SSブログ

夫婦再生の一番の障害は、「怒り『表現行動』」なのだと思う件 [家事]



どうしても、子どもを連れて黙って妻が家から出ると、だんだんと怒りがわいてきます。これは実際は、必要な感情の変化です。いつまでも解決しない自責の念を抱き続けていると、解決不能の問題を悩み続けることになりかねず、そのあとに対する重大な影響が生じるからです。重大な影響とは、うつ症状の蔓延化、生活破綻、自殺などです。こういう場合でも怒りに転じることで、自分を取り戻して、生きる活力がよみがえるという形はよく見る光景です。

怒りは生きる本能に根差しているということも一つの真理だと私は感じていますし、相手に対して反発できたことでうつ状態を解消した人たちも印象に残っています。

しかし、そのまま自分が怒っていることを自覚しないままで怒りに任せた行動を続けると、ご自分の目標と反対方向に強力に向かってしまうという矛盾もよく見ていることです。本当は、夫婦の再生、ひらったく言えばよりを戻すことが目標なのに、怒りの行動によって、ますます離れていくということもありふれた光景です。

家族再生を第一希望だと表明しているのに、監護者指定、子の引き渡し、仮処分を打診してくる人が最近増えています。インターネットの情報をもとに、裁判所によって正義が実現できると素朴に感じていらっしゃるようです。

しかし、裁判所は、めったなことで同居する母親から子どもを引き渡せと判断することはありません。母親による虐待、あるいは、結果としての虐待行為があり、子どもの将来に悪影響が出ることが必至の場合という特別な場合にだけ引き渡しが判断されると心が得た方が良いと思います。

子どもを父親や、親戚、学校、友人から引き離したことが虐待ではないかという主張はよく聞きますし、私もそう思います。しかし、裁判所はこれを母親による虐待だとは認めません。

「連れ去りは子どもに対する虐待だと主張して戦うべきだし、戦わなければ前進無し」という考え方ももちろんありうると思います。但し、夫婦再生には逆行するのです。夫婦再生ができなければ子どもは父親に会うことができません。自分は大切に思われていない人間だという意識を持ったまま大人になってしまう危険性を持ち続けて成長することになってしまいます。

どうしても、子の引き渡しを主張する場合は、相手方の虐待行為を主張しなければなりません。「裁判所は相手に落ち度(虐待行為)が無い限り現状維持の結論を出すと心がけましょう。」あるいは、「乳幼児期に一番長く接していた親を監護者とする傾向」もあります。

こう書くと「裁判所では正義は実現されないのか」と思われるでしょうが、私はその疑問を肯定するしかありません。むしろ、裁判所に何かやってもらうという考え方は捨てて、「自分で相手の心を変える」という考え方で、裁判所はあくまでも利用する「場」として考えるべきだと思います。

そもそも、(本当はDVと呼べる行為が無く、通常の夫婦の口論があるに過ぎない場合は特に)妻は、夫と生活することに安心できないから別居をして、離婚をしたいと考えているわけです。安心できないというのは、自分を否定評価されるということを常に恐れている意識から出発します。しかし、その原因は、必ずしも夫の行為にだけあるわけではなく、妻の体調や職場の人間関係に起因していることも多いということが実感です。
 
だから夫婦再生の基本戦略は、「自分に対して、妻が安心できる存在であることに気づいてもらう」(あるいは、今から自分を安心できる存在だと思ってもらう)というところにあるという戦略が、これまでの経験上正しいと確信しています。

それにも関わらず、「妻は児童虐待をしているので、子どもを手放して自分に渡すべきだ」という主張をし、調停や審判を申し立ててしまうと、「やっぱり夫は自分に対して否定評価をして、子どもからも引き離そうとしている」と妻はわが身の行動を振り返りもせずに、夫に対する警戒心や嫌悪感、恐怖感だけを募らせていくわけです。

「ほらやっぱり、夫は自分を攻撃する存在だ」と再認識して、離婚の意思が固まり、子どもに会わせないという気持ちもさらに高まっていくことは、少し考えればわかることです。しかし、この「少し考える」ということが、怒りの感情に支配されるとなかなかできないのです。

ただ、妻の側も、離婚手続きを遂行することに夢中で、自分の嫌悪感や恐怖感の出どころはあまり整理されていません。だから少しずつ工夫をして安心の記憶を植え付けていく余地があるわけです。ところが、裁判所での攻撃は書面で残りますから、妻はあやふやだった「自分の嫌悪感や恐怖感」はやっぱり正しかったという妙な確証を与えるだけになってしまいます。こちらの言動を悪く解釈して見せる「支援者」も常に妻の周囲にいます。夫の攻撃から妻と子どもを守るチームの一体感も強めてしまいます。

夫婦再生は、警察も裁判所も全く役に立ちません。自分で妻を安心させることが第一になります。では具体的にはどうするか。

・ 怒りを捨てることも簡単ではありません。夫婦再生の方針を持つことができる弁護士の話をとりあえず信じるという実務的な方法もあります。
・ それから、怒りを脇において冷静に考えるということに次第に慣れていく必要があります。もし、怒りを持たなかったらどう言う考えになり、どう行動することが通常化、もっと言えば相手が安心するのかということを考えて行動するということです。その際には相手の理不尽な夫に対する嫌悪、恐怖もそれなりに肯定した行動を考える必要があります。つまり、心を脇において行動を考えるということです。
・ そうすると安否の心配をすることが一番であることがわかります
・ 2番目は生活に不便が無いか、心細い気持ちになっていないか心配することが通常でしょう。
・ 3番目以降としては、子どもを連れ去ったことにより、こちらが逆上していないかという心配があるわけですから、気持ちは置いておいて「怒っていない」という情報を工夫して伝えることです。相手を安心させる方法があれば、警察でも裁判所でも何でも利用して伝えることを主とすることが肝心です。
大切なことは、「気持ち」ではなく、「相手に伝わるこちら側の情報」だと割り切って考えることがとても有効です。だから、悪いのは「怒りという感情をもつこと」ではなく、「怒っていると相手の思わせる表現行動」なのです。

そして急がないこと。

相手は「自分のペースで生活できていない」ことから不安を感じ、原因を夫にひとたびロックオンすると、夫が原因であるとして嫌悪感や恐怖感が沸き上がってくるようです。急がせることは、この夫原因説を裏書きするようです。地齋の例を見ると、家族再生のためには数か月以上かかることがむしろ当然だと思うべきです。これまでの再生例の教訓は相手に結論を急がせないことという共通項がありました。

結局、妻の安心感をめぐって、支援者と夫との間で綱引きをしているような感覚をいつも持ちます。妻に伝わる夫のメッセージが、自分の頭の中にある嫌悪感や恐怖感を抱かせる夫のイメージではないということに気が付くときに、綱引きの綱が強烈に夫側に傾くようです。しかし、勝負がつくまでにはためらいや確証の反芻のために時間がかかるという感じです。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。