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面会交流ができないという相談が増えている。究極のDVの一つの形は、子どもを取られて家からの追放。 [家事]

最近の法律相談は、カチッと法律の相談
というよりも、
悩み事相談、困り事相談というような
とにかく相談受け付けます
みたいな相談会の方が
相談者が多くみえられるという傾向があるようです。

そういう相談会で多くなっていると感じるのは、
離婚等で子どもと離れて暮らしている一方の親が、
他方の親のもとで暮らしている子どもと
面会をさせてもらえないという相談です。

面会交流は、民法改正が有り、
離婚の際には、離婚届出用紙に
面会交流の方法などを記載するようになるなど
国を挙げて面会交流をするものだという
気風を作っているところです。

その子どもにとっての重要性は
これまで、何度も申し上げてきましたので
省略をします。

どうして、同居親が別居親に子供を会わせないか
という理由について、
相談を受けていると共通項があることが気づかされます。

一番は、漠然とした不安です。
同居親が女性であっても、男性であっても
どうも話を聞いているうちに、
子どもと同居する親は
別居親が自分たちを捨てて出て行った
という被害感情、見捨てられ感情が
あるようなのです。

ただ、これは、ストレートに表現できず、
相手に対する怒り、相手を恐れる気持ち
など、複雑な表れ方をするようです。

そして、子どもとの面会を許すことは、
自分たちを捨てたことを許すことになってしまう
という意識だけではなく、
別居親が自分の元から去ったように
子どもたちも自分の下から去ってしまうのではないか
という不安感があるようなのです。

この不安感を感じやすいのが女性だというのは、
出産というホルモン変化を伴う
生きるか死ぬかの大事業を経験した場合に
不安を解消するしくみが弱くなっているのかもしれない
ということで理解は容易なのですが、

男性が子どもと同居し、
母親が単独で家から出た場合でも
どうやらそういう傾向がありそうなのです。

そりゃあ、子どもは母親が恋しいですから、
面会交流の時間が終われば泣きますわな。
ただでさえ、男親が子育てが不安なときに、
定期的に子どもが泣いて絶望感を表現している姿を
まのあたりにすれば、どうしたって
子どもを母親に会わせたくなくなるわけです。

これには、対策が考えられています。
第1に、小さい子(小学校前は特に)の場合、
面会の回数を増やすことです。
小さい子は、来週という時間の感覚は理解できても
1ヶ月という感覚は理解できません。

1ヶ月に一回の面会でさえ、
その都度「永劫の別れ」となってしまうわけです。
数時間以上の面会交流は1ヶ月に一度でも
短時間の面会をあいだに挟むことが必要だと思います。
そうすれば、「また会える」から大丈夫ということが
小さい子どもでも理解できるようになります。

第2は、同居親を安心させるということです。
本当は子どもと一緒に暮らしたいのですが、
そこを我慢しなければなりません。
別居親は同居親に敵意のないことを
示すことで、同居親の安心感を獲得していく
ということになります。

どうやって、敵意のないことを示すか。
敵意がありませんよといってもあまり効果はないでしょう。

敵意がないということを示すのではなく、
感謝と謝罪を示すことだと思うのです。
ゼロの先のプラスです。

感謝は、一人で子どもたちの面倒を見てもらって
ありがとうという気持ちを伝えるということです。
もう、相手は他人なのですから他人行儀になることが必要です。
大人同士の当たり前のことです。

余計なことを考えないで
プラスをえぐり出して、そこに感謝の気持ちを示すということです。

もうひとつの謝罪言葉ですが、
自分の非を認めて、それによって相手にどの程度損害が有り
どういう本当の意味での謝罪ではありません。

日本人は、昔は、悪い悪くないにかかわらず、
ちょっとすいません、申し訳ありませんがとか
相手を思いやってへりくだって、
人間関係をスムーズにしていました。

近時、「悪くないの謝ることはない」
というような風潮が強くなってしまいました。
しかし、謝罪言葉は、
究極の敵意のないことの証明です。

悔しいですけれど、
子どもを育ててもらっている
ということに基づく儀礼を尽くす

これがなければ、
相手は安心できません。

同居親にとって面会交流は、
自分の育て方をテストされているみたいなものです
何を言われるかドキドキなわけです。

ここで感謝され、文句を言われないことによって
自分の弱い部分を尊重されたことになり、
安心感、信頼感を獲得できるわけです。

こういう形で信頼関係が増えていけば
面会交流の時間や場所は拡大していくわけです。

間に誰か入ることによっても安心感が獲得され
時間や場所の拡大は見られますが、
お泊りなどはなかなか難しいことが多いかもしれません。
大事なことは別居親の同居親に対する配慮かもしれません。

この点、余計なことを言うと
一部の見解では、
同居親の葛藤を高めることは子どもに良くない
だから面会交流を制限するなんてことを主張する人達がいます。

葛藤は必ずあるのですから、
それでは、子どもたちが自分の親に会うという
健全な成長のために大切な権利を
大人たちが潰してしまうことになります。

特に、母親が子どもを手放して離婚しなければなくなった場合、
通常、父親と姑らが、
母親を精神疾患等の疾病者に仕立て上げて、
子どもを残して追放されている場合があります。

病気に対する偏見や、封建的な考えの残存で、
まだまだ女性は不合理な立場に置かれることが多くあります。
体調が振るわないので就職できず、
本当は公的援助を受けられるのにそれを知らず、
収入がないことを理由に
泣く泣く子どもを手放すお母さんはたくさんいます。

まだまだこのような女性の不合理な立場を
積極的に救済する方法が少ないようです。
「私はDVをうけた」と大声で言えない人達が
本当に女性という属性での権利侵害を受けている人たち
だと私は、この仕事をしていて感じます。

逆に子どもに対する些細な言動を針小棒大に言われて
子どもに虐待していたとでっち上げられるのです。
そして面会制限に利用されるのです。

自分には子どもを育てる資格がないと
思い込まされることほど悲惨なことはないと思います。

そういうお母さんたちも、行政などに相談に行っているのです。
しかし、公的援助のアドバイスは受けなかったようです。

父親か母親かどちらが悪いかという視点では
解決するべきではないこともたくさんあります。

それなのに、同居親の高葛藤を理由に
要するに、追い出した父親が、
母親に見捨てられという妄想から
子どもも連れ去られるのではないかという思い込みを理由に、
子どもに会わせない。
これを正当化することは許されるのでしょうか。

これは究極の虐待ではないでしょうか。

同居親の高葛藤は必ずあります。
できるだけ、これを鎮めることが
面会交流が安定し、子どものニーズに対応できる
鍵になることは間違いないでしょう。

今、直ちにできることは、
面会交流支援です。
法律改正を待たなくてもできることです。

少なくとも、
子どもの連れ去りの不安のない場所の提供は
それほど難しいことではないと思うのです。

そしてできるならば、
面会の条件作りを援助する機関が欲しい。

同居親の不安を承認してあげること、
不安を解消するための方法を、
面会の条件として設定してあげること。

そして、別居親にも
同居親の弱い部分について理解を促し、
双方が相手を思いやる方法をアドバイスする人たち。

そうやって、信頼関係構築する中で
支援も不要になっていくわけです。

全ては子どもの健全な成長のためです。
新しい議員さん方が誕生されました。
ぜひご検討賜りたくお願いする次第です。



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