SSブログ

小保方氏の疑惑報道にたいする疑問、裸の王様になりたくない [事務所生活]

この記事は、生物学等科学的な考察がなされているものではなく、
あくまでも人文科学的な雑感です。
小保方氏を擁護することを目的にしたものでもありません。

テレビを見ていたら、コメンテーターが、今回のことで、
「がっかりした」ということを盛んに言っていた。
小保方氏本人に否定評価されるべき行動があったことを
前提とした発言であるが、
この人は、今回の問題の問題点をどこまで理解しているのだろう
と不思議な気持ちで聞いていた。
感情が入るほど、理解し、非難しているとすると
相当な理解力があるのだろうと思うが、
非難のポイントは明確にされていない。

私の理解では、
第一に、ネイチャー論文の写真が、過去の自分の論文の写真と同一であること
第二に、学位請求論文で、手順に関する他者の文章がコピペされていたこと
この2点のように感じる。
これに付随して、STAP細胞が再現できなという研究者のお報告が報じられている。

そうだとすると、剽窃、とか捏造という表現は妥当なのだろうか。

よくわからないのは、写真の位置づけである。
およそ、この種の論文は、一度使った写真を再掲載してはいけない
というルールがあるのか、
あるいは、写真の文脈が今回の手順で生まれた現象の撮影ということなのか、
どうして、非難の対象となるか、その点について、
一般大衆に報道するならば、説明するべきである。
そうでなければ、一般大衆としては、
どの程度の逸脱行為なのか、正直よくわからない。

無いものをあるという、捏造なのか(どうやらこれではないのではないか)
今回はあまりうまく撮影できなかったので、
わかりやすい過去の写真を掲載したという演出的な問題なのか
逸脱の程度は、様々であろう。

卒論の問題を今更出してくることも今回と関係があるのか疑問だが、
手順のコピペは、それほど、大問題なのか、
およそ、手順自体にそれほど価値がなければ、
あまり重きを置かなくてもよいところなのか、
その評価がよくわからない。

テレビのコメンテーターは、このあたりのところを
どこまで理解して小保方氏を非難しているのだろう。

現在の報道のあり方は、
報道の受け手に対して、
自分で判断させる材料を提示せずに、
本人映像を流し、否定的な言葉を流している
という手法をとり、
繰り返し繰り返し同じ避難を繰り返している。

よくわからないことの一つに
理研の記者会見がある。
理化学研究所といえば、
岩波ジュニア新書の「脳科学の教科書」等
あこがれの存在である。

それが、小保方氏非難のお先棒を担いでいるように、
一言で言って「他人事」のように非難している。
記者から質問がされているが、この記者は、
どうしてそんなに他人事に言えるのか
という質問を本当はしたかったのだと思う。
この質問に対しては、発言者は、
回答の体(てい)をなしていなかった。

テレビ報道を見る限り、あのとなりに聞きながら答えていた
女性はそこに座っている意味があるのかという疑問もあった。
民間会社であれば、およそ考えられない態度だった。

若山教授のインタビューを見ると、
理研の働きかけで、小保方氏に取り下げの提案をしたと言っている。
この若山教授も最初聞いたときは、他人事かい?と感じたが、
読み返すと
小保方氏から渡されたSTAP細胞を使って、ネズミの再生をした。
一度だけだけどSTAP細胞を再現したと
重要なことを述べている。
このインタビュー見る限り、
STAP細胞は存在することになる。

STAP細胞は、私の勘違いだろうが、
進化の細胞レベルの説明を可能にするものだと
勝手に興奮していた。
ウイルスが進化の原動力となったとしても、
確立した種が形状を変えるという
その細胞レベルでの説明が必要だったはずで、
細胞レベルの説明が可能になると
逆に進化の意味があぶりだされてくるはずだと
密かに、いい時代に生まれたなと思っていた。

おそらく、論文がねじ曲がった要因としては、
かなり、急いで発表されたということになりそうだ。
知り合いの、理系の博士が何気なく言った
何を焦っていたんだということが、
もしかしたら正鵠を射ていたのかもしれない。

本当は、これから基礎研究を重ねていく出発に過ぎない成果が、
再生医療ということで、売り出しをかけなければいけなかった
そんな事情があったことを感じさせられる。

とにかく最近のマスコミは、
溺れる犬を叩くという姿勢が鮮明である。
不満のはけ口を提供しているショーのような
印象を受けてしまう。

人間は、他人の怒りに共感してしまう性質を持っている。
怒るべきなのか、どの程度怒るべきなのか、
何に対して怒るべきなのか、
マスコミに対しては、警戒をするべき必要性が高くなっているように思う。

理由がわからないことで、
誰かが怒っているからといって他人を責めることは、
いじめの構造そのものである。

人を非難するときは、空気を読んではいけないと
そう気を引き締める契機とさせてもらうことにする。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0