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うつ病患者は、家族に何を求めているか。逆に家族は本人に何を期待しているのか。survivor7 [家事]

うつ病で苦しんでいるのは本人だけではなく、
家族もやはり苦しんでいます。

毎回同じ話で恐縮ですが、
本人のうつ病が軽快したかどうかは
家族の表情にはっきりと表れています。

患者さん本人に対する支援はそれなりにあるのですが、
家族に対する支援をもう少し強めることが
家族のうつ病予防のためにも必要だと感じています。

一つは、後ろ向きな言葉を聞くこと自体がつらいです。
一つは、このまま働かない状態だと
自分が死んだ後でどうなるか心配だとか。
一つは、世間の目等も気になるところです。

せめて家族同士の交流の場があればと思います。

東北希望の会は、もともとは遺族の会です。
でも、設立の時から
過重労働でうつ病になってリハビリ中の方に
創設に尽力いただいています。

最近は、同じように闘病されている方が
どんどん参加するようになってきました。
うつ病経験者の方も、
自分の経験が生かせるならばということで、
どんどん参加していただいています。

また、家族が、特に夫がうつ病だという方も
複数人参加されています。

みなさん、自分の経験を何とか活かしたいと
一生懸命お話していただいています。

だから、ものすごく勉強になります。
私が勉強しただけではもったいないので
ぜひお伝えしたいと考えました。

本人にとっての家族とは
一言では言えない複雑な場所のようです。
最終的には最後のよりどころで、
最後のよりどころと位置付けられた人が
うつ病の克服に向かうという事例が多いです。

しかし、先ずは、負担になるようです。

一つは、家族に心配をかけたくないという気持ち
このために、家族の前では、わざとふざけて見せたりして
病気や通院を隠そうとするようです。
一般的に、普通に隠そうとされています。

笑顔を作ることも、大きな労力が必要ですから、
家族と接した後は大きな疲れが遅い、
寝込むこともあるようです。

また、うつ病等で休職しているときは収入が無いので、
「自分は家族のために役に立たない
 必要ない存在だ」
という負担感が強くなるようです。

いじめ事例などでは、
「こんなに馬鹿にされている人間が家族なんて
 申し訳ない」
という気持ちになることもあります。

また、そういう気持ちですから、
家族から
特別な配慮をされたり、はれ物に触るようにされると
ますます苦しくなるようです。

うつ病患者にとって、家族は、
「どんなことがあっても、これまで通り接してもらいたい」
という気持ちなのだそうです。

何か弱点を指摘されることがつらい
ということなのだと思います。
批判されなくても、責められなくても、笑われなくても
指摘されるだけで、辛いようです。

「病気はある、病気によるいろいろな不便さはある
 だけど、家族だから受け入れる。」
というような事実と感情を結びつけない対応が
楽なようです。

だから、善意でアドバイスされたり、
生活態度を注意されるのではないかと
そういう予想が、隠すということにつながるようです。

これは、言うは簡単ですが、
家族は心配ですから、
平気を装うということは、
よっぽど良く考えて、下っ腹に力を込めて
対応しなければなりません。

どうしても心配ですから、
何かアドバイスしようとしてしまいがちです。
それが自然ですから、そうしないことは
かなり大変なことです。

では、家族はどのような対応をすればよいのか、
どうやら、
根拠があろうとなかろうと
「そのうち何とかなるんじゃない。」という姿勢が
必要なのだそうです。

投げやりのように聞こえるかもしれませんが、
「本人の回復力を信じる」
ということができないと、そのような姿勢はできないようです。
これも歯を食いしばって、自分を誘導するしか
ないように思われます。

これは、大変効果があるようです。

うつ病になると、それだけで、特に原因もなく、
罪悪感や、役に立たない感が出てきます。

ただ、本人から子細に話を聞くと
初めから無理なことを考えている方が
大変多くいらっしゃいます。

たとえば、
うつ病であるにもかかわらず
明日から、これまでと同等の会社に勤務しなければならないとか
学校に行って平均より上位の成績をとらなければいけないとか
自分でハードルを高く設定しているなと
強く感じます。

私の知っているうつ病と診断された方々は、
みんなまじめで責任感が強すぎるようです。

多くの家族が、家族のうつ病を受け入れた時、
一番の願いは、
今より良くなることです。

結果を出すというより、
結果に向かう過程を実感したい
ということがギリギリの本当のところのようです。

「本人の責任感」と「家族の想い」には
ギャップがあるようです。

むしろ、本人の責任感が本人を苦しめて、
病気の直りを遅くしているということが実情で、
もっと楽にしてよいのだ、いやそうしなければならないのだ
と考えた方が、結果にも早くコミットするようです。

急がば回れ。

私が、多くのうつ病の依頼者、相談者と接していると
少し良くなれば、もう少しよくなる
という人もいれば
そのうち劇的によくなる人もいます。

最初から完璧によくなろうとする人、即ち
段階を踏むということを観念できない人は
なかなかよくならないという面があります。

そういうことが、
病気を受け入れるということなのでしょう。

家族に世話になることを
すっかり本人が受け入れた時、
申し訳ないという気持ちから感謝の気持ちに代わるとき、
回復し始めると経験を聞きました。

本人は、最終的には、家族に受け入れてほしいという気持ちがあり、
最後の砦として確保しておきたいという気持ちが強く、
それで家族に心配や負担をかけたくないとか
家族に嫌われたくないという気持ちが出てきてしまうかもしれない
とお話しされていました。

なかなか難しい話になったかもしれません。
うまく伝えられないのは私の力量なのでしょう。

ただ、このように、家族のもどかしさ、心配
感情を殺す努力などもあるので、
本人の家族に対する申し訳なさを軽減するためにも
いろいろなやり方で
家族支援を行うことが必要だと
改めて考えました。
どうやら、これは、自死予防だったり
うつ病の軽減の切り札になりそうです。


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黒田如水

父親の末期癌の看病の時母が耐えられなくなり
父親と母親の看護を独りで抱え、父親が亡くなった後は母親が自殺未遂。閉鎖病棟で暴れまくる母を看護してきました。3年経つと今度は呆け気味に。後見人として毎週末は家に連れて帰り子供の様になりました。その途中籍だけ入れて私も4人家族になったら、今度は母が病棟で事故死。会社は、最低成績でなんとか辞めずにやってきましたが、目一杯働けない人間ですから、干され今度は、自分が精神的に目一杯で二度休職し会社に復帰したまた翌年今度は、妻の突然の実子誘拐。3歳、5歳でした。平成15年から13年一緒懸命人の為に尽くしましたが、鬱も拗れても天涯孤独で休職してもどうにもなりません。引き離された子供に会うのに2年かかり今は、妻から離婚訴訟。障害者2級の手帳を取得しながら天涯孤独に蝕まれながら、欠勤で給料を減らしても婚姻費を払いながらどんどん鬱が、拗れながらでも休職できないから毎日苦しみながら、いつか心臓の鼓動が止まるまでとぼとぼ生きていくしかありません。死に切れなければ、更に地獄ですから。不本意な人生いつ終わるんでしょう…
by 黒田如水 (2016-10-07 19:21) 

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