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働くルールはなぜ必要か(中高生向け) 働き方改革は何を目指すべきか [労務管理・労働環境]


中学生向けに話をする必要に迫られて、例によって書きながら考えるわけです。
お題は「働くルールはなぜ必要か」。

先ず、働くルールということで、働き方に関する法律を見てみると、あらゆる方法で労働者保護を実現しようとしていることがわかります。労働基準法、労働安全衛生法、労働組合法、雇用保険法、労災保険法、最低賃金法等々。使用者だって保護されたいと思うのですが、それを目的とした法律はありません。ここで一言ずつ各法律の労働者保護の方法を説明しましょう。早口にならないように注意が必要でしょうね。

次に労働基準法の概要についてお話ししていきます。これ詳しく話すと長くなり、詰まんなくなりますから、資料を作成してそれを見てもらいながら概括的な構成を話すとはしても、理念と労働時間の定め方についてある程度詳しく話していこうと思います。

理念については、労働基準法を勉強した時は自然に頭に入ってきたのですが、労働条件を労使対等に決める(2条)なんて条文があって、現実にはどうかななどと考えていると理念にとどまるのかななんてことを不謹慎にも考えてしまいます。

賃金に関する男女平等(4条)や差別禁止(3条)も定められていて、これも勉強した時は「それはそうだな」と思っていたのですが、案外味わい深い条文であるように思えてきました。この条文の説明としては、労働者は「人間として扱われる権利がある」ということを言おうと思います。人間として扱われなければ、とても辛く、それだけで不幸になるということを法律を定めた戦後直後の国も考えていたのでしょう。このあたりも、死ななければよいという程度の法律ではないということがよくわかると思います。ちなみに5条は強制労働の禁止です。

理念をお話ししてから大事なところは労働時間についてです。あまり突っ込んだ解釈ではなく、なぜ労働時間を規制する必要があるかということを主としてお話ししていきます。

私が大学で労働基準法の講義を受けたのは松岡三郎先生でして、まさに労働基準法を官僚として作った方の一人なのです。私の大学は労働法の先生が多いのですが、わざわざ明治大学で教授をしていた松岡先生に労働基準法を講義するプログラムとしていただいたことはありがたいことでした。

労働時間の基本は週40時間、一日8時間を超えて働かせてはならないということです(32条)。36協定という例外がありますが、36協定もなく単純に違反をすると刑事罰の対象となるほど、厳しい規定となっています。なぜ、このような労働時間制限を国のルールとして定めたかについて、松岡先生は一言、「早死にさせないためだ」と説明されていました。

私が講義を受けたのは昭和の終わりであり、まだ過労死という言葉が普及してはいない時代です。ましてや、条文が作られた戦後直後に過労死という概念もありませんでした。それでも「働きすぎると早死にする。」ということは、国もそう考えていたということが興味深いです。

考えてみれば、実際に戦前でも過労死はありました。現在では、栄養状態が良くなり、医学も進歩していますから、くも膜下出血や心筋梗塞、あるいは自殺が過労死の原因の多い病名です。当時は、働く環境も悪く、栄養状態も悪いので、働きすぎで死ぬ病気は、結核や栄養失調だったわけです。「ああ野麦峠」や「女工哀史」の知識があれば、思い浮かぶ常識です。

それにもかかわらず、過重労働神話みたいなのがあって、「丁稚として修業して誰よりも早く起きて働く準備をはじめ、誰よりも遅くまで片付けや掃除をやって、ついに有名な職人になった、成功の秘訣はひたすら働くことだ」なんてことを言うバカもいるのです。何がバカかというと、そんなことは多くの丁稚たちがやっていた。でも多くの人たちは結核や栄養失調で亡くなってしまった。成功者はほんの一握りの人間だということを見落としているのでバカと言いました。

大体そういうことを言う人は、自分は勤勉に働かず、出世ばかりを目的に要領よく立ち振る舞ってそういうことを言う立場に上り詰めた人が多いのではないでしょうか。

時間があれば、過労死と労働時間の関係も説明したいのですが、ここは資料2でおおざっぱな認定基準を述べるしかできないと思います。

残業割増手当(37条)についても、松岡先生に言わせれば「早死にさせないためだ」とのことです。残業をさせると高くつくという意識を使用者に持たせて残業をさせないようにしたのだということでした。

