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不安と怒りと群れと自尊心と、現代社会がクレーマー、過去にない異常犯罪を作り出す構造 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

1 不安の正体

数万年前の人間をイメージしてもらうと
わかりやすいと思います。

不安というのは、
生命身体に対する脅威を感じること
とシンプルにとらえられると思います。

狼やイノシシなどの外敵、
津波や火山、落石などの自然の脅威、
そして餓え。

自分の体に危険がある場合、
なんとか対処をしなければならない。
眠っている場合ではない。
そら!何かをしなければならないぞ
という心理が不安だとすると、
大変わかりやすいと思うのです。

外敵と闘う、逃げる、
食料を確保するために戦う、蓄える。
不安に対処をするために、
次のモードに移行しなければなりません。

先ず感じるのは不安なわけです。
一番大事なことは、眠らないことです。
不安になると眠れなくなるのは、
人間がそういうメカニズムだったから、
生き残ってきたわけで、
遺伝子に組み込まれているわけです。

考えてみれば至極当たり前のことだと思います。

このために、頭の中でモノアミン
(セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミン等)
が放出されて、
覚醒のメカニズムがフル稼働するわけです。

ちなみに、
このモノアミンが脳内に足りなくなる現象が
うつ状態なのだそうです。

なんかわかりやすいですね。

睡眠の科学(ブルーバックス)でも、
なぜ眠るかを考えるよりも、
どうして起きるかを考える方がわかりやすい。
それは生命を維持する行動、
摂食等を行うためだと指摘しています。

人間の目覚める仕組みが
不安と密接に関連しているわけです。

2 不安から怒りへ

単純に考えると、
動物を捕食する場合、
あるいは外敵と闘う場合、
戦闘モードに入らなければなりません。
後先考えている場合ではないわけです。
目の前のターゲットをとらえなければ、
こちらが死んでしまいます。

命の不安を排除するために
戦いのモードに入るわけです。

自分の筋肉や骨格を、
最大限利用して、
ターゲットをとらえようとするわけです。

この時の仕組みが、
アドレナリンを大放出したり、
ターゲットに対する集中力を高めたり、
要するに怒りをもつということではないかと
思うのです。

特に、自分の住まいを脅かされることは、
生命維持に直結した問題なので、
怒りをフル稼働させるわけです。

このように、怒りをもって
戦いのパフォーマンスを高めたものが生き残り、
怒りの遺伝子が受け継がれていったのでは
ないでしょうか。

怒りも、不安も、
人間の遺伝子に組み込まれた
生命維持装置だと思うのです。

怒りは不安の排除のシステムだと思うのです

根が同じだと思いませんか?

3 群れを作る人間と不安

人間は群れを作り生存を維持してきました。
それぞれが、それぞれを利用して、
生命を維持する活動をしてきたわけです。

外敵から共同で自分たちを守る。
その場合、怒りが出やすい人が外敵と闘い、
逃げるのが得意な人が、退路を作る。
洞穴の入り口をふさいで外敵から身を守る。
やがて、ものをため込む仕組みができたり、
農耕が始まったりする。
色々な個性が集まった方が、
群れが維持しやすかったはずです。

不安の原因の数だけ
人の個性があったのかもしれません。

いずれにしても、
闘うだけでは生きていけないし、
逃げているだけでも生きていけない。
それぞれが、それぞれを認め合い、
群れを形成していたわけです。

そういう遺伝子の記憶がどこかに
残っているはずです。

農耕を覚えて飢えに対処していったのは
ここ何万年くらいの話でしょうから
そういう役割分担をしていた期間の方が
果てしなく長いのではないかと思うのです。

いずれにしても、
群れの中にいるということは、
それだけで、不安を解消することになります。
即ち安心です。

逆に言うと、
群れから排除されることに、
不安を感じるようになるわけです。
群れから排除されることは、
即ち生命の危機だからです。

従って、人間の多くは、
群れに埋没しようという志向を
遺伝子に受け継がれているのだと思います。
群れの中に埋没できる遺伝子をもった人間が
生き残ってきたわけです。

