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社会の中で調和して生活する本能仮説 人間は屈辱に耐える仕組みにはなっていない。 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

精神医学か脳科学か、正解は、
人間は欲望、情動を持つ動物で、大脳のどこだかにそれを抑えようとする場所があり、
そこの働きが弱いと情動を制御できなくなるということらしいのです。

私の事件を見てきた実感は、ちょっと違うのです。

前にも書きましたが、人間には社会と調和を持って生存したいという
本能があるように思うのです。

この本能も、食欲、睡眠欲、性欲とある種同列の本能です。
私は、
各本能自体が、無制限に欲望を追求するものではなく、
本来適度に欲望を充足させるメカニズムがあると思っています。

例えば、際限なく食べ続けるというのは、
このメカニズムに狂いが生じている状態だと思います。

性欲だけは、期間限定で、多少メカニズムがくるうことが予定されていますが、
調整が効かなくなる状態は、
統合失調症という診断がなされることがあるようです。
こういう事件に関わって、初めて知った時はショックでした。

要は、本能をどうとらえるかということでしょうが、
私は、適度に充足させる、満たすというところも本能のうちで、
無制限に追求するのは、本能ではなく、生体メカニズムの機能不全だと
考えると説明しやすいと思っています。

生命を維持しようとすることに対して、
食欲、睡眠欲、性欲の欲望行動を過度に行うことは
矛盾することになるからです。

大脳による情動の制御は、
本能を抑制するための機能ではなく、
最適に本能を充足させるための機能とは考えられないでしょうか。


もうひとつ、人間は、
社会に自分が受け入れられたい、
自分が他人に尊重されて生活したい、
社会と調和して生きていきたいという
本能があるように思うのです。

これは、人間だけでなく、
群れを形成する生き物に強く見られる本能だと思うのです。

食欲、睡眠欲と同じように、個として生命を維持するための本能です。
(性欲は、どちらかというと、本当は種を維持するための本能なのでしょう。)

だから、本来、社会的に受け入れられない、逸脱行動
犯罪、不道徳な行動、自殺は、
本能的に行われるわけではないと考えると説明がつきやすい、
本能の働きが機能不全に陥っている状態だと思うのです。

お腹がすいても、店の商品を勝手にとって食べないというのは、
それが社会的に受け入れられない行動なので、
本能的に行われない。
罰せられるからではない、と思いませんか。

学習の側面もあるのでしょうが、
性欲と同じように、
年齢に連れて、社会調和本能が強く発揮されるようになると
考えられないでしょうか。
(家庭内という社会から、インターホームの社会に出るまでは、
人間は他の動物に比べて生まれてからの期間が長期となる)

これも、人間という種が、生存して行くための本能だと思うのです。
生存の問題が絡みますので、
生存に不可欠であるという不幸な状態になれば、
他人のものでも盗んでしまうということはあり得るでしょう。

しかしその場合でも、調和本能が強い人は、
我慢してしまうということもあるわけです。

それでは、なぜ、機能不全に陥るのでしょう。

一つに言葉を持っているということがあるような気がします。
本来、本能からは出てこない行動も、
言葉にすることができます。
誰かを殺したい、自殺したいということだって、言葉に書けるわけです。

これは負の側面だけでなく、
空を飛びたい、夜でも明かりをつけたいとか、
人類の科学の進歩を促してきたという側面もありそうです。

不調和の方の言葉については、
言葉があっても、調和の本能があるので、
調和の本能が機能している以上、
行動に移すということはないわけです。

(科学的言えば情動を制御するということらしいですが。)

しかし、なんらかの事情で、
この本能の機能不全に陥る場合があるわけです。

即自的というか、物質的というかそういうケースが、
アルコールの異常摂取による酒乱の状態、
向精神薬や睡眠薬の摂取によるかい離、健忘の状態
睡眠障害によるはっきり覚醒しない状態
いずれも、これまで、意識もうろう状態と総称している状態です。
ある種の精神疾患の状態も含まれる場合があるでしょう。

こういう意識もうろう状態の時に、
言葉が観念としてその人の意識下に存在していると、
調和本能が機能不全に陥っているために、
意識下に存在した観念、言葉が実行されてしまう
これが、衝動的な犯罪や自殺のメカニズムの一つではないかと
仮説を立てたのです。

本能と矛盾する言葉が存在することを自覚してしまって
苦しむ状態が、
統合失調症などにみられるようです。
自分の本能から来る言葉ではないので、
電波が自分に指令する等という表現、感覚になるのかもしれません。

そのような生存と深刻に矛盾するものではないけれど、
長期的というか、社会的な、緩やかに、
意識もうろう状態類似の状態に陥って行く環境が、
犯罪環境だといえないでしょうか。
大切な人と離別したり、
不遇なことがあり社会が自分を守らないと感じる状態、
自分が孤立していると感じる状態が続くと、
社会のルールを守ろうという気持ちが減退して行き、
やはり、調和本能が機能不全に陥って行く、
こちらかが普通の犯罪の条件ということになると思います。

(土曜日なので、もう少し続けさせてください)

機能不全にさえ陥っていなければ、
社会に調和して生活したいという本能も
生存維持から来るものなので、
極めて切実な要求ということになるわけです。

社会からあなたは調和できないという烙印をおされることは、
あるいは、自分は社会に調和できないと自覚することは、
ないしは、他人から自分は社会的に調和できない人間である
と思われているのは無いかとおそれることは、
食べられない、眠れない等と同じような
生存を脅かす不安、脅威を与えるものだと思うのです。

パワーハラスメントはこのような側面があるということを、
今まで言いたいがために、
回りくどくいっていたのです。

同僚の前で、屈辱的な言葉、態度で叱責されることが、
その人が大事にしていた同僚との関係を壊すのではないか
という恐れをいだかせ、
恐れを抱かせるということが、
その人の精神的状態を悪化させる、
ということです。

社会調和の本能も、生存維持のための本能です。
その人が生きていくための基盤なのです。
これが脅かされるということは、
社会的な生存を脅かされることであるわけです。

人間という群れを形成する種にとっては、
社会的に調和することを否定されることは、
食事を与えられないとか、眠らされないとかいうことに
類似するような、準ずるような恐怖とは考えられないでしょうか。

人間は、このような攻撃に対応する耐力のメカニズムは、
あまりないように感じられるのです。

集団の中で名誉を棄損されることが、
傷害罪に匹敵するような、
悪質性の高い行為であるということを言いたいわけです。
傷害と言っても極めて殺人罪に近い場合も
あるように思うのです。


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