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怒りは生活習慣病 小手先のルールよりも効果のある怒りの予防方法、生活習慣・環境の改善こそ [進化心理学、生理学、対人関係学]



「アンガーマネジメント」という言葉あります。この言葉があちこちで使われるということは、それだけ怒りで失敗したと感じる人が多いのだろうと思います。しかし、「アンガーマネジメント」で、怒りを抑えられるようになったという話はなかなか聞こえてきません。世俗的な(しかし受講料は決して安くない)アンガーマネジメント研修の二つの問題点を先ず指摘します。

1 怒ってから怒りを鎮めるという方法論は非科学的であるため実践できないこと

アンガーマネジメントの内容として多いのは「6秒ルール」です。「怒りを感じたら6秒待ってから行動する」ということなのです。これは科学的に考えると無理な話なのです。

なぜ無理かというと、「怒り」という感情は、自分が怒っていると気が付く少し前に既に始まっています。また、怒りと同時に攻撃行動も起きてしまっているのです。だから、「自分が怒っていると感じる ⇒ 6秒待つ ⇒ 怒りの行動の回避」という流れは、理屈上はあり得ません。「怒る+怒りの行動 ⇒ 自分が怒っていると認識する」という流れが本当だからです。行動に出てしまってからでも、怒りが静まればまだましかもしれませんが、怒りは一度大きくなるとなかなか静まりにくいという性質があります。

怒らないようにするためには、怒りを感じたその時どうするかではなく、怒らない体質を作るということで、常日頃の予防こそが実現可能な方法だと思います。
もっとも世俗的な研修でも6秒ルール一本で怒りを鎮めようとするものはあまり無いようです。

2 怒る人にばかり原因をもとめ、怒る人だけに対策をさせようとする

確かに怒りやすい状態になっている人はいますし、現代社会では多くなってきているようです。怒る人が怒らなければ問題が解決するという安直な考え方をする人たちは多いようです。「加害者教育」という考え方はその純粋形でしょうね。

怒るのは、怒る人だけに原因があり、怒る人だけが悪いのでしょうか。

怒る原因は、前回の記事でもお話ししましたが、自分に危険が迫っていると認識し、危険を破壊することで回避しようという行動です。このような危険を感じる原因としては、

対人関係的な危険が迫っている、つまり、意識的か無意識であるかを問わず、自分が仲間として扱われたい人から否定評価を受けるという危険を感じている場合に起きることが典型でしょう。

しかし、このような対人関係的危険の意識(不安)は、実際の怒りの対象の人間の行動がなくても、
・ 内科的あるいは婦人科的疾患によって引き起こされたり
・ 薬の副作用で起きたり
・ 妊娠、出産などのホルモンバランスの変化
・ あるいはいじめを受けたなどの過去の人間関係上の経験
・ 何らかの精神疾患
・ 人格的な問題
・ 他の人間関係での是正を求めにくい不合理な扱い
等々、様々な理由で、本当は危険が迫っていない場合にも、危険が迫っていると感じやすくなっていることから危険を感じ、怒りの行動をしやすい状態になっていることが本当です。

何らかの疾患があればきちんと治療を受け、薬が合わなければ変えてもらったり、普段の人間関係を円満にしたりすることこそ、怒りを起こさない根本的な対処方法です。また、この対策を効果的にするためには、一人で頑張っても難しく、周囲の協力があれば効果的に怒りを予防できます。不安を感じさせる行動を無くして、安心をさせる言動をかけてあげることによって不安を感じにくくできて、怒りに転嫁しにくい体質が生まれていきます。

環境を変えるという地道な生活習慣を身に着けることが大切です。問題はその環境の作り方です。

3 すべての人間関係が円満になるはずがないということを意識すること(あちこちに手を出さない)

怒る人を見ていると、多くの割合で、真面目過ぎる人が多いことに気が付きます。その人の怒りをその人の視点でみると、「それは怒っても仕方がないな」とつい思ってしまうことがあります。しかし、思い直してみると、「何もそこまで難く考えなくてもいいのではないか」とか、「そのような人にまでそんな期待をしていたらきりがないだろう」という感想を持つことに気が付きます。

