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我田引水に読む「デカルトの誤り」(ダマシオAntonio R. Damasio)。対人関係理論と相互に補完する理論。 [事務所生活]

(表現の自由があるといえども、ぎりぎりだな。
但し、倣岸な考察ではなく、「私の理解した範囲」というニュアンスを
冒頭に置いたことで、善解賜りたい。では、)

対人関係学は、生きる、それも人間として生きる
ということを根本的価値観とします。ここから出発するわけです。
たどり着いた結論というよりも
結局、これを当たり前として話を始めることが、
とても都合がよいから、そうしているという側面があります。
いろいろなことを検討したうえで、そうなりました。

Damasioは、
感情や情動というものも、
生きるためのシステムだといいます。
生きるために、理由があって存在するシステム
ということですから、
対人関係学と共通する基盤があります。

「情動」という言葉は、なかなか難しい言葉です。
研究分野によって、意味やニュアンスが違うということも
難しい原因となっていると思います。
英語でも emotionが使われたり、 affection が使われたりします。
それだけいろいろな研究分野で、
情動が研究されているわけです。
21世紀の重要な科学のテーマになっていると思います。

情動反応として説明したほうがわかりやすいでしょう。
たとえば、苦痛や危険を感じ取ったとき、
痛みを感じたり、恐怖を感じたり、怒りを感じたりします。
そして、苦痛の源を手で払ったり、
逃げ出したり、攻撃したりします。
その際に、頭と手だけが反応するのではなく、
血圧が上がったり、筋肉に血流が多く流れるようになったり、
あるいは、脳内では、扁桃体から神経的な信号が発信され、
副腎からホルモンが分泌されたりします。
これら一連の過程が情動反応とされています。

このことは、このブログや対人関係学のホームページで
過労死のメカニズムを説明する際にお話していることです。

Damsaioは、この情動については、一次情動と呼んでいます。
生まれたときから身についているものだとしています。
これが生きるシステムであることは異論がないと思います。
これがなければ、火の中に手を突っ込んだり、
車にぶつかったりと、生きてはいけないでしょう。

一次情動があるということは、二次情動があり、
それは、生まれた後に身についたものだということになります。
この二次情動についての考察が、本書のテーマということになります。

二次情動は、対人関係上の判断をする際などに
大切になるようです。
理性的な判断をする際に、この二次情動の反応によって、
不要な選択肢を排除したり、好ましい選択肢に近づいていく
と整理されるでしょう。

では、二次情動がなかったら、どうなるのでしょう。
これは実在のケースがあるわけです。
フェイアネス・ゲージという人がいました。
鉄道工事の事故で、鉄パイプが、頭蓋骨を貫通しました。
それでも命には別状がなかったのですが、
人格が変貌してしまいました。
そのほかにも、腫瘍による圧迫で、
ゲージと同じ脳の部分が損傷した人たちも
同じような人格的特徴を有することがわかりました。
脳の部分は、前頭葉前野腹側部です。
ここを損傷すると二次情動がはたらなくなります。

まとめると以下の特徴がでるそうです。
1 対人関係的な判断がつかなくなる。
2 長期的展望に立った考察ができなくなる。

この結果、ゲージたちは、
粗暴な言葉遣いをするようになったり、
恥かしいという気持ちを失ったり、
責任感がなくなったり、
仕事の大きな流れを無視して、
関心を持った書類をずっと読み続けてしまったり、
すぐに仕事をやめたり、
ギャンブル的な行動を行い、
失敗から学ぶことをしなくなる
ということがおきたようです。

ゲージたちにも、一次情動は認められたといいます。
二次の情動は、一次の情動を組み合わせてつかうようで、
一次の情動がなければ、二次の情動も組み立てられません。
しかし、一次の情動があるだけでは二次情動は働かないとのことです。

また、Damsioは、二次情動が欠損した場合に
他者と共鳴する力がなくなっていると指摘しています。

対人関係学は、
Damasioの言葉を借りると、
一次情動と二次情動は基本的に同じ、
対人関係上の危機感は、
命が失われると同等の危機感を引き起こす
ということを主張していましたが、
Damasioの論理を借りると、
対人関係上の危機感は、
生物学的危機感を組み合わせた反応を生じさせる
ということになるでしょう。

従って、対人関係上の危機感により
生理的な反応が生じることも
自然に説明がつくことになります。

また、対人関係学は、
ヒトは、生まれつき、群れに協調しようとする
本能ないし習性、あるいは欲求を持っていると主張します。

これをDamasioの二次情動にあてはめると、
人間は、一次情動を生まれながらに持っているが、
この一次情動を基盤として、
対人関係などの二次情動を構築するシステムを持っている。
このシステムを作動させやすくするシステムは、
他の生物種と比べて人間は際立っている
ということになります。

