SSブログ

教員は、その働き方を見せることで、教え子を過労死や離婚等の家庭不和に導いている。 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

私の友人が、中学校の教師をしていて、
過労自死で亡くなった裁判に関わった。
http://heartland.geocities.jp/doi709/faq.html#tyugakukyousi
裁判は、労災を認定すべしとの勝訴判決であった。

その中で、中学校の教師の過重労働の実態を知り、
このような現場に子どもを入れたくないとつくづく思ったほどだった。
その時は、教師は、どちらかというと被害者であると考えていた。
http://www.bengo4.com/topics/1327/

もっとも、後輩のために環境を改善する責務があるということは、
ことあるごとに言っていた。

しかし、対人関係学を興し、
http://www001.upp.so-net.ne.jp/taijinkankei/
根本的な価値観を、「子どもたちの健全な成長」においた。
考えを改めなければならないと、今感じている。

教員は、教え子に対しては純然たる加害者である。
過労死や自死、家庭不和で苦しんでいる多くの若者の
苦しみの原因を教員が作っていると考えるべきだと言いたい。

子どもたちは、教師の働き方をすぐ近くで見ている。
朝早く来て、夜は、自分たちが帰ったあとも雑務をしている。
夜中や休日に学校の近くを通ると、
教師の自動車が何台も必ず止まっている。
職員室には常に人の気配がする。
土曜日でも、日曜日でも
部活動に付き合う。

教師の家庭生活はどうなっているのだろう。
土曜日も、日曜日も家庭を空ける親である。
部活動という他人の子どもに付き合い、
自分の子どもは、
添加物や砂糖で何年も腐らない
インスタントやスーパー、コンビニの惣菜を与えている。
食卓に親がいない家庭を作り出している。

要領のいい教師は放課後風のように帰り、
一部にしわ寄せがくる。
労働現場にチームプレイはなく、
困難に立ち向かう係りが倒れれば、次の人に替わる。

もちろん残業代は請求しない。
サービス残業である。
休日に8時間部活動に付き合っても
2000円あまりの手当が支払われるだけで
それすら請求しないことがある。
異動の交通費は、自腹。

50代の教師は、
泊まりがけの旅行は、新婚旅行ともう一度だけだと言っていた。

全て子どもたちは見ている。

タダ働きや、
家庭、自分の子どもを放置して働いている教師を見ている。
非人間的な職場環境を改善しようとしない教師を見ている。
無理は同僚や家族に幅寄せしている教師を見ている。

教え子に、自分の真似をしてはいけないと
はっきり告げている教師はいるのだろうか。
教え子は、
そんなブラックな働き方をしても、
子どもの頃から見ているので、
異常なことだとは気がつかないだろう。
自分を教えた教師がそれをしているからだ。
小さい時から近くで見ているからだ。

家を空けて仕事三昧の日々は、
やがて、家庭をバラバラにする。
子どもたちが健全に育つわけがない。
夫婦の仲が壊れてくる原因を作っている。
家族と思えない異性は、拒否反応が起きる。
不貞や突然の別居がありうることを
教師は子どもたちに告げているのだろうか。

家族が壊れなくても、自分が壊れる。
月270時間労働は、十分過労死ラインだ。
休憩時間もないならなおさらだ。
12日間連続労働も、過労死ラインに乗ってくる。
そのような働き方を教師がしていることを
見ている子どもたちは、拒否反応を起こせない。

カエルは、突然70度のお湯に入れられると
びっくりして逃げる。
生き延びるためだ。
ところが、まず30度のお湯に入れれば逃げない。
次に50度のお湯に入れても逃げない。
70度のお湯に入れればやっぱり逃げない
逃げないで死んでしまう。

馴化とは、耐性が作られるのではなく、
危険を感じる能力が衰えるだけのことである。
生きる仕組みを鈍麻させているのだ。

教員は、自分の働き方を子どもたちに見せて、
危険を感じる力を奪っているわけだ。
子どもたちは、自分の教師の働く姿を思い出して、
逃げる力を封印し、
静かに死んでいく、
静かに離婚される、
静かに我が子を破綻させていく。