怒りやすい人は、およそ人間であれば、すべての人が自分に配慮しなくてはならないとかという思いが強すぎるように感じます。逆に言うと、すべての人間関係で危険を認識してしまうということなのだと思います。これでは身が持ちません。

朝起きてから会社に着くまででも、とてつもない数の人間と顔を合わせます。店に入れば店員と言葉を交わすこともあるでしょう。それらすべての人に正義や配慮、あるいは合理性を求めていたのであれば、怒りも出るでしょうが、相手からの反発も出てしまいます。

「ご自分」は唯一一人ですが、通行中に触れ合う人やコンビニで対応してくれる人からすれば、「ご自分」は無関係なその他大勢の一人です。配慮を求めてもピンとこないことは仕方がないことかもしれません。

やるべきことは、自分が大切にするべき仲間の人間関係と、それ以外の人間関係を区別することです。

大切にするべき仲間以外に対しては、自分への配慮を求めることをやらないことです。自分を良くも悪くも無関係の存在として扱う人たちが存在することを自覚することが第一歩です。配慮をされなくても自分は攻撃を受けているわけではない、気にすることではないということを腹に落とすことです。

4 大切な仲間からは配慮されるように自分で仲間づくりをする

「自分が大切だと思う仲間」、つまり「いつまでも一緒にいたい仲間」が誰なのかをはっきりと自覚して、その仲間が自分に自発的に配慮するような人間関係を作ることが、怒りを抑える特効薬になると思います。

その仲間は家族であるべきです。子の連れ去り別居事件を多く担当していると、普段は意識することが少ないにしても、家族がかけがえのない存在であるということを知らされます。連れ去り別居をされた男性は、時には生きている目標を失い廃人のようになることもあり、職場なり社会的信用なり様々なものを失うこともあれば、自死に至ることも少なくありません。好きあって認め合って結婚した相手で、長い間一緒に生活する人間は、自分では自覚が無くてもかけがえのない仲間のようです。その仲間が自分に対して自発的に配慮をすることで、自分のベースキャンプを確かなものにすることが、怒りやすくならない特効薬になるということです。

ではどうやって、自発的に仲間から配慮される関係を作るかということに移ります。

最善の手はこちらが先ず仲間を安心させる行為をするということです。究極の安心感は、どんなことがあっても決して見捨てないということを示すことです。感謝する、謝罪する、労力に対して評価を表すということが基本です。また、仲間の失敗、不十分点、苦手なところを責めない、批判しない、嘲笑しないということも有効です。そうして、改善するべき点があれば一緒に考えるという態度をしめすということです。

それらをできるだけ言葉にすること。

それから情報伝達以外の会話を行うこと。相手の話にうなづいて、共感できるところ、肯定できるところを探し出してでも共感し肯定すること。「仲間の間に無駄話なし」ということを意識することです。

自分が努力することによって、相手も同じようにふるまおうという意識が出てきます。だから、自分が努力することで図に乗って尊大になる人とは仲間になってはいけません。しかし、人間はどこかそういうところがあるので、大抵のことは許すという作業が必要になるでしょう。多少の図に乗ることでいちいち「そうすべきではない」と怒っていたら本末転倒になるでしょう。

そうやって仲間に安心感を与えることで、居心地の良い人間関係を作る。これが王道だと思います。自分は家に帰ればかけがえのない仲間がいるということで心に余裕ができ、大抵のことは怒らないで乗り切ることができるようになると思います。また、仲間を大切にするという行動パターンは、仲間の外で自分に無理をさせることを予防することになります。

このプログラムを一人で行うことを念頭に書きましたが、仲間がみんなこの方向性を理解して、共通目標として行うことで、より効果的な仲間づくりができるということになります。大切なことは人間は失敗をするということです。それをとことん責めることをしないで許し、支えることで怒らないどころか、幸せな人間関係が形成されていくと考えています。

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