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行動決定の原理 1 総論 人間は考えて行動しているわけではないこと 意識の生まれた時期と原因、意識とは何か [進化心理学、生理学、対人関係学]



第1 人間はできるだけ考えないようにする動物であり、考えて意思決定しているわけではないことを仕事柄感じていること
第2 情動(一次)による行動決定
第3 二次の情動
第4 意識の始まり
第5 情動の側部抑制

このシリーズ考察の最終目的は、人間の行動決定原理をある程度明らかにして、自殺、犯罪、離婚をはじめとする社会病理の行動を予防する効果的な方法を考えることです。

第1 人間はできるだけ考えないようにする動物であり、考えて意思決定しているわけではないことを仕事柄感じていること

私の仕事としては、自死の原因を後追いで調査し検討すること、犯罪の起きた原因を考えて再び犯罪を行わないためにはどうしたらよいかをその人と一緒に考えること、そして離婚に至る原因を考えて離婚を予防して、あるいは家族をそれぞれに適した形で再生させて、子どもたちが両親のもとで成長することを可能とすることが中心になっています。

私の仕事は、人の行動決定を見つめて考えていることだと言えるような気がします。

結論めいたことを先に言うと、人間は、そのような重大な行為を実行するにあたって、「それほど分析的に熟慮をして行動決定するのではなく、様々なことを考えないで一つのことに支配されて行動決定を行って行動する」ということ、そして行動をした後で自分の行動に気が付くということが多いのではないかという感想を抱いたのです。約30年の弁護士の仕事の中で、自死問題については未遂の人からの事情聴取や自死の現場の状況から、犯罪については刑事弁護を担当する被疑者被告人からの事情聴取や捜査資料、あるいはこれから自首をする人たちからの事情聴取、離婚については両当事者から事情を聴いたうえでの結論です。

例えば犯罪どうして犯罪を行ってしまうのでしょう。犯罪をすると広く報道されてしまい、自分のしたことを知られてしまったり、損害賠償を請求されたりする危険があります。そういう不利益があるのにどうしてその犯罪を実行したのかについて本人から話を聞くと、「そこまで考えていなかった」ということが多いです。また「気が付いたら罪を犯していた」という回答も実に多いのです。自死未遂者の人たちからお話を聞くと、この場合も当然考えての行動だろうと第三者が感じることを「考える余裕が無かった」ということが多かったです。離婚や別居についても、離婚後のお金の問題や子どものことをはじめとして熟慮するべきことが考えられていないことも少なくありませんし、離婚を回避しての修復の方法などについても考えていないようです。

様々な心理学実験によって、「人間は、熟慮をして分析的に考えて行動決定をしているのではなく、その時々の外界の刺激によって、自分が気が付かないうちに行動決定をしている」という知見が示されています。

いつも近くにいる人が仲間だと思ってしまう「単純接触効果」、質問の表現によって回答を誘導されてしまう「フレーミング効果」をはじめとして、ダニエル・カーネマンらが一群のヒューリスティック思考をまとめています。十分に考えないで即時に結論を出してしまい、かつ他人を信じてしまうというのが人間のようです。

それにもかかわらず私たちは、人間何か行動をする時は、①十分考察した上で判断して、判断資料に基づいて②自由意思で行動決定を行って、③行動を開始していると考えています。そうではないことが多い、私たちの常識は実は科学的ではないという科学の結果から考察が始まっています。これまでの考察が、上記①,②、③の人間像を前提にして考えられているので、原因論や対策論が間違っているのではないか、その前提を否定して新たな行動決定原理を作ってこそ、正しい分析が行われ、効果的な対策が構築できるかもしれないということです。

第2 情動(一次)による行動決定

ではどのような過程を経て行動をするかということについて、「情動」という概念と、「情動」の中でも「一次の情動」と「二次の情動」というものに突き動かされて行動決定しているということをお話しします。

情動は「エモーション」の訳語です。「エモい」という言葉の語源ですね。ほぼ「感情」と同じ意味ですが、感情については無感情があるけれど、情動については無情動が無いことが違いだなどという説明もなされることがあります。

情動は、それによって行動をする心の動きというイメージになると思います。アントニオ・ダマシオという脳科学者は、情動には今まで知られていたもののほかに、二次の情動が存在するということを明らかにして(「デカルトの誤り」)います。二次の情動について理解するためにも、先ず一次の情動についてお話しします。

