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DVで書類送検された野球選手の反論はありうることなのか。もしそうなら妻が嘘をついているというのか。 思い込みDVの生まれ方の説明として [家事]


1 プロ野球選手の事件

報道によると、あるプロ野球選手が
妻に暴力をふるったという妻の被害届によって
書類送検をされたとのことです。

警察は捜査を行い、選手を取り調べた上、
警察は微罪処分などをしないで
検察庁にその後の判断を仰ぐべく事件送致したそうです。

それにも関わらず、スポーツ紙によれば、
選手は暴力を否定しているというのです。
実際は暴力がなかったということは、
ありうることなのでしょうか。

実はよくあることです。

2 実際にはよくある裁判所で否定される妻のDV主張

この事件の真相はわかりません。
でも類似の事件はたくさんありますので、
ありうることだという説明の範囲でお話しします。
思い込みDVというものなのです。

実際は暴力がないのに、妻が夫の暴力があるとして
離婚を申し出て、調停だ、裁判だというケースは
ごく普通にあります。
巻き込まれる子どものことを考えると
多すぎるなあと思います。

現実に裁判所で夫の暴力が否定されています。
夫の暴力はなかった。妻の妄想だという判決や
夫の行為によって妻に痣ができたのは間違いないが
意図的な暴力ではなく
妻を制止しようとした際に痣ができた
という判決もあります。

また、妻の主張する夫の「暴力」が
結婚生活で唯一の暴力の場合、
めったに手を出さない人が
どうしてその時に暴力にいたったかということが
全く説明できないというケースもあるのです。
本人は、説明しているつもりなのですが、
暴力が起きる前段階の事情と切り離されていたり
流れが不自然でリアリティーがまるでないのです。

裁判官から説得されて
妻が自ら裁判を取り下げたケースもあります。

妻の妄想を児童相談所や警察が真に受けて、
子どもが父親から引き離されて
一切連絡がつかない状態になっていることもあるのです。

3 暴力があったと思い込む心の流れ

1)必ずしも病気ではない

私の担当した事件の範囲での
ありもしない暴力や攻撃があると思い込む
妻の気持ちの動きを説明してみます。

確かに病気による妄想というケースも多いのですが、
私には病気とまで言えない普通の出来事の範囲
と思っています。

2)出発点としての女性の不安、自信の無さ

先ず、その女性の元々の性格か
その時の状況によるか
はたまた病気の症状かはともかく、

女性は自分に自信を持てず、不安を持て余しているようです。
特に理由がなく、不安は漠然としたもののようで、
なかなかそれを言葉にすることは難しいようです。

「自分はこのままでよいのか。」
「自分だけが損をしているのではないか。」
「自分が尊重されていないのではないか。」
という言葉にたどり着く場合も多くあります。

自分が産んだ子どもは夫(およびその両親)から尊重されているけれど
自分は子どものように夫(およびその両親)から尊重されていない
と感じる場合があり、
自分だけがよそ者のような感覚を持つようです。
潜在意識の中で、いずれ追い出されるのではないかと感じているようです。
これは無意識、無自覚に感じているようです。

これは何か理由があってこう考えているわけではないのです。
子どもが嫌いになっているわけでもありません。
しかし、本心ではなく、子どもに加害行為をするということを
夫に予告する妻もいます。
「子どもをマンションから落とす」
「子どもなんてかわいくない」
「わしは子どもの召使ではない」
それはこういう心理状態を言葉にしたもので、
夫から尊重されたいということを言っているにすぎないと
私には感じられます。

夫との関係に自信が持てないというのが本質なようです。

そこまで夫を好きで好きでというよりは、
夫婦という関係を過剰に大切に思いすぎてしまうようです。
大切すぎるあまり、
その関係が壊れてしまうことを考えてしまい、心配になるようです。

3)不安解消要求の肥大化

不安を感じると不安を解消したいというのが
動物の生きる仕組みです。
天敵が近づいてきたら、不安になり
不安を解消するために逃げるわけです。

ところが人間関係はこのように単純ではなく、
別離の不安というものは逃げて解決するわけにはいかない。
この不安は理由があるものではないことも不幸の原因です。
解消するためのピンポイントの手立てはないのです。

