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黄金律(あなたのして欲しいことを相手に行いなさい)が行動基準となるための超えなくてはならないハードル 正しい理解と志向意識水準 [故事、ことわざ、熟語対人関係学]



黄金律とは、
あなたのしてほしいことを相手にしなさいというものや
あなたがして欲しくないことは相手にしてはならない
というものです。

これができれば、家庭や職場、その他の人間関係でも
みんなが幸せになっていくのですが、
なかなかこれができない。
これができないので、みんながギスギスとしてストレスを抱えていく。
パーフェクトにしなくても、
それをしてもらっているという実感があれば
人は幸せになり、強くなると思うのです。

どうしてこれができないのかということを考えてみることにしました。

一つには、ばかばかしい話なのですが、
黄金律の内容をよく理解していない人が多いということです。

典型はバーナード・ショーです。
「私はタバコが吸いたい。相手は禁煙しているが
 黄金律に従えば、タバコを勧めなければならない。」
と言っています。罰当たり(ばちあたり)なことです。
もっとも彼はジョークとして言っているのであり、
想定していたジョークの相手は、
みんな黄金律の真の意味を把握している人だ
ということなのだろうと思います。

では、どうしてそういう意味が間違いなのでしょうか。

黄金律は、手短にまとめて言われることが多いのですが、
実際は、
「自分が相手の立場だったらと考えて
自分だったらこうしてほしいだろうなと思うことを
 相手にしてあげましょう。
 もちろん相手に断られたらそれはしません。」
という意味なのです。

常識的に考えればわかることです。

黄金律を提示したイエスや孔子の時代は
社会は現代ほど複雑ではなく、
他者と自分の同質性が今よりあったので、
私が述べたような回りくどい表現をする必要がなかった
という事情もあるかもしれません。

黄金律は他者への配慮を説いたものです。
ここを外して解釈してはなりません。
バーナード・ショーのようにここを外して字面通りに読むことは
その真意を捻じ曲げているということになります。

余計な話ですがカントは、
黄金律で行動しようとも
自分の私的利益を行動の動機にしてはいけない
という余計なことを大真面目で行っています。
問題は相手がどう受け取るかということに尽きるのであって、
自分の動機に何が入ろうと入らないと
相手にとってはどうでも良いことです。
それはあまりにも自己中心的な子どもじみた考え方であり、
それによって、困っている相手に救いの手を躊躇するならば
弊害にしかなりません。

さて
黄金律が私たちの行動基準にならない理由はもう一つあると思います。

黄金律は、例えば、
相手の立場に立って、相手がして欲しいだろうなと思うことを推測して
それを実行するということならば、

先ず、相手の気持ち、相手の状態を推測しなければなりません。

実はこれがなかなかできない。

推測することは、不可能ではないのです。
一般には考える能力を人間は持っているのです。
但し、さあ、相手の気持ちを考えようと始めるためには
考える人に精神的余裕と時間が必要なようです。

つまり、本当は能力があるのに、
それを使おうとしていないだけだということになりそうです。

使おうとしない理由は二つあるだろうと思います。

一つにはどうやら、
相手の気持ちを考えるとか
相手の立場に立って考えるということは、
ある程度頭を使わないと考えることができない
ある程度頭を使って日常を過ごすことに
人間の脳は、適応していないようなのです。

人間は、日常生活では
驚くほど頭を使う労力を省いているようなのです。

どうやら相手の心を推測するということは、
おそらく2桁の掛け算をする位の労力が必要なようです。
その労力を使うことを無意識に拒否して省力化して生きているようです。
それが証拠に、対人関係の不具合で悩んでいても
あまり、自分と相手の人との関係図を書いたり
要素を抜き出してメモを作って考えるというようなことを
人はしないわけです。
省力化を驚くほど徹底しているようです。