一次の情動による行動決定は、私たちも理解しやすいと思います。
危険が迫ってきたことを示す情報を脳がキャッチして、怖いと思って、逃げるという場合、怖いということが情動の一つであることがわかります。歩いていたらスズメバチが飛んでいるのを見て怖いからそちらの方向に歩くのをやめるとか、何かの物体が飛んできて自分に近づいてくるのを見て腰をかがめてよけるとかということが典型です。

危険が迫ってきたことを脳がキャッチして、怖いとは思わないけれど不快だと思った場合は、怒りを感じて、攻撃を行います。怒りが情動の一つとなります。ゴキブリが出てきたので、殺虫剤をかけたり潰したりして攻撃するということですね。
逃げるか戦うかということが最も基本的な情動による行為です。

その他にも、森を歩いていて甘い果物を見つけて取って食べるというのも喜びの情動とでもいうのでしょうか。そういう報酬系での行動を起こさせる情動もあるわけです。

情動に基づく行動は、意識が介在する余地はありません。反射が典型的ですが。反射以外の情動行為もあるわけです。野生の熊が遠くに見えたので、反対方向に逃げるということも情動に基づく行為でよいと思います。本当はこの場合も、意識的に逃げ道を選択したのではなく、実際は反射的な行動みたいなものかもしれません。ただ、ここでは、情動が高まりすぎると意識は介在しにくくなり、情動が鎮まると意識が介在しやすくなると言っておこうと思います。

この一次の情動による行動は、人間が生きていく上で必須な行動決定様式です。スズメバチが近くにいて分析的な熟慮をしているうちに刺されてしまわないように、即時に決断をすることが有益であることはお分かりだと思います。知識が無くては生き残れないというシステムよりも、本能的に怖いと考えて逃げるという行動パターンが自動的に出てくる方が身体生命の安全にとっては、効果的なわけです。

特にこのような情動による行動の場合は、行動決定を行う前に①脳が行動を起こしており、脳によって既に逃げるという行動が開始されて②そのあとに逃げようと自覚して、③逃げるというパターンになるようです。意識は、あくまでも「①自分が危険を意識して、②逃げる意思決定をして、③逃げる意識決定に基づいて逃げる行動を開始した」というもののようです。脳が勝手に逃げ出したということは通常自覚できないということです。
脳の行動開始から自覚までのタイム差は0.4秒くらいというのが、リベットという人たちの実験結果であり、その後の実験でも検証されていることです。

個人的にそれで合点が行った出来事がありました。長い直線道路を自分で自動車を運転していたのですが、前を走っていた車両が急に停止してしまったのです。どうやら右折をすることを直前で思いついたようです。これからブレーキを踏んだところで止まって衝突を回避することは到底間に合わないので、私は、自分では衝突してしまうだろうと思っていました。しかし、自分が考えるより先に、思い切りハンドルを左に切っていて衝突どころか接触も避けることができました。自分でハンドルを切るという意思決定をしたという意識があまりありませんでした。自分ができる以上にハンドルを回したので、しばらく肩がとても痛かったです。私は、亡くなった父親や義父が私の腕をもってハンドルを切ってくれたのだと考えて感謝することにしました。しかし、リベットの実験を踏まえると、様々な要素を目で見て脳がキャッチして、最も合理的行動を選択してその通り実行したという無意識の行為、脳が勝手にした行為だと言われれば合理的な説明がつくことに初めて気が付きました。感謝はし続けますが。

このように熟慮をしないで情動に基づいて無意識に行動することは、現代社会においても生きていくために必要なシステムだと実感した次第です。

第3 二次の情動

二次の情動について、アントニオ・ダマシオは「デカルトの誤り」の中で、鉄道敷設の際の事故で頭蓋骨に鉄パイプを貫通させてしまったけれど生きていた男性の分析から、鉄パイプで損傷した脳の部分(前頭前野腹内側部)は、二次の情動を起こさせる脳の部分であるということを解明しました。

脳の部分的欠損によって、周囲と協調して温厚に生活することができなくなり、節度を保てなくなったり、利益にばかり目を向けて損をする確率を度外視してしまう傾向になったりという不具合が生じたと結論付けました。これは二次の情動が機能不全になったために起きた変化だというのです。

私は「二次の情動」とは、結局人間が群れを作るための情動なのだと考えています。人間は言葉を使う前から群れを作っていたわけですが、どうやって群れを作ることができたのかというと、この二次の情動があったからということになるのだと思います。厳密にいうと二次の情動があった個体群だけが生き残ることができて、生き残った人間という種の共通特徴になったということです。言葉を変えれば、突然変異が結局遺伝子に組み込まれたという結論になるのだと思います。