4 群れの中の不安と自尊心

群れの中で役割を果たして、
群れの構成員から尊重される。
これが安心を感じることはもっともなことでしょう。

群れから突出することは排除される危険も出てきますが、
群れのみんなから尊重されることも
強固な安心につながり、
これは少し矛盾をはらんでいるような気もします。

農耕が確立し、
一定、飢えから自由になると、
不安の対象としては、
群れから排除されることが
割合として大きくなっていったのでしょう。

群れの中における自分の役割を
否定的に評価されるということも、
結局は群れにとって不用な人物という
烙印を押され、排除されることにつながるので、
不安も高まります。

自尊心が傷つけられるわけです。
自尊心とは、群れの中で、
自分の役割が肯定的に評価されている
という安心感なのかもしれません。

自尊心が傷つけられるということは、
群れから排除される不安を引き起こすわけです。
疎外感というのも同様の感覚かもしれません。

ここで、個性=群れの中の役割分担が
その反応のバリエーションを形作る
と考えられないでしょうか。

退路を確保する役割の遺伝子の強い人は、
自尊心が傷つけられると、
非常に落ち込み逃げ場を探す。

外敵と闘う役割の遺伝子の強い人は、
自尊心が傷つけられると
自尊心を傷つけた対象に向かって
怒りを強くする。

群れの中で、
異なった遺伝子の交配が続いているので、
単純ではないのですが、
そう考えるとわかりやすいように思われます。

5 現代社会の不安の正体

現代社会は、群れが安心装置として
機能していないということに特徴がある
というか
安心装置として機能する群れが無い
ということなのでしょう。

封建時代までは、
農耕をおこなう集団が基本として存在していたわけです。
少数の支配者層は、それを管理する団体でしょうか。
農耕をおこなう単位が群れだったわけです。

産業革命以降、
農村もありながら、群れの機能を残存させながら、
都市の中に、群れを形成させていきます。
農村の群れの影響を強く残存させながら、
町内だったり、職場だったり、
そこにいれば、群れの助け合いを受けながら、
安心感をいだいていたのではないでしょうか。

終身雇用の企業に勤めて、
家をもって、お隣さんがたと町内で暮らす。
安心そのものだったわけです。

これが崩れたのが、戦争と戦後の混乱です。
人間は、何万年も前にさかのぼり、
群れの無力さ、無意味さを強烈に感じて行きます。
一方で群れのイデオロギーの残存の中
苦難を助けあう場面もあったと思いますが、
他方で他人を出し抜かなければ生きていけない
という時期を経験してしまったわけです。

私は、遺伝子の力は強大なので、
これは長い歴史の中の一過性の出来事
であると信じたいと思います。

現代は、
新たな不安=安心できない
=安心のメカニズムの崩壊が見られるわけです。

終身雇用制の対極の雇用形態、
雇用の不安定が推し進められ、
収入の安定が弱くなりました。

下町の非終身雇用制の零細企業の
隙間を埋めていた隣近所の結びつきは、
マンションではほとんど機能しないでしょう。

他人が群れの一員として把握できないので、
電車の中で被害を受けていても
怒りを感じる人は少ないわけです。

帰属する生命維持装置としての
安心のよりどころである群れが無い。

某心理学者が、政治的影響力を発揮して、
道徳の教科書を作り替え、
結論として、不安解消する方法が
国家への帰属意識だと小中学生に
説こうとしたわけですが、
無理があると思います。

国家に対する帰属意識が、
そのまま国民や権力者に対する
群れの仲間という意識にはならない。
そう思います。

どこかの国のマスゲームみたいな発想では、
現代社会の不安は解消できるわけがありません。

6 現代社会の異常減少

安心が無いから
不安にさらされるわけです。

不安にさらされているから、
自尊心を傷つけられることが多いから、
怒りの遺伝子を強く持つ末裔たちが
クレーマーモードになるわけです。

また、不安にさらされることで、
怒りの遺伝子がでやすくなっている

群れに埋没しようとする遺伝子も
力を弱めてしまっている
ということなのではないのでしょうか。

どうも平成10年以来の自殺の高さと
連動する最たるものは、
安定した雇用の喪失であるような気がします。

群れの崩壊、自尊心の持てない社会、
不安な将来、

不安への対処が見つからない。
逃げ場がない。
焦燥感の高まり、
不安と焦燥感が増えれば、
怒りが頻発する。

現代社会に特徴的な社会病理の
ほとんどが
こういう観点からの説明が可能であると
思えてきてしまうのです。
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