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数値目標は、過労死、過労自死の原因になり、東芝事件など本末転倒型トラブルの原因になる [労災事件]

平成27年6月2日、参議院厚生労働員会が
全会一致で上げた決議
自殺総合対策の更なる推進を求める決議の中に、
以下のような文章があります。

六、都道府県及び市町村(特別区を含む。)に、具体的な数値目標や施策の工程表などを盛り込んだ「いのち支える自殺対策行動計画」の策定を義務付けること。

その直後、東芝事件で、
数値目標といっても、
根拠のない目標が世界的な大企業トップでもかかげられ、
その結果、粉飾決算という犯罪的な行為が
世界的な大企業の中枢部で行われたことが
明らかになりました。

東芝の中枢部は、
社長の数値目標を真に受けないで
ごまかすことができたので、大事に至りませんでしたが、
多くの過労死、過労自死は、
これを真に受け、
できるまで、自分や家庭を犠牲にして働き続け、
長時間労働や、
数値目標に達していないことをののしる上司に悩み
死んでいったのです。
ある人はくも膜下出血、ある人は自死。

自死対策に携わる者は、
通常は、この数値目標を忌み嫌っています。

しかし
数値目標は、あらゆる場面で流行しているようです。

街のガソリンスタンドでも
従業員一人一人のノルマがあるところもあります。
病院でも、ノルマはないにしても
内科や整形外科、小児科などの
売り上げ額が会議で示されて、
露骨に売り上げを上げるように
お医者さんが嫌味を言われるところもあるそうです。

営業なんかも当然のようにノルマがあって、
売り上げを棒グラフにして、
競争をさせているところがむしろ一般的かもしれません。

労働時間内に努力してできることなら、
それも良いかもしれません。
例えば訪問件数等を数値化するならば
無理な数値化でなければよいでしょう。

また、具体的に、時間内に成果を上げるための
ノウハウが確立されていて、
きちんと従業員に具体的に示されているならば
それもよいでしょう。

しかし、成約の件数なんて、偶然に左右されるものです。
さらには、担当するエリアによっても
本来数値目標が変わるはずです。

成果賃金型労務管理でおおうにしてみられることは、
上司が気に行った部下には有利なエリアを担当させ、
リストラ候補にする者には不利なエリアを担当させる
という不平等です。

上司は神にでもなったように
他人の運命を左右できるかのような態度になって、
部下が服従しないことに腹を立てる原因になっているようです

数値目標は、「ストレッチ」という労務管理にはつきものの
要するに無理させるという労務管理ですから、
労働者がこれを真に受けると無理してしまうことは必然です。

また、会社は、この人を無理させれば無理が効く
という労働者を把握して、

つまり、責任感があって、能力がある、
決めたことはやり抜くという人です。

そういう人を叱責して、集中的に無理をさせます。

さて、無理を強いられた人はどうするのでしょう。
例えば病院で、売り上げ目標を立てられてしまったら、
患者さんを増やして、処方を増やすということになりますね。

診察時間は決められていますから、
患者さん一人当たりの時間が削られるし、
時間のかかる患者さんには冷たくなります。

また、競うように処方薬が増えるわけです。

患者は、苦しみや痛みを軽減する相手ではなくて
数値目標の手段となり下がってしまいます。

数値目標を勝手に立ててしまう弊害もあります。
いじめの認知件数(把握件数)です。

わが宮城県は、最初の調査では
認知件数全国2位だったのが、
次は5位になってしまいました。

いじめが少なくなるに越したことはないのですが、
いじめを無くすことよりも、
認知件数を下げることが優先されてしまうと、
あるはずのいじめがないということになってしまいます。

それが岩手県の矢巾町でした。
件数を学校で取りまとめるとき、
0とカウントした責任者がいるわけです。

わが宮城県でも
謙虚に子どもたちのために認知件数を拾っている学校だけではなく、
これと反対に
アンケートでいじめがあったという子どもを呼び出して、
それが本当に「いじめ」の定義に該当するか
再聴取する学校なんかが
出てこないとよいのですが・・・

まあ、いじめの定義が法に忠実なら良いのですが、
勝手に、「いじめた側の意図」とか「行為の悪質性」なんかを
付け加えて、いじめを認めないようにする県もあるので、
要注意です。
あくまでも、「本人が苦痛に感じているか」否かが問題です。

いろいろな本末転倒は数値目標や数値化から始まるのです。

いじめの問題で言えば、
いじめがなくなればよいという考えで進めていくと
そういうことになるわけです。

そうではなく、
協力し合い、助け合う緩やかな共同関係を
形成していくことを目指す中で
いじめはなくなっていくわけです。

そういうこともなく、
具体的にいじめを無くす方法も伝えず、
教師と父兄の連携もなく、
数字だけが押し付けられていくわけです。

子どもは、人格を向上させる対象ではなく、
いじめの認知件数を減らす数字になり下がってしまうわけです。

その結果、言われた方は、困惑して、
東芝みたいに、数字をごまかそうとしていくわけです。

さて、参議院厚生労働員会が全会一致で決議した
自死の数値目標とはどういうものでしょう
どうやって、自死を減らすというのでしょう。
参議院厚生労働委員会は、
各自治体に対して、それを示さず、
数値目標を作れと命じるようですが、
それは、自治体に対する無理難題ではないでしょうか。

彼ら、彼女ら議員たちは、自死の事例について
どこまで真摯に検討したのでしょうか。

自死がどうして起きるかも十分わかっていないのに、
施策行程表なんて、
どうやって作れというのでしょうか。

全国的な問題の部分だけでも
自分でサンプルを
作ってみろと思わずにはいられません。

数値目標という言葉でてきたら、
必ず警戒するとともに、
東芝を見習って、
それは合理的な目標か、実現可能かということを
集団的に理性的に見極める必要があると思います。

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