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特に自死・自殺の原因について、目的が立派なことだとしても、無責任に言及することが不道徳であることの説明 特にSNSでの論及には注意するべき理由 [自死(自殺)・不明死、葛藤]

日本のような自死予防対策が遅れている国では、著名人が亡くなった場合、特に自死で亡くなった場合、テレビ報道がなされますが、コメンテーターが出てきて、あれやこれや自死の原因を言い出すことがあります。

ある著名人がなくなったときには、生い立ちや家族関係まで暴露していたワイドショーもありました。自死に至った経緯としては、まったく客観的事実の報道とは思われないのですが、
お金になるのでしょう、ここぞとばかりに説明する人がいます。

私のように自死の原因が何なのかを調査して裁判などで主張する人間とからすると、どうしてそのような決めつけでものを言えるのだろうと不思議でならないということがまず率直な感想です。

そして、「自死がある以上、必ずその理由だけで自死に至る人間関係の問題があったはずだ」という信念のようなものを前提としているのですが、これまた不思議でなりません。辛い事実、悲惨な事実があるだけで、自死ができるのだろうかということについてどうして疑問を持たれないのでしょうか。

私は、人間の感情や心、人間関係ということについて、自分では怖いくらいに自分が単純化して考えているという自覚があります。自分が論じているのは、自死や犯罪やいじめ、離婚などに至る気持ちの移り変わりに限定して論じているという言い訳を自分で自分に言っているのです。本当は人間の感情はもっと複雑で個性や体調によって目まぐるしく変化するとらえどころのないものだと自分に言い聞かせて勉強をし、このブログを書いています。

パワハラ過労死のような場合でも、「マニュアルの基準を満たす。よし、労災だ。」という単純な発想はありません。なるべく多くの人から人間関係の事情を聴き、その人の生い立ちなどを調べ、当時の精神的状態を調査し、その人がその場にいたらどのように追い詰められるだろうか、特にその直前の精神状態からの変化がどのようなものかということを推し量らなければなりません。

その上でなるほどこういう事情で自死に至ったのかと合点がいくときは、突然その心情が理解できてしまい、自分自身が精神的にパニックになることもあります。

簡単に言いますと
・ 大きなストレスが生まれる人間関係の出来事があったとしても、自死を決行しない人もいる。
・ 大きなストレスだと他人からは思われなくても、本人にとっては生きることができなくなるようなストレスである場合もある
・ ストレスが大きくはなくとも、その人の精神状態からすれば、例えばもはや生きていく望みを持っていない状態になっていれば、日常的な些細なことでも自死に至るきっかけになってしまう場合がある。

特に3番目のトリガー(引き金、きっかけ)は、自死が起きる場合にほぼ必ず存在して、第三者はそこに目を向け、自死の原因だと重視します。しかし、自死予防対策の文脈で自死の原因として重視するのは、「もはや生きていく望みを持てない状態」にした原因の方です。一つのトリガーを失くしても別のトリガーがあれば自死が起きます。そしてトリガーは、通常はそれがあるからと言って自死が起きたと言えるほどの重大なものではないから、トリガーを特定することが自死予防にはならないからです。

したがって、その人と人生の時間を共有していない人が、即席の情報収集で自死の原因を議論したとしても、自死の原因に行きつくことはおよそあり得ないことだと思っています。

しかし、人間は、誰かの不幸を見ると、自分も同じような不幸になるのではないかと感じてしまう生き物のようです。そして不幸の原因を探り当てて、その不幸に自分は陥らないようにしたいと考えてしまうようです。

要するに、
その不幸は、その人の特殊な事情から起きたものであり、自分にはその不幸は起きない と感じて安心したいのです。

他人の不幸を笑ったり、誰かを非難して、自分は関係がないと安心したいというわけです。

だから、自分の家族と話すとかごく身近の人間との間で自死の原因をうんぬん言うことは仕方がないことかもしれません。

問題はSNSとかこのブログのようなインターネットです。

「この人の自死の原因はこれだと思う」という書き込みは行わないほうが良いと思います。

理由の第1は、のべてきたように、大体は間違っているからです。
理由の第2は、関連付けられた人に対して、「あなたが自死に追い込んだのだ」と言っていることになるからです。

そして通常は、遺族が、自死の原因として取りざたされます。
遺族は、自分の家族が亡くなったのですから、当然に悲しいわけです。
遺族は、死の原因が自死だということで、自分が何とかすれば死を防ぐことができたのではないかと既に自責の念に苦しんでいます。(これは、自死でなくとも、もっと良い病院にすればよかったとか、あの時自分がこういうことをお願いしておけばとか、離れて暮らさなければとか、誰しも思うことです。自死の場合はそれが強くなるわけです。)

