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2010年代の国家論 1980年代からのメッセージ 虐待されない権利  [自死(自殺)・不明死、葛藤]

昨日のブログで、
自分の自殺対策にせよ、児童虐待防止にせよ、平成10年問題にせよ、
人権問題について、国家という視点が弱かったことに
気がついて、いささかショックを受けています。

しかも、人権擁護委員会という国の仕事や、
人権教育指導者養成という県の仕事に関わって、
それに気がつくということは、皮肉なことでした。

私が法律を学んだのは、1980年代ということになります。

それ以前の1970年代というのは安保闘争ということで、
生活と国家ということが強く結びつけられて意識されていました。
貧困ということについても、今日のように個人の問題ということではなく、
生存権という、憲法上の権利との関連で議論されていました。

さらにそれ以前の戦後から1960年代は、
終戦から日本国憲法が成立して、
新しい社会を築くということで、
戦争を犯した国家というものについて振り返るという
基盤が作られたのだと思います。

奇妙なことに、1980年代の大学は、
そのような、学ぶ気風が後退していたと思います。
大学の講義さえ、いっぱいいっぱいで、
さらにその先を学ぶということを求めていた学生は、
少数派だったと思います。

法律学なので、国家概念を抜きにして研究は成立しませんが、
国家国家ということと、学生運動がかぶって、
サークル等で勉強をすることに警戒心を
持たなくてはならないということはあったように思います。

私はというと、見事なまでに宙ぶらりんで、
つまみ食いというか、試食専門というか、
硬軟、清濁、何でも来いという感じで、
1970年チックな勉強もちょっとかじったのでした。

一般的に分かりやすいというか、エッセンスは、
岩波新書の「現代法の学び方」という本で体感することができます。
但し、1969年発行ということで、
もしかしたら絶版かなあ。

まあ、わかりやすく言えば、先ほどの生存権ですね。
朝日さんという生活保護を受けていた人の、
保護の内容があまりにも悲惨なので、裁判になった事例でした。

憲法25条は、健康で文化的な最低限度の生活をする権利を保障しています。
生活保護の内容が、この憲法25条に違反するという裁判でした。

それを考えると、
児童が虐待されないで育つ権利、
自殺に追い込まれないで仕事をする権利、
もっともっと権利構成ができるはずだし、
憲法25条ということはもっともっとクローズアップされるべきだと
いう気がしてきます。

まあ、それで裁判やるっていうほど、裁判所に求めるわけにはいきませんが、
個人と国家との関係をもう少し意識しなければならないような気がします。

いつの間にか、自立自助、民間活力というか、
人権(ひとたびそれが侵害されると人として切なすぎるもの)侵害や
自殺問題、児童虐待等を、
世論で解決することに頭が向いてしまっていました。

国家が透明化してしまっているようです。

国家に解決してもらうのではなく、
国家は解決の基盤を構築する政策を実行しなければならない
ということになるのでしょう。

1980年代、われわれの勉強の理解が浅かったということもあるのですが、
国家、国家と、国家を目の敵のように論じていました。

2010年代の国家論を新たに構築するべきなのでしょう。

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