分析的に考えようとしていない証拠だと思います。

だいたいは考えないで悩むだけ。
なんとなく不快に思っているだけ
というところが私たちの実際だと思います。

そもそもがあまり考えるという労力を使いたがらない
という人間の性質があるため
ほっとけば相手の立場なんて考えない。
だから黄金律が必要になるわけです。

どうやらこういう考えができるかどうかということを
「志向意識水準」というようです。

第1次は、自分がこう思っていると感じていること
第2次が、相手はこう思っていると考えられること
第3次は、自分がこう思っていると相手は思っていると思う
第4次は 相手がこう思っていると私が思っていると相手は思っている
第5次は、自分がこう思っていると相手が思っていると自分が思っていると相手が思っている
とかもうこんがらがるというか、どう違うのかわからなくなるのですが

どうやら通常は第1次志向水準にとどまるようです。
ただ、これだと人間でなくてもできるわけで、
人間同士のつながりの中では
それは幸せになれないでしょうね。

相手の気持ちを考えようとしない理由はもう一つありそうです。

ただでさえ相手の気持ちを考えるように
頭を働かせていないのに、
さらに、相手の立場を考えようとしない場合があります。
一番は自分を守る時です。

例えば、相手からわけのわからないことで
激しくののしられている場合に
自分を守るために反撃しようとしない人なんて
それ程いないと思います。

考えたとしても
どうやって懲らしめてやろうかという文脈で
相手を攻撃するために考えるというくらいでしょうか。
それにしても二桁の掛け算の労力ではなく
せいぜい三桁の足し算程度の労力でしか
頭を使っていないと思います。

これでは
まるっきり弱肉強食の世界になってしまいます。

これは困ったことです。
何とかしなければ自分も周囲も殺伐としてサバイバルの中で
ストレスがどこまで高まってしまいます。

実際、人間同士の争いはこうやって生まれているように感じます。


生身の人間ですから
すべての人類に対して相手の気持ちを考えて行動するということを
先ずは考えないようにするということも選択肢の一つではないでしょうか。

それから、他人に、自分に対して黄金律で行動してほしいとは思わないこと。
思っても願っても、どう考えても無理です。
無理を通そうとするからストレスが生まれるわけです。

これはもう、「情けは人の為ならず」ということで
自分で黄金律を実践する。
相手がここちよかったらまねしてくれるだろう
まねしてもらえないならそれまでだ
という割り切りが大事なのではないかなと感じています。

では誰に対して黄金律をもって接するか
それは家族だと無理がないと思います。

でも実際はそれをしているわけです。

先ずは赤ん坊が生まれたら黄金律で行動していたことでしょう。
私がこの赤ちゃんだったら抱っこしてほしいと思うのではないか
おっぱいを飲みたいと思っているのではないか
眠いけれど眠れないからあやしてほしい、安心させてほしい
と思っているのではないかと思い
そうしてあげるわけです。

哺乳類は本能的にこれをやるわけですし、
人間のお母さんも時々くじけそうになりながらもやっていたはずです。

また、結婚前、あるいは結婚後しばらくするまでは、
相手に喜んでほしいというプラスの目標で
相手の気持ちを考えて、楽しくドキドキしていたはずです。

それがいつしか、
ネガティブの気持ちしか持てなくなり、
相手に嫌われないようにドキドキしているならまだよいとして
もうどうして良いかわからない
自分が悪いわけではないという開き直った気持ちになってしまう
こうなってしまうと、お互い幸せではないですね。

でも相手の立場で考えることができないから
どうすることもしない。
ここを転換するということはなかなか難しい、
難しいことだけはよくわかるということに落ち着きそうです。

どうして自分を守るのか
何から自分を守るのか
相手の気持ちを考えるとどういういいことがあるか
今年のテーマになりそうです。




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コメント 2

ピーマンパパ

相手の気持ちを思いやる。なかなか出来ないが大切です。
裁判所の入り口には
「汝の敵を愛せよ」と書いてほしい。

そう思いました。
by ピーマンパパ (2020-03-12 06:26) 

ドイホー

痛烈ですね
by ドイホー (2020-03-15 14:01) 

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