不安をもって、不安解消要求があるのに、
不安を解決する方法がないというのが、一番悪い。
こうなっていくと、どんどん不安解消要求が高まってしまいます。
不安だけが高まっていくのです。

4)脳、思考に対する影響 思考の単純化と悲観的な思考

不安が高まりすぎて、いつまでも続いていると
脳が疲れてしまいます。
分析的に物事を考えることができなくなり、
複雑な思考をしなくなってしまいます。

二者択一的な思考になってしまいます。
夫は自分を嫌っているのかそうではないのか
という変な二者択一になってしまいます。

そうして、どうしても悪い方悪い方に考えていきます。
ふつうは何とも思わないことが
自分を攻撃しているように感じてしまうのですね。

例えば
家に帰ってきて、仕事を持ち帰ったので夫が部屋に入ると
自分を嫌っているから自分から離れたいのではないかとか
子どもにばかりお土産を買ってくると
自分には何もくれてやるものはないというアッピールではないかとか
自分が作ったご飯を残すと
こんな料理な下手な嫁は入らないと思っているのではないだろうとか

日本の男性は、あまり妻に感謝や称賛を日常的に口にしないので、
二者択一のうちの良い事情はありません。
当初の不安が、ものの見方をゆがめ、その結果ますます自信がなくなる。
益々不安になり、益々見方がゆがみ、さらに自信がなくなり、さらに不安
という悪循環になるわけです。

週刊誌を立ち読みしたのですが、
件の選手の妻は、
夫の携帯電話に一日中電源が入っていないので
浮気をしていたと断定しています。
そういう極端な考えになるわけです。
でもこれも特に出産直後は普通の出来事だと思います。

5)被害意識の増大と夫の反射的防御反応

自信がなく、夫から嫌になられているのではないかという
被害意識は、さらなる被害意識を呼ぶわけですが、

夫から事務連絡のようなことを話しかけられても
自分が攻撃されている、低評価されていると思いますから
言い訳をしたり、夫に逆切れをしたりするようになります。

例えば、夫が
「これから仕事に行くけど、子どもが鼻水流しているなあ
 あったかくさせておいてね。」
なんてことを言うと
おそらく、自分の温度管理が悪いと
しかられていると受け止めてしまうのでしょうね。
「その子の鼻水はアレルギーなの、寒いわけではないの。」とか
「私が何度言っても、靴下脱いでしまうのよ。あなたの遺伝だからあなた何とかしなさいよ。」
とか、言い訳を大声で始めたり、
「あなた一日中家にいないくせに、私は一日中この子の世話をしたり家の掃除をして、座ることだってできないのよ。そういうふうに一日家を空けるならばお手伝いさんを雇うくらい給料もらってきなさいよ。」
なんて逆切れされるわけです。

夫は、相手を責めるつもりではなく、
二人の子どもなのだからお互いに気を付けようというくらいの気持ちでも
不安解消要求が強くなった妻に対しては
文字通りに伝わらないことが多いのです。

そういう事情を夫はわかりませんから、
妻が理由もなく自分を攻撃してきたと思います。
夫にも自分を守る本能があるために、
この本能が発動してしまいます。
反射的に反撃をしてしまうわけです。

通常、議論はかみ合いません
「暖かくしているに越したことないだろう。なんでそれが嫌なのだ」
と夫は正論を吐きますが、
妻は、言葉通りに細かく受け止めません。
自分の必死の発言を即時に否定されたという外形だけを受け止めます。

「私のことを馬鹿にして何様のつもりだ」
と感じることも自然な流れですね。

字面で論点を把握する夫と
全体の人間関係としてのやり取りで論点を把握する妻は
論点がかみ合うわけがないのです。

「これは妻が悪い」と考える人は
あまりにも冷たい考え方だと思います。
会社等組織的行動原理を
家庭に持ち込んでいるだけのことだと思います。
(いろいろ考えた結果こういう結論になりました)

6)新たなる心配の種(悪循環の再生産)

妻は逆切れしたり、言い訳したりするようになると
夫との口論も増えていくのですが、
さあそうなると、妻の心配はもう一つ増えます。
「こんなに話がかみ合わないで感情的な自分に
夫は愛想を尽かすのではないか」
という心配なのです。

