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怒りは原因に見合わないほどに大きく、激しくなることについて 「目には目を」のハムラビ法典が必要になった理由 [進化心理学、生理学、対人関係学]



ハムラビ法典は紀元前18世紀という途方もない昔に作られたものです。多くの方が、「目には目を」、「歯には歯を」という言葉を聞かれたことがあると思います。この意味として、「被害を受けたら報復をするべし」ということで理解をしている方も多いと思うのですが(実際そう使われている場面ばかりを私も見ていました。)、実際は目をつぶされたら加害者の目をつぶす程度で報復は抑えなければならないということを定めたものとされています。

法典ですから、社会の秩序を維持するために作られています。こういう同害報復定めることは、それなりの理由があったわけです。その理由というものは、人間は、報復をしようとすると、自分が受け互いに見合わないほど激しい報復をしてしまう生き物だ。だから規制をしなければ報復の報復はますます大きくなり、報復に対する報復が際限なく続いて社会が大混乱になるということから、被害と同程度までに報復は抑えなければならないというルールを作る必要があったということだと思います。

このように私的な報復にせよ、公的な刑罰の執行という形の報復にせよ、報復の強さについての制限については、現代の刑法典に脈々と受け継がれています。

報復が原因に見合わないほど大きくなる理由はいくつかあります。

それは、報復が怒りの感情に基づいた行動だからです。つまり、自分が受けた被害の範囲で怒るということではなく、一度怒りだせば、その怒りの程度などを考えることもしないし、少し怒り過ぎからしらと思い直すのも時間がかかるということです。怒りによる行動はコントロールしにくいという特質があります。だから、怒りの対象に向かって怒りをぶつけると、歯止めが利かなくなってしまうことが多いわけです。

事件報道などを見ていると、よく「そんな些細なことでそこまでするのか」という事件がありますが、それは「報復」という要素があるならば理解しうる話です。賛成するということではなく、そのようなこともありうるという理解ができるということです。

少し原理的な話をします。

怒りによる報復は、恐れによる逃走とメカニズムが共通しています。どちらも自分に降りかかった危険を解決するための本能的行動です。危険を認識した場合、通常の動物は危険から遠ざかる方法(逃げるということ)で、危険の実現を回避しようとします。この時に逃げる行動を後押しして、逃げることに集中させる情動が恐れということになります。余計なことを考えずに、他の選択肢を考えることなく、ひたすら逃げる行動を恐れが後押しするわけです。逃げることには都合の良い心理状態になります。

怒りも同じ危険の実現の回避を後押しします。怒りに後押しされる行動は攻撃です。危険の元を破壊することで危険の実現を回避しようとするわけです。怒りにまみれることで、同じように余計なことを考えずに、他の選択肢を考えることなく、ひたすら攻撃をします。この時の情動が怒りです。

怒りが報復の程度を間違えることはこのような原理で生まれてしまいます。むしろ被害の程度に関係なく攻撃をすることが怒りの原型ですから、怒りに任せた行動は歯止めが利かなくなってしまうということもよく理解できることです。

怒りが誤射しやすいということもこの原理から考えるとわかりやすいと思います。

怒りは、客観的に怒るべきか否かを考えた上で発動される情動ではなく、自分に危険が迫っていると自分が感じるだけで発動されます。だから
1 相手の自分に対する加害行為が無いのにあると思い込めば怒りの情動が沸き起こり相手に対する報復行動が起きることがある。

2 相手以外の他者から自分が攻撃をされていると感じることが重なると、自分は誰からも攻撃をされる危険があると思い込み、相手の些細な行動が自分を攻撃する行動だと感じやすくなり、その結果怒りの情動が起きやすくなってしまう。腫物に触るみたいなことでしょうね。八つ当たりもこの類型でしょうね。

3 不安をあおり、誰かの原因だと水を向けることで、その人が第三者に怒りを持ち、攻撃する事態を作ることが可能となります。


次に危険を認識した場合、どういう場合が怒りとなり、どういう場合が恐れとなるかについては以下のように考えられるのではないでしょうか。

動物の基本は、危険を感じたら逃げるという行動になる。
反撃を考える場合は
1)勝てると思う場合 戦えば勝てると思う場合は怒りがわいてくることが多いようです。

2)戦わなければならないと思う場合 典型的な現象はほ乳類などの母親が子どもを守る本能的行動です。子熊が可愛いので遊んでいたら、母熊は子どもが危険にあると認識して相手を攻撃するということが典型でしょうね。鳥類なども卵を守ろうとする行動がみられるようです。人間の場合は、ほ乳類として母親が子どもを守るほか、群れを作る動物として仲間を守ろうとする場合に怒りが発動されやすくなるようです。

さらに、自分だけで戦うのではなく、自分には味方や賛同者がいるということを確信している場合、自分は多勢だという場合も怒りによる攻撃に移りやすいようです。正義の怒りはこの類型に入るのでしょう。勝てると思いやすくなるし、戦わなければならないと思いやすくなるのでしょう。

弁護士として人間間のトラブルを見ていると、この怒りによって、人間関係の紛争が生じたり、大きくなったり、収拾がつかなくなったりということをよく見ています。第三者が人間関係の調整をする場合は、怒りという感情の出どこをよく考える必要があり、怒りの程度についても再構成をしてあげる必要があります。

特に、我々弁護士や支援者が注意しなければならないことがこの2)です。危険を認識している人を目にすると、無責任に元気にしたくなるのが人間の本能のようです。しかし、その支援によって、自分には味方がいるという意識を持たせてしまい、また正義の観点から戦わなければならないと思いやすくなり、怒りが生じやすくなったり、「恐れ」が「怒り」に転化してしまうことも生じます。

本当は危険がないのに、危険があるということを結果的に思い込ませてしまう場合もあるわけです。また、ひとたび怒りの行動をしてしまうと、その人の人生の基本となっていた人間関係が紛争状態となり、収拾がつかなくなってしまうということも実に多く見ています。

今から4千年近く前ハムラビ法典が作られ、人間の本能を理解した上で、本能のままに行動することによる弊害を回避する手段を確立していました。現代人はどうでしょうか。人間は必ずしも進歩しているわけではなさそうです。

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