そして有給休暇(39条)について説明をしたいと思っています。働いてもいないのに賃金を得ることができる制度があることは、とても興味深いことです。これわたしの司法試験の口述試験で上智大の山口先生から出題された論点でした。

過激派の人が違法闘争目的に有給申請をした場合に、使用者は有給休暇を認めて良いかという趣旨の問題でした。有給休暇は、目的の制限が無い休暇であるので、目的を聞くことはできない、何らかの理由で目的を知ったとしても、業務の運営に支障が出ないならば有給休暇を認めないことはできないと答えたのですが、山口先生は少し物足りない様子をされました。

後に恩師にその話をしたところ、使用者が有給休暇を認めるか否かの判断に公序良俗などの要素を考えなければならないとしたら、使用者に過度の負担、危険をかけることになるのではないかという意見をいただきました。30年たっても覚えているものですね。今は、とてもその回答のすばらしさを理解することができます。

まあ、そんな話は生徒さんにはしないのです。
有給休暇という目的制限なしの休みをとることができるという働くルールを労働基準法は持っているのだということを述べるわけです。そしてその理由としては、使用者の指揮命令に基づく組織的な労働をしていると、疎外が生まれる。だから人間性を回復するために労働現場から離脱することが認められているということが、教科書的な説明でしょうか。

労働基準法の人間観が垣間見られる味わい深い条文だと改めて思いました。私も労働者を雇用しているので、この有給休暇の消化をいかに促進するかということを考え実行をしています。複雑な気持ちで有休をとってもらうよう努力しているわけですが、休み明けにリフレッシュして働いてもらえるなら、考えようによっては安くついているのかもしれません。

そういった法律の外観をみたあとは、どうして労働者保護のルールが必要かということに移るわけですが、イデオロギー的な説明も可能なのですが、私はそのような説明には意味を感じないので、先ずは歴史的に保護のルールの無かったころの話をして、労働者が構造的には弱い立場であるということを教科書的にお話ししていこうと思っています。

そうして、労働者保護のルールを作ることの国家としてのメリット、必要性をお話しします。その中で、自分がその不幸な労働者ではなかったとしても、不幸な労働者を見ていると精神的に不安定になり、全体として殺伐とした社会になってしまうということを説明していきます。社会政策学で言われている、最良の刑事政策は社会政策であるということを、刑事弁護人の立場からもリアルに伝えられるでしょう。また、統計的に、完全失業率、自殺率、犯罪認知件数、離婚数、破産申立件数が連動しているということを平易に付け加えることができたら一緒に考える助けになるでしょう。

ミラーニューロンや防衛機制について、そんな言葉を一つも出さないでリアルな話ができると思います。

つまり人間はそういう動物だということが裏のテーマになります。

最後にわかっていながら、働かせすぎてしまう原因について、やはりイデオロギー抜きでの話をします。ここでは、企業体としても、一度に二方向のことを考えることが難しく、条件が重なるとますます働かせ方について配慮ができなくなるということをリアルに伝えていきます。これとは別にブラック企業への注意喚起は改めて必要かもしれません。

そして、実は労働者側も様々な理由から働くことにのめりこんでしまい、自分が働きすぎであることに気が付かず、家庭のことや自分の健康をかえりみないで働いてしまう要因があるということをお話しします。法律や通達のルールは、自分を守り家族を守るためのルールなのだということがキモになるでしょう。ここは、実際の過労死事件を多く担当し、どうしたら過労死しないで済んだのかを常に考えてきた結論のようなお話です。

ただ、だからと言って家族をないがしろに考えているわけではないということについては過労自死などの事例を挙げて伝えたいと思います。

なんのために働くか、人間は本当は何を考えて、何を大事にして行動するべきなのか。そもそも人間とは何なのか。これからもずうっと考えていただきたいと思います。

考えるためには、今身近にいる家族や同級生とどのようにかかわるかということを手掛かりにしてほしいということで、お話を終わる予定です。

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