「どうせ、私は変なことばかり言ってすぐ感情的になる
と思っているのでしょう。」と思い出すわけです。

この心配が、益々自信を無くさせ、不安を招き、
新たな被害感情を産むという悪循環を大きくしてゆきます。

7)記憶の変容

ある事件で、偶然夫婦喧嘩が録音されていました。

どうせ〇〇だと思っているのでしょう。
というパターンが録音されていました。
夫はそれに何の反応もしていません。
ところが、
裁判で出てきた妻の陳述書では
「夫から〇〇と言われた。」
と発言者が妻本人から何も言っていない夫にすり替わっているのです。

私は妻が嘘を言っているのではないと思っています。
しかし、確かに事実と違うことを書いているわけです。
夫は〇〇と思っていると妻に言っているわけではありません。
そもそも〇〇であると思っているかどうかもわかりません。

しかし妻の記憶では、どうやら夫から
〇〇と言われたという記憶になっているようなのです。

人間の記憶なんてそれほど正確でも詳細でもありません。
私たちは自分の記憶が正確だと錯覚しているようです。
そういうふうに思われるのではないか、言われるのではないかという心配と
実際に言われたということは、
被害感情が強くなった妻のその時の気持ちでは
区別をする必要がなかったのでしょう。
どちらも同じことだということだったのだと思います。
だから
言われたという記憶として定着することもありうることなのです。

8)記憶の欠落

それから、ありもしない暴力があるというのは
記憶の欠落ということも裁判では認定されています。
例えば、客観的事情として妻の膝に痣がある
その痛みが始まった記憶と、部屋で自分がひざまづいている記憶
近くで夫が立って自分を見下ろしている記憶
これは鮮明にあるわけですし、間違っていないのです。

しかし、その前の記憶は欠落しています。
「夫が自分に働きかけて自分は転ばされたのだろう」
と考えるわけです。
しかし、どうしてそんなことをされたのかについては考えない。
だから記憶がつながらない。

それでも、それは夫のDVだという主張をするわけです。
「DVがあったことは間違いない」と考えるでしょう。

ところが、実際は、
妻が興奮状態で、部屋から飛び出そうとする
慌てて夫がそれを止めたところ
勢い余って転んでしまった。
こういうケースを、1,2件に限らず裁判で主張され
裁判では暴力が否定されています。

痣の診断書があるから暴力があったと
短絡的に認定する裁判官はもうあまりいません。
おそらくそのような主張を裁判官も多く経験したからでしょう。

4 妻が離婚を決意する理由

妻の自信の無さ、不安、被害感情、逆切れ、自己嫌悪、自信のなさ
という途切れることの無い悪循環は
それは事実ではないとしても
こころが苦しくなることは間違いありません。

何とかこの心の苦しさ、不安から解放されたい
という気持になることは無理がありません。

しかしその方法が見つからない。

苦しさから解放されれば何だって良い
という気持になることもある程度やむを得ない流れだと思います。

ある時気が付くわけです。
「離婚すればこの苦しさから逃れられる。」
ほっとする気持ち、ほのかに明るい気持ちになるようです。
本当は夫との関係を大切に考えていた気持ちが
逆に妻を苦しめ、離婚を考えさせるという
なんとも不合理な出来事が起きているわけです。

しかし、一度こういう考えにとらわれてしまうと
夫が怖くなったり、嫌悪、憎悪の対象になってしまいます。
これを覆すことはなかなか難しいのです。

5 妻が不安になる最初の事情

夫の暴力やモラルハラスメント、不貞の無い事案で
妻が不安になる最初の事情としては、
出産の影響が良く言われています。
重複するかもしれませんが産後うつ、甲状腺機能の問題、
不安障害、パニック障害、月経前症候群
という事情がある場合もあります。

出来事としては、自分の弱点を修正できない
片付けられない、掃除ができない、浪費、借金
妻が別居した後に
公共料金や家賃が支払われていないことに気が付くことは多いですし、
キャッシュカードを預けていたら、
別居した日に200万円キャッシングされていたということもありました。