そういう家族の精神状態の中で、自分たちのことを何も知らない人が、自分が原因で家族が自死に追い込まれたと言われることを想像することはとても難しいことです。

特にトリガーという自死のきっかけは、とても些細なことです。日常生活にはよくあることですが、その時の精神状態によって、自分だけ排除されているとか、孤立しているとか、見捨てられたとか、何でもかんでも悲観的に考えてしまうのです。

ある遺族は、お子さんを自死で失くして呆然としながらも、法事を気丈にこなしていたのでしょう。その様子を見ていた全く事情を知らない親戚から。「どうしてこうなるまで放っておいた」と怒鳴られたそうです。こうして極端な例を見れば誰しもわかると思います。
この場合も言った本人としては、亡くなった当人の死を残念に思っての発言だということはわからなくはありません。しかし、それを言って何も良いことはありません。まったくの自己満足のために、遺族を苦しめただけの話に結果としてはなってしまいます。

厄介なことは、遺族を攻撃する気持ちが無くても、配慮が足りなくて結果としては遺族や関係者が傷つくことはとても多くの事例で起きています。

例えば、上司のパワハラが原因で亡くなったということが言える場面でも、言い方によっては、「どうして嫌がる出勤をさせたのだ。こうなる前に家族ならば会社を退職させればよかったのに。」と聞こえてしまうことが良くあります。

「そんな仕事をさせなければ死ぬこともなかったはずだ。家庭の事情で無理をさせたのだ。」と聞こえる場合もあるわけです。

第三者は、浅はかな慰めを言わず、ただただ、冥福を祈ればよいと思うのですが、やはり出来事が大きすぎて自分の中で処理しきれず、余計なことを言ってしまうのでしょう。しかし、だからと言って遺族を使って処理するくらいならば法事などに出ないことをお勧めする次第です。

また、夫婦のもう一方に原因があるかのようなうわさ話がなされ、どういうわけだかそのうわさ話が当人の耳に入ってくることも多く相談を寄せられることです。

家族以外の関係者への攻撃も起きています。

一口に職場が原因で亡くなったという場合でも、取引先が原因である場合もあるのに、勤務先の人間関係がどうのこうのと訳知り顔で述べる人たちもよく目にするところです。

よくあるのは、自分が原因だと思っている人たちが、自分以外に原因があったと盛んに言いまわって、それが遺族に聞こえてくるということです。ある意味責任感が強いのでしょうけれど。他人に責任を擦り付けてはなりません。
また、その中でも本人に責任を擦り付けることがよくあります。平気でうそを垂れ流すのですが、さすがに嘘をつくのは理由がどうあれ非難されるほかはないと思います。

学校のいじめが原因だとされてしまうと、クラスの全員が攻撃していたかのようなうわさや報道が流されたりします。しかし、実際は、微力の場合が多いのでしょうが、大勢に抵抗していじめられている子に手を差し伸べている子がほとんどの場合にいるようです。そういう子は、自分が自死した子を守れなかったという自責の念がありますから、そうでもない子と比べると報道やうわさなどによって精神的不安定になり、問題行動を起こすことが出てくるようです。

書き込みを行わない方が良い第3の理由は、
このような見当はずれの書き込みで苦しめられている家族や、友人、その他の人間関係にある人たちは、書いてあることがわかり、見当はずれのことだと感じても、反論することが事実上許されないからです。そして、なすすべがなく、自分がその人を自死に追い込んだということが永遠に拡散されていくと感じていてもどうしようもないからです。

そのような無責任なコメントを出した人やそのコメントに「いいね」を押す人たちが、その投稿に対して正当な反論を当事者が書き込んだ場合にどのような対応をするでしょうか。真摯に受け止めとめて、記載者にアドバイスをする人がどの程度の割合でいるでしょうか。むしろ、仲間を攻撃されたということで、何も事情を知らないのに追い打ちをかけることの方がイメージしやすいのではないでしょうか。

少なくとも、無責任な批判をされた方は、そのように考えて、初めからあきらめる人が大勢だと思います。

結局、事情を分からないで、自死の原因について無責任なコメントをすることは、たとえそれが良かれと思ってやったことでも、正義の感情に基づいて行ったことだとしても、一方的にまったく非のない人につるし上げを行い、反論を封じて攻め続け、孤立に陥れている危険性が極めて高いということなのです。

無責任な自死の原因論を語りだしているのを視聴したら、チャンネルを変え続けようと私は思います。

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