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企業体が、J記者会見から学ぶべき多くのこと 会見をする場合に弁護士やコンサルを利用する場合のポイントについて 「ルールとは」もおまけで [労務管理・労働環境]


1 会見の目的を徹底させること

9月と10月に大手芸能事務所が記者会見を行い物議を醸しています。どうせ会見をやるならば、会見を行う目的を達成しなくてはなりません。この事務所の会見の目的は、創業者による児童に対する人類史上類例を見ないせい虐待があったこととメディアに圧力をかけるなどして自社の独占状態をつくり自由競争を阻害したことが、外圧などにもよってオープンな議論のテーマとなり、これまで通りスポンサー企業もメディアもスルーできなくなったため、取引が危機に陥ったことに対して、損害を最小限度にするということが目的だったはずです。

おそらくこれまでの長年の取引があったということもあって、①社名を変更して②元事務所を消滅させることによって、スポンサー企業やメディアは新しく立ち上げる新事務所との取引を行うという感触もあったのだと思います。この二つを発表して、企業やメディアも多少世論の批判があったとしても、タレントを使い続けるという観点から事務所にアドバイスをしたのかもしれません。一部そのような報道もありました。

この会見は、思い切った反省と身を切る改革をしたのだということについては言葉の文字面では十分伝えていたと思います。

ところが、すぐに指名NGリストの存在をすっぱ抜かれ、その紙に「氏名」と記載されていたことから氏名を公表してはいけないリストだという言い訳があり、案の定NGリストの氏名さえもすっぱ抜かれて、氏名非公表リストではないことも白日にさらされたことによって、さらに世論の事務所に対する反発は加速されて行きました。もっともこの言い訳をしたのは事務所ではないと思われますが、結果として反発を強めたということは間違いありません。

私はNGリストよりも指名候補リストの方が問題だと思います。たとえ候補者の人たちが、事務所と結託していないとしても、事務所が困る質問をしないだろうと信頼している人たちに発言させるという意図があからさまになり、「やらせ」という印象を固定化してしまったからです。

しかし、このNGリスト、候補者リストもそれだけでは、現実の致命的な状況を招かなかったはずです。一番の問題は、事務所に対する批判緩和の切り札のI氏の発言だったと思います。

それまでも記者とのやり取りを聞いていて、視聴者、それと視聴者の動向を気にしていたメディアとスポンサー企業は、あまりにも事務所の発言者の態度が堂々としすぎていること等、モヤモヤしていた状況でした。言葉にならないけれど、気持ちが悪い、歯に物が挟まっているような感覚を持ち続けてきたわけです。

そうしたところ、司会者から指名されないNGリストの記者たちが発言を求めていたところ、切り札のI氏が、概要「落ち着いてください。子どもたちが見ています。ルールを守っている大人の姿を子どもたちに見せたい。」というような発言があったわけです。これも実に堂々とした発言で、味方の記者からは拍手も沸きました。これが最大の悪手だったと思います。

コアなファン層は、この発言で留飲を下げたことでしょう。また、NGリストの記者に反感を持っていた人たちが拍手をしたい気持ちもわかります。そして、保守を装った職業的ユーチューバーたちも、事務所に対するコメント動画をあげることなく、NGリストの記者に対する批判動画を一斉に上げだしました。私はこれは不自然に感じました。このような流れでもできていたのかとさえ思いました。

しかし、メディアやスポンサー企業が注目していたのは、このような人たちの動向ではなく、一般人の対応でした。おそらく、企業は、このようなキャンペーンは何も評価の対象にしなかったのだと思います。

それはそうです。メディアやスポンサーはこの事務所のタレントを使うことで、これ以上自分たちが批判にさらされないかということが唯一の関心ごとだったから、元々の応援団の動向は関心の対象にはなるわけがありませんでした。

切り札のI氏の発言の何が問題だったのかについては、むしろこれまであまり視聴回数を稼ぐことのできなかったユーチューバーが雨後の筍のように動画をアップしております。
1) 子どもたちに性虐待をしていることで問題となっている会社側の人間であるにもかかわらず子どもたちを引き合いに出すことは、反省の色が全く見えない。
2) ルールを守れという立場にはないということ
私は2)について説明をしようと思います。
ルールが存在するためには、法哲学者H.LA ハートによれば、ルールの対象者が、そのルールは守るべきだということを承認していなければならないとしています。ルールを破る者が出てきても、本来は守らなければならなかったという消極的承認でもよいわけです。
ところが、一人一問方式というのは、およそ記者会見にはふさわしくないやりかたであり、これでは記者が質問をする意味がありません。質問に答えないで別の話を始めても、重ねて問いただすことができないから、質問を無にするのは実に簡単だからです。当然事務所側の人間はルールだということで守れと言うでしょうが、一般の記者としてはルールとして承認できないことであることは間違いありません。つまり、一人一問形式はルールではなく、事務所からの「お願い」だったわけです。これを破ろうとする人に、「どうか一人一問形式でお願いします」とお願いするならわかります。それをルールだから従えというのは、大学の研究者から、加害者の論理と言われても仕方がないことだったと思います。

