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「怒らないこと」を読む。感動と異論。それでも怒りが必要な場合。 [事務所生活]

昨日は朝一で新幹線で東京まで行き、
さらに羽田から飛行機に乗り換えるという出張をして、
深夜帰宅でした。
おかげで、読みたかった本も読めました。

ずうっと気になっていたのが、
サンガ新書「怒らないこと」
アルボムッレ・スマナサーラ

スリランカの仏教の偉い人で、
訳した人が無く、
どうやら日本語での説法を
まとめたものらしい。

それ自体とてつもない話。

本は、自分のこととして読む分には、
大変参考になります。

家庭生活のノウハウ本というより、
実践的哲学とでもいうべきもので、
すぐに修行に入りたいくらいです。

自分が、家族や仲間を傷つけている
かもしれないということを思い当る
すべての人が読むべき本だと思いました。

要は「怒らないこと」
これに尽きるわけです。
極めてシンプルな、
それでもなかなか実践できないことを
どのようにして実践するか
怒りはどこから来るか。

わかりやすく、
目からうろこが落ちます。

ただ、
私は、悟りを開くつもりはなく、
人生のテーマが
泥中に尾をひかんや
ですから、
どうしてもその最終結論に引っかかってしまうのです。

私から言わせてもらえば、
怒りが必要な場合が確かにある。
ということです。

毎日の肉体的、精神的暴力で、
自分が悪いからこのような目にあうと
いつしか思いこんでいた奥さん、
あなたは悪くないということで、
夫に対しての怒りが生まれなければ、
そのまま精神を病んでいたことと思います。

怒りが、
生きる力、人間らしい心を回復させている
そういう現場に立ち会うことがあると、
怒りも人間らしい感情であると
思ってくるのです。

学校でのいじめやパワハラで、
相手が能力がなくてほざいていると
思えれば、
あの人たちは自ら死を選ばなかったでしょうか。

いじめられている人だけでなく、
いじめを見ている人たちは、
やはり怒りを持つべきだったのではないかと
思うのです。

特に、学校でのいじめやパワハラは、
それを隠ぺいしてしまえば、
必ず、繰り返されてしまいます。

いじめる方は、
自分がいじめているということに気がついていなく、
自殺をするやつが弱い奴だ、
ちょっと注意しただけで、
こっちが悪いようにあてつけがましいと
考えている人が多いようです。

それよりも深刻なのは、
いじめを見ていて止めない人かもしれません。
隠ぺいに同調してしまう人です。

色々な理由、事情があります。
しかし、それがそのままでは、
自分の子供たちが、
その学校に入ったり、
その職場に就職したときに、
同じような出来事が起きてしまいます。

今度は自分の子供が、
もっとひどい目にあうかもしれません。

真実を明るみに出し、
みんなで対策、ルールを確認することで、
いじめの大半は無くなります。
それをしないで、
子供を同じ思いにさらすのは、
その人の責任かもしれません。

理不尽な思いを次世代に引き継がない。
むしろ仲間や子供たちの為に、
理不尽な事態を解消する、
そういうときに、
怒りが無くては、行動に移れないと
そんなふうに思うのですが、いかがでしょう。

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