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人権とは何だろう。家庭の中の人権 [事務所生活]

今度行われる県の企画に関わっているのですが、
自分で、「家庭の中の人権」というフレーズを話していたのですが、
よくよく考えると、厳密な意味では正確なのかわからなくなってしまいました。

日常用語としては、問題ないのです。
法律用語としては、いささか問題なのです。

それこそ、教科書には書いていない、
法学上の共通認識の問題なのです。

人権というと、基本的人権のことを言い、
人間が生まれながらに持っている権利ということになるでしょう。

問題は、憲法等で保障される人権は、
1 国家から侵害されないことを保障される自由権
2 国家が実現しなければならない社会権
等があり、
いずれも、対国家という文脈でとらえられているのです。
国家概念を抜きにして、法学としては人権を語れないはずなのです。

ところが、
例えば、人権擁護委員会等で相談を受け付ける場合、
国家や自治体はあまりでてきません。

言ってみれば、普通の法律相談です。

人権啓発活動という場合も、
国家はでてきません。
作文で出てくるのは、
障害や疾病のある人の人権、
家庭の中のお年寄りの話、
部落差別の話、
ドメスティックバイオレンス、
児童虐待。

国家と関連はあるのですが、
啓発活動でも、相談活動でも、
どちらかというと、国家的視点は無く、
一人ひとりの意識の問題がクローズアップされているようです。

国家による侵害、国家による救済という視点が、
もののみごとに欠落している。

これはどういうことでしょう。

弁護士は、法律実務家として、
目の前の困っている人、悩んでいる人の救済を考えます。
国家的視点など考えている暇はないので、
今まで、意識しませんでした。

しかし、法律学徒としては、
本当は、人権とは何かを考えなければならなかったのです。

例えば、児童虐待において、
「虐待されている児童の人権が侵害されている。」
というフレーズは、
日常用語としては、全く正しいと思うのです。

しかし、法律学徒としては、
それでは、虐待されている児童はどのように人権救済されるか
ということを考えなければなりません。
親に対して損害賠償を請求できると言っても、
あまり意味の無いことでしょう。

法律学徒としては、
虐待されないことが人権だとしても、
国家から侵害されないという意味の自由権ではないので、
どういう風に権利として構成するか、
悩まなければならないはずです。

ストレートに表現する言葉がなかなかでないので、
恐縮ですが、
それは、言葉の問題ではなく、
国家の責務ということを法律の視点から、
人権の構成から、問題提起をしなければならない

個別救済にとどまっていたのではいけないはず
というわけです。

そうやって考えると、
最近、社会権的視点が後退していることに
気がつきます。
私が憲法の勉強をしていないこともあって、
無知なだけかもしれませんが、
我々の頃の(2,30年前の)憲法学は、
今どこにいるのでしょう。
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