群れを作る動物はたくさんいます。水族館でみるイワシの大群の群れは光を浴びてキラキラと輝きとても美しいものです。この群れはイワシが「群れの内側で泳ぎたい」という本能があるために形成されているようです。何らかの群れを作る目的意識があるわけではなく、本能的な問題だそうです。馬は群れの先頭に立って走りたいという本能があるそうです。だから群れで逃げると先頭を競って早く逃げることができるようです。

人間にもこのように結果として群れを作るための本能があるわけです。つまり、
・ 群れから離れて孤立することに重大な危険の意識(不安)を感じる
・ 但し、群れにいても、群れから仲間として認められていない兆候を感じて不安になる。例えば低評価、攻撃を受けることの容認、排除の意思表示を受けること、自分に対する不合理な扱いを仲間が容認すること
・ 群れの中で尊重されると安心する
・ 自分が尊重されるべき存在だと思うと気持ちが良い。例えば群れの役に立つ行為をする。群れの仲間を助ける。群れの敵を駆逐する。
・ その結果不安が起これば原因除去のため自分の行動を修正するし、尊重されるべき自分が納得できる理由がなく否定評価されれば絶望するということが起きるようです。

これらの不安と不安に基づく行動修正は、一次の情動の発現パターンと一緒です。つまり、蜂に刺されないように蜂から遠ざかるように、自分が他者から嫌われないように自分の利益のために他者に損害を与えることをしない等という本能的行動だということになります。

これらのパターンは人間だけでなく、群れを作る動物においてある程度共通している可能性があります。但し、行動を完全に遺伝子でプログラミングされているような動物では、そもそも二次の情動を起こすような行動(群れから自分の評価が下がる危険のある行為)は行わないようにプログラミングされているのかもしれません。人間は個体の自由度を上げる代わりに、不安という心を作り、群れにとどまらせようとして群れを形成したと考えています。

人間が群れを作るようになったのは、他の群れを作る動物よりもだいぶ遅かったということになるでしょう。元々長い間個体として、群れを作らないで生活していたのに、ある時期から突然変異で二次の情動が活発となった個体群が増加して、群れを作るようになっていったということかもしれません。人類がゴリラの共通祖先から分かれても1千万年は経っていないようです。そのため、群れにいればそれでよいというわけにはゆかず。個体として生きたいという気持ちがどこかに色濃く残っているのかもしれません。

人間が群れを作るために他の動物と大きく異なることは、他者(仲間)に対する共感力、共鳴力が強いということです。「ミラーニューロン」という仲間のマネをしたいという、マネをすることを上手にさせる神経系が、仲間の感情を的確に把握して、仲間の言動、態度から不安を感じさせたり、効果的な修正行動を思い浮かばせたりしているようです。

また、人間の心が生まれた200万年前の群れの環境(狩猟採取時代)が、二次の情動を起こし、共鳴共感を活発にすることでメリットだけがあり、デメリットが無かったことが支えになっていると思います。進化人類学の知見では、当時(狩猟採取時代)は、人間は生まれてから死ぬまで一つの群れで過ごしており、その人数は平均すると150人くらいだったと言われています。他者の個体識別ができる人数が脳の白質(頭蓋骨の大きさと形)から割り出されるそうです。

つまり、自分以外の人間は、全員生まれながらの付き合いであり、一人一人にそれなりの個性があったとしても、相互に知り尽くしているわけです。ミラーニューロンも強かったことがさらに理由となり、他者の情動は、自分の情動としてとらえ、他者が困っていたら助けていたことでしょう。仲間意識は極限まで強く、極端に言えば自分と他人の区別がつかないほどだったと想像できます。野獣に襲われればみんなで反撃したでしょう。誰かに損をさせて自分だけ得をしようとそもそも思わなかったし、そういう行動をしてしまうと仲間から攻撃されたことでしょう。群れに対する依存度も高く、群れから排除されることは死に直結することはそれほど考えなくても理解できていたと思います。まさに運命共同体であり、それが可能な人数だったということです。

二次の情動も情動ですから一次の情動と同じように、十分熟慮しないで行動に移せるようにプログラムされていたということになります。

第4 意識の始まり

150人の単一の群れで生活していた時(「狩猟採取時代」と言われます。)は、情動によるプログラミングされた行動だけで十分生存することができたと思います。何か行動を迷うとか、熟慮が必要な判断を迫られるということはなかったからです。仲間は、自分にメリットをもたらすだけの存在だということに疑う必要もなかったと思います。仲間を信じて、後は情動に任せて生きて行けばよかったと思います。