対人関係学は、群れに協調する習性を
ヒトが、その生物としての脆弱性のために
選択していったと主張しています。

ヒトの先駆的動物種(何らかのサル)が、
基本的には個体として活動している場合には
二次情動は不要ですが、
ヒトに進化していく過程において、
その生存を確保していくために、群れを作る仕組み
群れに協調していく仕組みを作っていったとするならば、
まさに、一次情動を基盤として
二次情動をシステムの中に取り入れていったということは
理論的に整合します。
ダマシオのこの理論は、
対人関係学の主張を
神経学的に裏付けることになります。

Damsioは、二次情動は、生まれた後に、
社会的、文化的に身についていく情動だとしています。
対人関係学的には、二次情動は、
群れに協調する仕組みとして発達したとらえるので、
それは、当然のことということになります。

長期的展望の推論と他者との共鳴、
ギャンブルへの盲目的な参加と他者との共鳴
が同じ脳の機能ということは、
対人関係学的には示唆にとんだ発見ということになりますが、
そうでなければ、むしろ、非一次情動という
共通点にしかならないのではないかと思います。

対人関係学では、ヒトは、その脆弱性ゆえに
群れを作るとともに、
危険に近づき、これをコントロールすることによって
利益を獲得してきたと説明します。

一次情動だけでは、これは説明できません。
二次情動があって、
一次情動をコントロールし、推論を立てて、安全性を確保し、
危険をコントロールできる
このように説明していくことが可能となるのではないかとも考えています。

対人関係学でも、
情動についての研究を当面は行っていくことになりそうです。
必ずしも、ソマティック理論や傾性的表象という概念を
多様するわけではないのですが、
情動の役割、特に二次の情動という考え方は、
対人関係学と親和して、有用なようです。
武器を得たという感じです。
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コメント 3

ドイホー

遺伝的に考察すると、対人関係学からの説明が、スムーズです。要するに、ヒトが群れを作ったのは、個体としての脆弱性からであり、これをカバーして種を残すために、「自分の自由や利益の一部放棄をして」、群れを強化することによって、自分を守ったということになります。そのような長期的に見れば得をするために、短期的に見れば損をしても構わないという将来に対する推論をもてた遺伝子だけが、群れを形成し、種を残していったということになります。損して得取れ、情けは他人のためならず。ということわざが、強い群れを作らなかった猿と、人間の分水嶺ということになると考えます。
by ドイホー (2014-03-24 08:45) 

ドイホー

ただ、疑問があるのは、二次の情動というのが、後天的に、文化的、社会的に身につくという点です。本文でも、人間には二次の情動が習得しやすい、種としての素因が有るという言い方をしていますが、一歩進めて、生得的に持っているものではないかという疑問です。前に書いたように明和牧子先生の「まねが育むヒトのこころ」(岩波ジュニア新書)で、2歳の誕生日前に、困っているヒトを助け、喜んでいるヒトと喜ぶという、他人の表情に対する共鳴力があるということを紹介しました。これはダマシオのいう二次の情動のはずです。これは、社会的、文化的に、生まれてから身についたというものなのでしょうか。ただ、赤ん坊も、生まれる前から、母親の胎内で、コミュニケーションをとっているとするならば、母親との間で、二次の情動を育んでいたということになるかもしれません。Baumaisterというアメリカの心理学者は、THE NEED TO BELONGという論文で、ヒトは、誰かとつながっていたいという本能的な要求があり、これを害されると、心身の障害が生じると述べています。、この点からも、社会的、文化的に形成される二次の情動(三次の情動?)とある程度生まれながらにして持っている二次の情動と混在している可能性があるのではないでしょうか。
by ドイホー (2014-03-29 08:08) 

ドイホー

二次の情動が、後天的に、社会的文化的に形成されていくということは、ダマシオの大きなメッセージなわけです。かつて、ナチスドイツやポルポトカンボジアで急激に起きた不健全な社会状態が、現在、いわゆる西側先進国で慢性的に起きてきているということを懸念しています。これは、魅力的な議論ではありますが、対人関係学的には、どんな社会状況でも、人と人が助け合う気風を作り出そうということを主張しています。Damasio のいう二次の情動が実はふた種類有り、生まれながらに持っている情動、1.5次の情動でしょうかね、こういうものがあると信じて、あるいは前提として、考察を進めようと考えている次第です。
by ドイホー (2014-04-01 08:35) 

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