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テレビ局のJ事務所偏重問題の検証番組のあるべき視点のポイント [進化心理学、生理学、対人関係学]



テレビ朝日を除く各キー局がJ事務所(当時)問題の検証番組を制作しています。検証番組を作ったこと自体は評価されるべきだと思います。但し、批判も多く、2度目の検証番組を制作することをアナウンスしているキー局もあるようです。検証番組制作で何を検証すると良いのかということを考えてみました。

1 検証の目的をどこに置くか

先ず、検証番組制作の目的がどこにあるかということです。現実的な話、スポンサーが今後テレビ番組に巨大な費用を投下し続けてもらうということが、ぶっちゃけ目標のはずです。但し、そのためには、視聴者である国民がある程度納得して、安心してテレビの責任問題を風化させるようにしなくてはなりません。

そのためには、J事務所問題は二つの問題点があったということをはっきりさせることです。一つは児童に対する膨大な性加害問題です。もう一つが、J事務所(当時)の所属タレントの偏重問題です。もちろん二つは密接にかかわっているのですが。前者だけを強調してしまうと、自社の問題をすべてJ事務所創業者の問題としてしまい、自社に対する厳しい検証ができなくなり、結局はテレビ離れが加速し、スポンサーが巨額の費用を投下する媒体としての価値が無くなってしまうという問題が生まれます。

だから1番最初に行わなければならないのは、J事務所(当時)のタレント偏重によってどのような弊害が生まれたのか生まれないのかということを検証するべきだと思うのです。問題が無いと言い切ってしまうことは、結局再び同じようなことが起きる可能性を大いに残すということになってしまうように思われます。

また、J事務所(当時)だったからダメだったのか、児童虐待が無ければ偏重は問題ないと自己評価するのか、大いに注目したいところです。

これは芸能番組、エンターテイメント番組だけの問題ではなく、人間関係によって特定の人たちだけを偏重するという姿勢は、特定の主義主張だけを偏重し、まっとうな意見さえも封殺するという危険を示唆することになってしまうと思います。

2 原因

偏重問題に対して否定評価をする場合に次に行うべきことは、ではそのように否定する出来事をどうして当時は(あるいは現在も)行っていたのかという原因を明らかにすることです。

この点は、社会心理学の理論から考察の対象の宝庫なのですが、なかなかそういった視点からの発言は私の目には映ってきません。

例えば、J事務所(当時)の特定の人とテレビ局側の担当者との密接な関係から次第に抜き差しならない関係になったということが言われています。ただ、そういう事実はあるとしても、どうしてテレビ局という組織でそれが可能だったのかということを検証するべきです。

1 単純接触効果
先ず検証しなければならないのは単純接触効果の観点からでしょう。つまり、特定の人間同士が、長い時間交流を持つことによって、その人と自分が仲間であるという意識を持ちやすくなってしまいます。そうして、仲間に対しては便宜を図ろうという意識になってしまうということです。

2 権威に対する迎合

次は特定の人物ないし事務所の権威化を通じて、権威に迎合するのが人間だということです。私は過去の記事でミルグラム実験は人間の服従性を示したというよりも、「人間は権威に自ら迎合していく動物だ」ということを示した実験だと述べています。
Stanley Milgramの服従実験(アイヒマン実験)を再評価する 人は群れの論理に対して迎合する行動傾向がある:弁護士の机の上:SSブログ (ss-blog.jp)
https://doihouritu.blog.ss-blog.jp/2019-01-05
これは人間の心が生まれた200万年前の狩猟採集時代を考えれば理解は簡単です。当時は、言葉が無くても、群れで生活し、集団で狩りをしていたのですが、各自がてんでんばらばらに獲物を追って行っても狩は成功しません。組織的に追い詰めて、逃げ場を無くして捕獲するということをしなくてはなりません。誰かが権威者(リーダー)として、ある程度の陣形や追い詰め方を仕切って、各自がそれに無条件に従うことが理にかなっていたわけです。その時と現代では環境は全く違いますが、残念なことに脳はそれほど進化していないのです。

だから、人間関係の中に声が大きく、実績がある人がいれば、その人に権威性を認めて、その人の指示に無条件に従って、物を考えることを省略するという習性が人間にはあるわけです。単純接触効果も、物を分析的に考えず、近くにいつもいる人は仲間だ、利害一致する運命共同体だという意識をつい持ってしまう傾向がある可能性が高いのです。

3 思考時間が無い事情

また、この物を考えないで行動する最大のメリットは、結論を迅速に出せるということです。200万年前の急がなければならない問題は、けがをするとか死んでしまうとかいう問題ですから、思考を省略して行動決定をすることが必要でした。

それを考えると、偏重の実績を作っていく過程の中で、十分にものを考えないで結論を出さなければならない事情があった可能性も検証するべきでしょう。

また、仲間意識が作り上げられた背景として、本当に単純接触効果だけだったのか、それを超えて利害共同体を形成するような事情が無かったのか、検証するべきなのでしょう。

4 分析的思考の懈怠の事情

担当者同士の人間関係の形成があったとしても、テレビ局という組織で動く場合ですから、担当者の決定に対して事後的に批判的検証が行うことは可能であり、やるべきことのはずです。結果としてこれができなかったのではないでしょうか。テレビ局の中にも権威ができてしまい、権威が個人的判断で行ったことに他の人たちも迎合していったという過程が検証されるべきです。

最終的にどちらの結論になろうとしても、そのようなチェック体制が組織としては必要だっと思うのですが、この点を検証してほしいわけです。

5 原因論に基づいた制度設計

反省の最終的な着地点は、ではこれからどうするかというところにあります。単にJ事務所が無くなったからそれでよいのかということが問題なわけです。1番最初のJ事務所忖度問題は否定評価ではないというならそういう結論になるでしょう。そうではないのならば、J事務所問題を機に、体制の問題を検証していくことは、テレビが将来的存続するかという点にとって極めて重要であるはずです。あるいはテレビ局自体が新しいコンテンツに乗り換えることを検討しているのか、今後の検証番組で視聴者は見極める必要がありそうです。

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