このI氏の発言が問題だったことは、後の事務所の言い訳によって、さらにくっきり浮かび上がります。事務所の言い訳としては、リストの存在は全く知らなかったというのに、I氏はこのリストを見て「指名しなければだめだ」と否定し、その結果では前半には指名しないで公判で指名することにしましょうという話になったということが言い訳の内容でした。この言い訳が本当だとすると、I氏は、指名しない記者のリストが破棄されないで存在し続けたことを知っていて、実際リストアップされた人の一番有名な人が指名されていないことも知っていたことになります。そしてその人が指名されなければ不規則発言をするだろうことも知っていたし、不規則発言も記者が指名されないために行っていたことも知っていたわけです。つまり、自分から彼女らを興奮させておいて、興奮したら落ち着いてくださいとたしなめたというわけです。しかもルールになっていない、こちらのお願いを守れという形での攻撃でした。

本来お願いするべきことを自分が正義だという立場からたしなめれば、その理屈に気が付かないとしても、批判的視聴者はモヤモヤが高まってしまいます。このモヤモヤが、せっかくの身を切る改革に対する評価を後景に追いやってしまいました。大変もったいない話だったわけです。

メディアやスポンサー企業は、この切り札発言で、自分たちも共倒れになる危険を感じたとしても不思議ではありません。好意的に見せかけて内情を調査していた人がいたとしたならば、NGリストの存在やその使われ方についてリークをすることは本来想定しなければならないことでした。最初のすっぱ抜きが、テレビで放映されたわきに抱えた写真だけの情報で報道するわけが無いということ、どうやって報道に踏み切る裏付けを入手して、どうやって報道に踏み切ったのか、つまり自分たちはどう扱われているかについて、言い訳をするにあたっては考えなければならなかったわけです。裏リストが報道された時点で気づくこともできたはずでした。

半分しか知らないよという下手な言い訳をしたことによって、切り札の開き直りの態度(本人の希望ではないにしても)が浮かび上がってしまい、今後この切り札を切ることができなくなってしまいました。

なぜ、このような発言と言い訳をしてしまったのでしょうか。ここは想像ということになります。おそらく第1回の会見での質問がよほど腹に据えかねたということではないでしょうか。あの質問が1回目の会見をダメにしたと感じたと思っただろうということです。そして1回目の会見を構成したのが事務所の番頭格(実質的な日常業務の意思決定者)だとすれば、当然そのように考えたと思います。

そして、1回目をダメにされた恨みで、2回目でその記者に恥をかかせようとしたということであれば、NGリスト、切り札発言、拍手の意味がよく理解できます。もしそうであれば、会見の目的外のことに力を注ぎ過ぎて、会見の目的を強調することができなくなってしまったということになります。

ではどうすればよかったか。
私は、多少後知恵の感が自分でもするのですが、オープン形式の記者会見なんてやらなければまだ良かったと思っています。記者を呼ばないか、2,3名の記者だけで事務所の名称変更と解体を宣言するということです。批判をかわすことに十分ではないとしても、切り札発言と拍手ということは回避できたはずです。

もしどうしても、スポンサー企業やメディアの要請があるというならば、徹底的に攻撃を受けるということです。ひたすら謝罪を繰り返し、記者の攻撃に対して「勉強になります。検討をします。今後の事務所運営に活かしたいと思います。」と繰り返し、攻撃に無防備にさらされる姿を見せ続けることによって、さすがに「かわいそうだ」と印象付けるという選択肢があったと思います。その点は彼女らが反発することは十分計算できたし、そういう理不尽な攻撃をされて打ちひしがれている表情を作り続けることについて二人は十分できたと思います。そうすれば、「みそぎがすんだ」という評価を受けることも可能だったのではないでしょうか。将来的損失は最小限度に防げたし、憎しみは旧会社とともに消滅していくとなったことだと思います。

 あくまでも身を切る改革、社名変更と解体を前面に報道してもらわなければならなかったのに、余計な結果を招いてしまったということになろうかと思います。

2 その他の教訓
  相変わらず長くなっちゃったので、後は結論だけ述べます。
  考え得る最小限度の損害にすべく、ある程度の損害は割り切って甘んじて受け止めるということが企業としてのやるべきことですが、想定する損害の程度を少し軽く受け止めてしまったのかもしれません。
  自分を取り巻く情勢については、厳しい第三者の目を参考にして、自分の意見を通さない。だから、弁護士もコンサルも、自分に厳しい対応をするプロを厳選しなければなりません。そうではないと、童話の「裸の王様」状態になってしまいます。自分のこととなると楽観的になりすぎたり、逆に悲観的になりすぎたりしてしまうということは当たり前です。
  会見は、信頼できる幹部と信頼できる外部者(弁護士、コンサル)の少人数で進行の一切を取り決めること。有名企業には内部通報者はつきものだということを教訓化しなくてはなりません。コンサルは、結局はアドバイザーだとして心得るべきで、演出は自前で行わなければならないということです。

  なお、協力してもらえる発信者がいるならば、批判者に対する反論を展開してもらうよりも、同情論、理解できる部分がある論、部分的共感論等を発信してもらった方が、良い場合があるということ。本件はまさにこれでした。

  総じて、誰に見てもらうかという想定をきっちり行うということが大切で、その人がどう感じるかという目的にまっしぐらに企画をつくるということ、そのためにも目的を言葉にしてはっきりと共有するということが一番の基本になるのだと思います。

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