実感のレベルなのですが、思い込みDVの事案では、
夫は給料を全部妻に入れて小遣いをもらうというパターンがとても多いです。

それからいたましい事情としては
お子さんに先天性の障害がある場合がかなり多いです。
この事件を担当するようになって
先天性の障害についてかなり詳しくなりました。

以外に多いのは住居を新築した後の別居も
かなり多くあります。
おそらく、住宅ローンの支払いの不安が関係しているのでしょう。

6 妻の不安を増強し、固定化する事情

本来妻の不安は根拠がなく、具体的なものではないのですが、
それを歪んだ形で具体化し、固定化してしまう人たちがいます。
配偶者相談の人たちもそうなのですが、
医師や心理士、警察、学校関係者も見過ごすこともできません。

妙な正義感があって
女性を助けようとジェンダーバイアスがかかった見方をするわけです。
女性が不安や焦りを感じていれば、
どこかに夫のモラルハラスメント、DVがあるはずだというのことです。
全ての男性は自己愛性パーソナリティー障害を持っている
ということと同じことを言っているのです。
それも男が、我が身を顧みずに言っているのですから情けない。

また、自分で言っていて、自分で怖がるのでしょうね、
夫に事情を確認しようとすることはありません。

漠然として不安を持ち、不安を解消しようとしている妻は
原因は夫だと言われるとほっとします。
原因がわかれば解決方法が出てくると思うからです。
そうなると、原因は夫であってほしいという願いさえ出てくるようです。
自分には味方がいる子どものために頑張らなければならに
という使命感さえ出てくるようです。

即時に夫に対する嫌悪感、憎悪の情が生まれるようです。
元々あったわけではなく作られるのです。

これが思い込みDVです。

7 夫に原因はないのか夫婦別離による子どもを救済する方法はないのか

さて、私は、妻のこのような思い込みDVが生まれる過程は
病的な異常なものではなく、
普通の、日常的な人間の営みの範囲に含まれる出来事だと思います。
どこのご家庭にもあることだということです。
必ずしも治療が必要でも有効でもないこともあるでしょう。

一昔前は、家の中に夫婦と子どもの外に両親がいたり、小姑がいたり
すぐ近くに親戚やご近所さんがいて
忙しい夫よりも家の中のことがわかる人もいて
一緒に悪口を言って笑ったり
被害感情が過ぎる時には、それは違うよと言ってくれたりした人たちに
まだましな方の旦那さんだよとかね。

ところが今の家族は孤立しています。
単なる気の迷いが深刻な不安になってしまうわけです。

ゆっくり子育てをしていると
働かない人間は輝いていないというように
世間も母親を焦らせることしかしていません。
子どもを育てることがあまり評価されない時代のようでもあります。
子どもに愛情を注ぐことを犠牲という表現でしばしば語られます。

どうしても夫が何とかしなくてはならない
夫しかいないのです。

例えば妻の実家とは良好な関係を作るとか
自分が妻のチームから孤立しないようにするということも大事です。

また、妻自身と一緒にいる時間を増やすということももっと大事です。

感謝と称賛、そして妻の気持ちに即した謝罪
こういうことで、少しずつ安心の記憶を積み重ねていく
こういうことはできるし、するべきなのでしょう。

そうして会社の論理を家庭に持ち込まない。

妻の不十分点、失敗、欠点をできる限り大目に見る。
妻が安心して家にいることが幸せなのですから
幸せを一直線に目指せばよいのです。

良いのですが、なかなかこれも難しい。
3割くらいこれを実現できれば
努力を感じてもらえるというように思っています。

なかなか難しいのは子ども悪口ですね。

これを全くしないことは思い込みDVを大量生産することになるでしょう。

だから、思い込みDVというのは妻が悪いわけでも
夫が悪いわけでもない。
ただ、幸せになる方法を知らないだけということだと思っています。

一番の被害者は子どもたちです。
子どもたちには、事態を解決する能力も責任もないからです。

加害者がいるとすれば
男は自己愛性パーソナリティー障害だと結果的に決めつけて
家族を分断する第三者に他なりません。
子どもたちはこれらの人たちの犠牲者だと思っています。

弱く力のない現代の家族を
これ以上壊さないでほしい。
子どもたちに、自分の血を分けた親を
悪く思わせないでほしい。
心からそう思います。

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