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SNSでみられるハラスメント行為、迷惑行為についての考察 現代版黄金律の構築の必要性5 [進化心理学、生理学、対人関係学]



今日のテーマから私の言いたいことはお察しの方も多いと思います。
SNSやメールの言語だけのコミュニケーションは面談のコミュニケーションに比べて過酷になる理由は、相手の感情や立場を考慮して発言しづらい環境にあるためです。目の前に相手がいないため、相手の感情を考えることがますます難しくなってしまいます。言われたら相手は傷つくだろうなとか、怒りだすかもしれないなという相手の反応を考慮できなくなるわけです。

もう一つ理由があるようです。相手の感情を考慮の外に置いていることに付け加えて、自分のぼんやり想定する相手以外の受け手を想定しているものだから、その相手の反応だけを考えて発信してしまうということです。このためますます、考えるべき人の反応に頭が回らなくなるようです。

昨今話題になって逮捕者も出たユーチューブでの不衛生な行為も同様に、世間一般の常識的な反応やお店の損害を考えることができなくなっています。このケースは特にウケを狙う、閲覧者を増やすという目的に夢中になってしまい、それ以外の考えるべきことに頭が回らなくっているのだと思います。だから、それを言っても仕方がないことかもしれませんが、彼らはお店に損害をかけようという意図もないし、損害がかかっても仕方がないやとは考えていないのだと思います。ただ、頭が回らなかったということなのでしょう。

SNSで他人を攻撃したり迷惑な行為を発信したりする人たちは、読み手として「誰」を想定しているのでしょうか。この「誰か」は、非常識であり、犯罪を誘導するような人たちなのでしょうか。

先ず、SNSを知らない方はわかりにくいのではないかと思うのですが、投稿者は誹謗中傷する相手に向けて発信している意識ではなく、この誹謗中傷投稿を喜んでくれる第三者を意識して発信しているようです。その「誰か」の共感を勝ち取りたいという意識で表現を工夫までして発信しているのです。SNSでは、そのなんらかの賞賛や共感は閲覧数や「いいね」のボタンを押した数字になって表れてきますので、自分の欲望が達成しているかどうかわかりやすくなっています。このため、つい、あたかも本能的にその数字を追い求めてしまうような感じです。

迷惑動画の配信も同様に閲覧数が表示されますので手ごたえがわかるようになっています。最初の発信の閲覧数よりも、多い閲覧数が欲しくなるような構造があり、そのためには多くの人が面白いと思うものや、面白いと思わなくても閲覧してもらえる動画を配信したくなるように、構造化されているようです。

投稿者は、閲覧数の多い配信を参考にしますし、自分なりに試行錯誤をしてなんとなく受けるパターンを皮膚感覚で覚えて、自分ができる閲覧数の増やし方を選択していきます。特に他人を引き付けるアイデアや技術のない人たちは、動画の内容を過激にしていって閲覧数を増やしていくほかないのです。迷惑な投稿や他者への誹謗中傷をする人は、閲覧数や「いいね」の数字に突き動かされて投稿をしているようです。そこに他者の感情を考慮する余裕は無いようです。

また、その投稿をすることで自分が決定的に悪い立場になるということも思い浮かばない。まさに数字依存症になってしまうような感じです。

犯罪にわたる投稿をしてしまったり、多くの人が不快になる投稿をしてしまい、学校や職場から処分を受けてしまう理由はこういう数字だけを追い求めようとする構造にあるので、投稿をする人ならば誰もが陥ってしまう可能性があるわけです。その結果、進学がだめになったり、就職がだめになったりするということもあるようです。それでも投稿しているときは、数字しか目に行かないためにそのような別の結果を想定することもできなくなっているようです。

必ずしも閲覧者が投稿を肯定的に評価しているわけではありませんが、閲覧数や「いいね」の数が伸びればそれでよいようです。それが最優先課題になってしまい、その他のことを考えることができなくなるようです。
誹謗中傷する相手が深刻に受け止めるということも、数字だけを追い求めていれば発想にすら入りません。

インターネットはとても難しい、危険に満ちたコミュニケーションツールです。自分が取り上げている相手の感情すらなかなか考慮できません。想定していないタイプの読み手もたくさんいて、その人たちがどう反応するかということはますます想定できません。うっかり友達同士の会話の延長で投稿してしまって深刻な問題を引き起こすということが増えているのではないでしょうか。そして自分の軽はずみな投稿は、事実上消すことができなくなることがあります。

子どものスマホ教室などが開催されていますが、多くの時間は子どもが被害者にならないための使い方の説明に費やされています。それも確かに大切です。しかし、より深刻な事態になるのは、子どもが加害者になる場合です。何気ない投稿で命を落とす人もいますし、投稿した者が加害者、犯罪者として一生消えない痕跡を残してしまい取り返しがつかなくなることもあるわけです。

私は、他の理由もあり、子ども(少なくとも中学生くらいまで)が投稿できる形でのインターネット環境は作るべきではないと思っています。学校の中だけのインターネト環境をつくり、保護者など大人が監視できるようにする必要があると思います。どういう投稿が、どのような理由でやってはだめなのか、それを発信するためにはどのように修正すればよいか、一つ一つ覚えていく必要があると思います。こういう環境を実現するためには、家庭だけで気を付けても限界があるようです。地域全体で話し合う必要が本当はあるのだと思います。

十分な練習期間を経てインターネット環境に入るということが理想なのだと思います。便利だということで弊害がクローズアップされることなく普及してしまった今となっては、なかなか難しいことであることと思います。

また、大人もどこかでインターネットの講習会を受講することが理想のような気がします。

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