狩りをする時には、自然とリーダーが生まれ、その人の言いなりに行動をすればそれでよかったし、そうしなければいけなかったので、個々人はリーダーに迎合すればよく、リーダーの指示を自分の頭で検証する必要もなかったわけです。

それでも他の動物よりも比較的遅く群れを作り始めた人間は、時折、小さな疑問や葛藤を生じさせていたかもしれません。

「あれ、こっちから回り込んで追い詰めようと思ったのに、そっちから行けと言われちゃった。」とか、「自分の行動が一番貢献度が高いはずなのに、自分の子どもへの分け前が少ないのではないか。」とか、一瞬の疑問、わだかまりというものは存在していたのではないかと想像しています。でもそれは、二次の情動によって、明確な意識とか疑問になる前に消失していたのだと思います。しかし、遺伝子に残された個体単位で生活していた時の記憶という方があったことはとても大切なことです。いくら突然変異と言っても、何もないところから突然意識が生まれたというのは無理があると思います。

この萌芽を元に意識が生まれて、発展していったのだと思います。
今から1,2万年前に、人類が農業を始めて、比較的狭い場所で150人を大きく超える人間と関りを持つようになり、同時に複数の群れが共存するようになったことをきっかけに意識が生まれたのだと思います。

意識に先行して、あるいは相互に影響しあって、言葉が生まれたのだと思います。それまで共感力、共鳴力、仲間意識と慣行とリーダーの権威によってすべて事足りていたのですが、複数の仲間が共存する場面では一人のリーダーの権威では解決しづらい問題が生じたはずです。また、ルールを定めて争いを無くして共存するためには、ある程度の期間、ルールが持続する必要があります。共通理解するために言葉(数字を含む)が必要になり、生まれたのだと考えています。
そして言葉を使って意識が生まれてきた、あるいは大きくなってきたのではないでしょうか。つまり、Aというグループにいる自分が、Bというグループとの利害調整のために行動をしなければならないという事案がたくさんできてきたはずです。その際に、双方が自分の利益だけを主張したのでは話がまとまらず、どちらかが死滅するまで戦いになってしまい、結局は人類は滅びてしまったはずです。人類は滅びませんでした。その理由は、どこかで調整をして、あるいは一方が他方を支配するという形で共存をしていくことができたからだったはずです。そうだとすると、共存の落としどころを探すためには、自分の利益、自分の情動だけでなく、双方にとって都合の良い、あるいはぎりぎり納得のできる結論を出さなければなりません。これは情動では解決しない問題です。

このために自分の情動(心の状態)を自覚するようになったり、情動を抑制する方法としての意識が発達していったのだと思います。せいぜい今から1,2万年前のことですし、そもそも人間の脳(頭蓋骨の形と大きさ)は200万年くらい前から進化をしていないそうです。狩猟採取時代の小さな意識(自分と群れとが対立しているという小さな違和感を形成する力)を発展させていく形でしか意識は形成されなかったのだと思います。また、人間がそのように情動から独立することには慣れていない、脳が進化していないということから、つい熟慮が必要な場面でも、情動によって思考を省略して行動をしてしまうことが未だに続いているのだと思います。

まだ、意識が生まれて高々2万年くらいしか経っていないので、進化が追いついておらず、その後の環境の変化(かかわりあう人間の数の膨大化と所属する群れの複数化)と脳の間にミスマッチが起きてしまっているのだと思います。

第5 情動の側部抑制

痛いと感じることも情動の一つだと思います。痛いから体を動かさないというような行動パターンが生まれる契機になると思います。ただ、「この痛みは、あちこちが痛いはずでも、一番痛いところしか感じない」という問題があるようです。これを生理学的には「側部抑制」というそうです。

側部抑制については私は大いに思い当たります。
腰が痛いので湿布を塗ったところ、スース―することもあり痛みを感じなくなった途端、肩の痛みを自覚したので湿布薬を塗ったら今度は膝の痛みを感じるということを年齢を重ねた成果良く経験しているところです。

どうも意識に上るのは、一番大きな痛みだけのようです。どうやら一番重大な、一番強い情動だけなのではないでしょうか。

後に具体的に見ていくのですが、様々な社会病理の原因は、この側部抑制の減少が二次の情動にも働いてしまい、どこかの人間関係で悩んでいると、別の人間関係のことを考えて行動することができなくなってしまって行動を起こしてしまうという理屈が良くあてはまるように感じているところです。

今日お話ししたことを道具として、犯罪、自殺、離婚の順番で行動決定の分析と予防策を考えていきます。

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