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納得できる理由を示して明確に否定された方が良い場合がある。自殺と業務の関係が否定された2件 [自死(自殺)・不明死、葛藤]



若い弁護士に対して、弁護士が関わる自死案件についての話をする仕事をしている関係から、過去の事件をまとめる作業をしています。その中で改めて気が付いたことについて今回お話しします。

ずいぶん多くの自死について労災、公務災害の認定を実現してきました。平成23年に認定基準が改定されたということで、やることがはっきりしてきました。このため主張立証もそれ以前に比べるとシステマチックになったのかもしれません。自死についての労災認定を目指す場合は、最終的には認定基準に添って主張立証することを意識することが大原則であることは間違いありません。

ただ、何が自死の原因だったのかということについては、とても難しいことだと心得た上で事件にあたる必要があると私は考えています。安易に労災ではないと判断することは一番避けなければならないことですが、安易に労災だと断定してしまうことも避けなければなりません。「確証バイアス」によって、何が原因だったのかを調査する真摯な姿勢が崩れてしまっては、認定されるべきものも認定されなくなってしまう危険もあります。無責任に遺族に期待を持たせて、余計に苦しませることにもつながりかねません。安易な肯定は、「遺族に寄り添う」ということにはなりません。

先ずは、客観的に、どんなことがその人に起こったのかということを丹念に調べていく必要があります。

20年以上前に、2件の事件が認定されなかったということがありました。認定されない方はよく覚えているから不思議です。

労災認定は、最初は管轄する労働基準監督署の署長名でなされます。ここで認定されない場合は、その上の労働基準局の保険審査官に審査請求(不服申し立て)をします。それでも認められない時は、東京にある本部審査会に再審査請求を行い、それでもダメな時は行政裁判を提訴することになります。

認定されなかった2件のうち1件は、本部審査会に再審査請求まで行ったけれど認定されなかったという事件でした。ご遺族の男性は善良で、熱心な方でした。弁護士からすると、こちらのやる気に火をつけてくれるし、一緒によく考えていただける頼もしいと言っても良い方で、馬が合うというのでしょうか、事件後も何年かは相談を受けたりしていました。

そういうこともあって、大分肩入れをして再審査請求まで突っ走っていったという感じでした。もちろん、可能な限り関係者にお願いして生前の様子を調査しました。被災者が明確にストレスだと訴えていた事項がすべて業務に関する事項であり、自分でも、そういうことがあったらかなり消耗するだろうなということもあり、私も労災であると本気で考えて活動をしていました。また、遺族の職場で、何も事情が分からない人が自死の原因が私の依頼者のせいだという無責任な陰口をたたいていたということがあり、何とかその無念を晴らしてあげたいという思いも強く持っていました。

第1段階、第2段階の否定理由が、こちらが自信をもって強いストレスを感じたはずだということを、根拠なくそれはストレスにはならないと断定されたような印象の理由付けだったので納得できませんでした。会社の説明をうのみにしたような印象も受けました。ところが、再審査請求の否定判断の理由をには、そのストレスが大したことが無いというよりも、いくつかの事実を指摘して、業務のストレスとは別にうつ病を発症していたということが述べられていました。

これからどうするかということを依頼者と打ち合わせをした時、彼は意外と思えるほどさばさばした様子を見せていました。その理由に一応の納得ができたから裁判まではしないと気持ちを述べられました。その上で二人で我々の調査結果と審査会の理由を突き合わせて検討したところ、なるほどそう考えた方がうまく説明がつくことがいくつかあることに私も思いつきました。

そうはいっても、全部が納得できたわけではないとは思います。それでも、自死の原因がうつ病にあり、うつ病にあったことには会社や家族に理由はなく、またそばにいた家族に自死が止められなかったこともやむを得ない事情があったということの説明を受けたということはお互いに実感があったと思います。

うつ病にり患していたことによって、日常的な軽微なストレスに強く反応してしまって、悲観的な感情が強くなっていったという説明を受け入れることにしました。ただ、この時その依頼者が先に納得していたことで、私の理解も進んだということがあったような気がします。そういう意味で私は彼を自然と尊敬していました。

もう一つの事例も、自死と業務の因果関係を否定されました。こちらの事案は、過去において長時間労働があった期間があり、その時にうつ病の萌芽みたいな精神変化があったとも考えられるということを記憶しています。前の事例は遺族の職場で遺族が自殺の原因だったかのような心無い噂話があった事案でしたが、こちらは義家族の間で、はっきりとは口に出さないまでも疑心暗鬼があったような事案でした。

手帳などの客観的資料に依拠して業務が原因だということを主張して労災申請をしました。労働基準監督官は、かなり誠実に調査をしてくれたようでした。代理人である私にも折に触れて相談をしていただいたような記憶があります。ただ、はっきり覚えていないのですが、これ以上の事実が見つからないと認定ができないというような示唆をされたような記憶があります。私は、結論が異なることはやむを得ない。ただ、理由付けについては丁寧な理由付けを示してほしいということを注文したと思います。結果は案の定労災だとは認められませんでした。理由付けは、当時の第1段階の手続きにしては例外的に丁寧な理由付けを小さい文字でびっしり記入されていました。

正直言って私はそれほど説得的だと思っていませんでしたが、遺族の琴線に触れたようです。ほっとしたような、やはりさばさばしたような様子で、労災ではないということに納得されました。遺族の視点で前の事件との共通点をみると、業務とは別にうつ病を発症していて、会社も原因にならないし、家族も原因にならないものだ、そして激しいうつ病の症状によって、自死に至ったため、家族にも止めることができない状態だったということが浮かび上がるような文面だったということに気が付きました。

こちらの遺族も不服申し立てを行ことをせずに、同居していた家を出て再出発をするという今後のことをお話しされていました。

二つの事件とも亡くなる前のうつの症状は壮絶なものがあり、亡くなり方はとても悲惨でした。何か原因があるはずだと考えたくなることはもっともなことだと感じます。ましてや、自分の近い人間から自死の原因が自分にあると無責任に感じていることが分かれば、「自分ではなく他の誰かの原因で亡くなったのだ」と考えたくなることはごく自然のことだと思います。自死に限らず、病死の場合だって、誰かに原因を求めてしまうのが人間だと私は思います。それが家族でなくとも、誰かに原因を求めてしまうほどの衝撃が自死にはあるようです。しかし、根拠もなく無責任に自死の原因を家族に求めてしまうことは人間としてやってはならないことだと強く感じます。これが一番遺族を苦しめることであることは、数々の事例を担当して思います。テレビその他のマスコミの自死の原因について無責任に議論をする風潮は何度も言っていますがやめるべきです。

ただ、きちんとした調査結果を踏まえてということが大前提となりますが、真摯に検討した結果自死の原因が誰のせいでもない病気のせいだというのであれば、そのことを真正面から説明する方が、遺族にとって救われる場合がある。亡くなった人の思い出を大切にしながら再出発するチャンスになるということがあることを二つの事件から学びました。

判断機関が理由を明示しないことは、疑心暗鬼につながります。悪い方へ考えが進んでしまいます。また判断機関からこのように思われたらどうしようという不安は常にあります。その二つの事件でもありました。しかし、不安に思っていた事前の心理状態と比べて、しっかりと明示されてみると、案外それが新たな苦しみではなく、立ち直るきっかけになることもあるのです。

根拠なく自死の原因とされたと広められた人間はいる場合は多いと思います。その人間には自死に対して責任が無いと判断できるならばそれをするのも判断機関のやるべきことなのかもしれません。

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