何度も、教員の方々に行ってきた。
その都度、あまり相手にされないことを覚えている。
「やらなくちゃいけないんだ。」
「できなければ教師ではない。」
「教師だからできて当たり前」
そんな言葉が顔に出ていた。
まさに、過労死誘導の思考パターンだ。
そういう作られた「常識」を
教え子に叩き込んでいるという自覚はあるのだろうか。
子どもは、それらを気がつかないとでも思っているのだろうか。

教え子を戦場に送らないというのは一部の教員かもしれないが、
戦場に送らなければ良いのか。
過労死を誘導していることを、自分たちが行っているということに
何ら痛痒も感じないのか。

これをすぐに改めることはできないかもしれない。
しかし、改めようとする気持ちはあるのか。
改める必要を感じるのか。

子どもの人格を向上させる気持ちが本当にあるのか。

そういう疑問が湧いてきて仕方がない。


nice!(0)  コメント(5)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 5

通りすがりの一教師

働き方で子ども達を不幸にしている。
自分の家庭を犠牲にしている。
なんて突飛な考え方なんでしょうか?
あまりにも一面的なものの考え方だと思います。

この記事は、委員会や保護者などからの要求に追われる教師を哀れんでいるのですか。それとも、一面的な飛躍したものの考え方で、教師を悪者にしたいだけですか?

私には、あまりにも独りよがりな文章だという思いが沸いてきてしょうがない。
by 通りすがりの一教師 (2014-06-25 18:25) 

元教師

ありがとうございます。
教育現場の問題を的確に指摘していただいたことに、感謝いたします。
仰る通りだと思います。

ただし、一点だけ訂正させてください。
「できなければ教師ではない。」
というのは、現場教師の本音ではなく、
管理職(校長、教頭)、教育委員会、一部の自称熱血教師(あと、もしかすると、見てみぬふりをしている文部科学省)からの無言のプレッシャーがあり、やらざるを得ない雰囲気を作りだしているのです。

現場教師は疑問に思っていても、悪しき慣習を変える力はありません。これらの方々に啓蒙する必要があると考えています。

ありがとうございました。
by 元教師 (2014-06-26 09:20) 

アホすぎ( ´∀`)

そーゆー教員も中にはいるんだろうけど、それを一般論とする姿勢が愚かすぎる。

このブログを見て、世の全ての弁護士がバカだと考えるくらい愚かだ。
by アホすぎ( ´∀`) (2014-06-26 11:48) 

元保護者

先生方の時間を一番奪っているのは『授業』でも『部活』でもなく『報告書作成時間』です。何かあれば即報告書を作成せねばならず、日々書類作成と格闘している時間が膨大でそれが生活を圧迫していると思うのです。

是非、先生方のために山のように作成を義務づけられる報告書の問題を取り上げ、改善を迫る活動を切にお願い致します。
by 元保護者 (2014-06-26 21:26) 

ドイホー

通りがかりの一教師様、哀れんでいるのでも悪者に「したい」わけでもありません。文字通りの、主張です。
元教師様。これまでは、穏当にお話していたのですが、私の友人が過労自死してから14年が経とうとしていますが、何も変わりません。一番の原因は、実際の能力の高さ、真面目さ、誠実さ、そしてプライドだと思います。障害のある方が教師になれるような職場にするべきだという主張は、一顧だにされません。
アホすぎ様。あなたが正しいかもしれません。私がアホだったら、勘違いだったらいいなあと思います。
元保護者様 ご指摘ごもっとも。私の友人も、議会のころになると、山のような報告書作成に追われていたと聞きます。もっともっと、改善点として内部から告発してもらいたいと思っています。
by ドイホー (2014-06-27 12:35) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0