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デッドボールで選手全員がグラウンドに出てこなくてはならない切実な理由 [進化心理学、生理学、対人関係学]

 

プロ野球を見ていると、デッドボールや、あわやデッドボールという投球があったとき、バッターが血相を変えてマウンドに走り寄る場面を見たことがあると思います。それを見てベンチから選手、コーチも飛び出してきて球場全体が騒然となります。そのあとつかみ合いになったり殴り合いになったりすることもあるようです。最後の暴力的行為はいただけませんが、その前の全選手がグラウンドに出てくることはとても大切なことです。これがなければ野球は成り立たないと言ってもよいと思うくらいです。

もしピッチャーが危険な投球をしてバッターが激高しても、誰も出てこなかったらどうなるかを考えるとその理由が見えてくると思います。

バッターの心理を考えてみましょう。
危険な投球は、二重の意味で、バッターの危機感を一瞬で高めます。
1つの意味は、もちろん生命身体の危険です。プロ野球は硬球を使いますから、ぶつかれば痛いです。それが130km毎時で飛んでくるのですから、骨に当たれば骨折の危険がありますし、頭部に当たれば生命の危険もあります。命がなくならないとしても、選手生命という形では予後不良になる可能性があります。野球というスポーツは危険を伴うスポーツであることは間違いありません。危険な球を投げられてバッターが委縮してしまうと、戦う意欲がなくなってしまい、たとえ体に異常がなくてもメンタル的に選手生命が断たれるということはあるでしょう。プロ野球に進むくらいの人たちですから、危険を感じたら委縮ではなく、怒りによって危険を除去しようとする根性を皆さん持ち合わせていると思います。

もう1つの危険の意味は、「対人関係的危機感」です。このような危険な投球をあえて意図的にピッチャーが行ったとするならば、自分がピッチャーや相手球団から、人間としてあるいは同じプロ野球選手として尊重されておらず、潰しても良い選手だと扱われているという危機感です。疎外感と言ってもよいと思います。このように、仲間として、人間として尊重されていないという危機感を「対人関係的危機感」と呼ぶことにします。ピッチャーは意図してバッターをデッドボールで潰そうとは思っていないと信じていますが、命の危険を感じたバッターからすれば、自分が意図的に攻撃されたと思いやすくなっています。

このような危機感に対して、自分の危機感を除去するために、怒りという感情をもって攻撃行動に移るのは、動物全般の生きる仕組みです。動物は植物と異なり、危険を感知したら逃げるか戦うかして危険を取り除き、生き続けようとします。さて、怒りに任せてマウンドに駆け寄ったとき、気が付いたら自分一人だったらどういう気持ちになるでしょう。

敵である相手チームから自分が尊重されていないということについては、怒りをもって攻撃することで危険を除去しようとすることができます。しかし、味方チームが、自分の危機意識を共有してくれていないと感じることは、大変なことです。敵チームには期待がそれほど大きくないのですが、味方チームには自分を尊重してくれるはずだ、自分を助けてくれるはずだ、自分の危険に対して共同して除去してくれるはずだという大きな「仲間に対する期待」があるはずです。この期待が裏切られたということになると、自分は味方チームからも、生命身体への配慮、対人関係に対する配慮がなされていない、自分は味方からもそのような扱いを受けていたという強い絶望が起きてしまいます。

これは人間の生存を脅かす条件となると思います。人間は、動物として身体生命の安全が図られることが生きる条件であることはわかりやすいと思います。同時に人間は、群れを作る動物として、群れの中で尊重されているという実感がなければ生きていくことに自信が持てなくなるようです。自分という存在は、仲間の中の自分の位置という概念で把握しているわけです。

誰も応援に来てくれなかったら、そもそも人間として、自信がなくなり、将来にわたり精神的問題が残る可能性も強いと思います。そもそも、自分の窮地を放置する相手を、これから先仲間として見ることはできなくなるでしょう。

このため、どうしても、乱闘が始まりそうになれば、味方を援助するためにグラウンドに出てくる必要があるわけです。これはチームとして活動する場合、切実に大切なことなのです。

もっとも、実際に乱闘に及ぶことは必要ではありません。暴力をふるう必要はありません。味方は、いち早くマウンドに駆け寄って、相手に対して怒りの感情をぶつけながら、本人が暴力をふるうことを制止する必要があります。本人は、自分の危機意識が共有されていいて、仲間が自分のことのように怒ってくれているということを実感できれば目的は達成されるということになります。怒りも徐々に収まってくるはずです。

乱闘シーンを見ていると、本人とは別の場所であまり関係のない人たちが暴力をふるっているような気がしますが、あれはいただけません。しかし、それよりも、あとからのんびりグラウンドに来てにやにやしている人間はもっといただけないということになると思います。こういう選手が干されるのは仕方がないことかもしれません。

野球はチームとして戦い、相手チームとゲーム上敵対する仕組みになっています。だから大変わかりやすいのだと思います。実は、日常生活でも、集団の中でデッドボールに近い危険球は良く投げられているのでしょう。言われた者の立場に立つことが難しいためそれがわかりにくく、グランドに出てくる人は少ない。日常生活では、攻撃チームと守備チームと整然とわかれておらず、味方からデッドボールが投げられるようなことが多いので、ますます混とんとしてくるのでしょう。多くの人が、誰も自分をかばってくれないと傷ついて、精神不調を起こしているのはこういう仕組みなのだと思います。

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