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DVがなければよいってもんじゃない。楽しい家庭生活こそ。もっと上を向いて歩きましょう。 [家事]

よくわかりませんが、DVって言葉は、日本くらいなのではないだろうか。
そして、法律の文言と異なり、あらゆる暴力が
家庭の中に国家が介入する理由とされているように感じる。

あらゆる暴力が家庭の中で禁じられるべきだということは賛成である。
問題は国家がそこに介入することだ。
それにより、無実の者が塗炭を味わう苦しみを負っている。

もう一つ問題なのは、そうやって、ごちゃっと
全部一緒くたに、大雑把に扱っているということは
国家権力が介入してまでも
止めなくてはならないタイプのDVについて、
結局のところ、よくわかっていないのだろうな
と感じてしまうことだ。

DV加害をなくす目的はどこにあるのか
DVのない家庭を作ることなのか、
それで終わりなのかということを考えてもらいたい。

私は、そうではないだろうといいたい。
DVがなければいい、虐待がなければいい、
パワハラが、いじめがなければいい
そういうもんではないだろうといいたいのだ。

もちろん、そういう主張に対しては、
まずは、暴力をなくすということから始めるのが
どうしておかしいのかという批判が来るだろう。
しかし、おかしいのである。

マイナスから0に向かうことを目標とする
それは確かにあるだろう。
国の政策ならば、それでいいかもしれない。

しかし、われわれが、目指すべきはプラスの世界であるべきだ。
プラスの世界を目指すことにより、
その行動のモチベーションが生まれる。
楽しい活動になる。活動が喜びになる。
マイナスを生まない保障になる。
それが対人関係だと思う。

とりあえずDV加害だけなくしましょうと
それで「終わって」しまうと、
結局DVは無くならないだろう。

夫婦不和も離婚もなくならないだろう。
男を懲らしめても、子どもの健全な成長には
なんら役に立たないだろう。

DV被害の本質とは何か、
なぜ、暴力が相手を追い詰めるのか、
暴力以外でも相手を追い詰めるということはどういうことか
それは、誰かが悪いということで割り切れるのか、
夫婦はどうあるべきか、
ご一緒に考えてみませんか。

https://sites.google.com/site/taijinkankeigaku/fu-funo-yi-cunto-du-li/qing-dongno-yi-yakara-jiantadv

昨日永眠された、棚瀬一代先生に捧げます。
ご批判いただきたかったです。
ご冥福をお祈り申し上げます。

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