が足りず、
別のところに労働力がだぶついている
このミスマッチをいかに解消するかという問題です。

この観点からすると雇用は不安定の方が良いのかもしれません。
一つところの企業に労働力(労働者)が滞留しないで、
解雇されたり雇止めされたりすることによって
労働力が必要な企業へ流れやすくする
その企業で労働力が不要になったら別の企業へ流す

しかも、雇用が不安定で「どんな職場でも良いから就職したい」
というニーズが生まれると
安い人件費で労働力を確保できるという
特定の人たちにとってのメリットも生まれます。

そこでは、既に、「労働力」という資材の話になっているわけです。
漁船が、情報を入手して
なるべく高い買値を突ける港に魚を水揚げする
というような感覚で労働力という人間を売り買いしているわけです。

一時的に利益の膨大に出る企業はあるでしょうが
総資本の観点からはじり貧になっていくだけです。

収入が不安定であると政策的観点だけでなく
メンタルの問題も生じやすくなります。
家庭不和が起きやすくなり、その影響で学校も殺伐となるでしょう
そもそも労働現場では人間扱いされていないところの歪みが出てくるわけです。

つまり、雇用の不安定を放置するというのは
何も考えないで目先の利益を追求するということです。

政府が特定の企業と結びついて便宜を図る
ということは、
道義的に非難されることだけでなく
資本主義国家を崩壊させる危険な行為なのです。

現在は夢見がちな国家政策は何も力にならないでしょう
健全な資本主義国家を取り戻す
その第一が雇用の安定化、収入で生活も保険料も賄える
そういう政策こそ必要なのだと思います。

それが資本主義社会における自立自助ということだと思います。
政府が国民の自立自助を求めるときは
責任を国民に丸投げするときではなく
自立自助の可能な社会を作ったときの話だと私は思います。


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