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Stanley Milgramの服従実験(アイヒマン実験)を再評価する 人は群れの論理に対して迎合する行動傾向がある [進化心理学、生理学、対人関係学]




スタンレー・ミルグラムのアイヒマン実験は、
認知心理学の文献を見るとよく出てくる。
行動科学の教科書ならばなおさらである。

これは1960年から始められた実験で
かなりのインパクトを与えた。

この実験結果は、いじめ、パワーハラスメント、
あるいは、離婚紛争の特定の類型の場合など、
人間の加害行動を分析し、防止するために
とても有益な事件結果であると思う。

但し、それらに実践にいかすためには、
ポイントについて整理し直す必要があると感じている。

以下、再評価、再構成を試み
実践に応用することを試みる。

1 ミルグラムの服従実験の概要

ミルグラムの実験の概要は以下の通り。

イェール大学教授の実験ということで
協力者を公募した。
一回の実験で応募者は1名ずつ実験に参加する。

実験は、教授と応募による被験者、
そして、仕込みのサクラの3人である。
教授と被験者は同じ部屋にいて、
被害者役のサクラは基本は別室にいる

これは記憶力の強化の実験だと称して、
簡単な確認テストを被験者が出題する。
それに対して被害者役が回答するのだが、
誤答の場合は罰として
腕に巻いた装置から電流を流される。
そして誤答するたびに、15vずつ電圧を強くする
最終的には450ボルトに達し、
その後は誤答するたびに450ボルトが流される。

被害者役には、実際は電流は流れていないが、
役者なので、電圧に応じた苦しみの演技をする。

この実験は10年以上にわたり各地で続けられた。

「多くの被験者は、電撃を受ける人物の懇願がどんなに切実になろうとも、電撃がどんなに苦痛をもたらすように見えようとも、教授に従い続け、最高レベルまで電圧をあげて罰を与えた。」

(ウィキでもよいし、河出文庫「服従の心理」)

最も多くの被験者は、被害者が苦しんでいることを目の当たりにして、
教授に文句を言って、実験の中止を提案したりする。
しかし、用意された説得文句によって電撃を与え続けた。

ミルグラムがした被験者についての分析として、
被験者の多くがサイコパスというよりも、
礼儀正しい人、約束を守ろうとする人、途中でやめることが気まずい人
が、最後まで義務を履行したとしている。

過労死する人の典型とぴったり重なる人物像である
このことは大変興味深い。

2 ミルグラムの服従事件の目的

現在、認知心理学を学ぶ者からすると、
この実験が特定の政治的意図に基づいて行われた
というものではないことは簡単に理解できることである。

ハンナ・アーレントが
「イェルサルムのアイヒマン」を
雑誌ニューヨーカーに連載を始めたのが1963年であり、
ミルグラムの実権は1960年に始まっていることからも
それはわかる。

また、権威を国家権力と同視しているわけでもない。

人間の行動傾向、行動原理の研究であり、
現在で言えばモチベーション研究の草分けともいえるべき
画期的実験である。
純粋な科学であり、
それをどう現実社会に応用するのかは
応用する人々の問題である。

私は、この実験の成果を
パワーハラスメントやいじめの予防に応用できると考えており、
第三者が一方に支援した夫婦間紛争の解決のヒントにもなると
考えている。

ただ、その際は、
使い勝手を良くするために、
実験結果をカスタマイズする必要がある。

2 用語の再評価、再構築

言葉についての再定義をしようと思っている。
その言葉は、
「服従」と「権威」である。

ⅰ)服従

先ずは服従という用語である。
原語は、obedience である。
服従と訳すことに誤りはない。

ただ、日本語の服従とは、
自由意思を制圧されるに足る支配を受けている状態
をいうという感覚がある。
つまり、服従している人は支配者の命令以外の
他の選択肢を持てない状態にあるという語感がある。

しかしミルグラムの実験では
暴力や脅迫その他の不利益の示唆による自由意思の制圧はない。
このため、誤解を与えるのではないかという懸念があるから
「服従」という言葉を使うことには抵抗がある。

こういう場合を表現する日本語は難しい。
実際は誘導に従うだけである。
「迎合」程度の表現が
正確ではないかと思う。

但し、もろ手を挙げて迎合しているわけではなく、
葛藤を抱きつつ、結果として
迎合した行動をとる
ということは留意している必要がある。

ⅱ)権威

次に「権威」の意味を検討する。

ミルグラムの実験では、
権威の象徴として、「イェール大学の教授」という要素が使用された。

優秀なことで有名な大学の教授ということで、
知識、知能が秀逸であることが示されている
また社会的権威がある(多くの人が一目置く)存在である。
社会的に意義のある実験を実施している人だ
という人的属性をもつことになる。

人的属性と同時に、
自分が参加している実験が社会的、歴史的意義のある事件であり、
遂行することが自分の役割だということを感じ易い
ということは異論のないところだろう。
電撃を与えるという危険な行為ではあるがが、
知識や経験に裏付けられて行っているはずだから、
安全であるはずだとか、
これまでも危険が無かったことが裏付けられているはずだ
という安心感もあったと思われる。

権威とは従うことで安心感を得られる存在
であることが必要であろうと思われる。
責任を権威に転化できるということを
ミルグラムも重視していた。

もう一つ重視するべきポイントとして
被験者は、被害者に電流を流したことについて、
被害者の落ち度を指摘することが多かったと指摘している。

これらの事情から総合的に考えると、
私は、被験者が従った「権威」とは
教授に属する評価というような人的側面だけではなく、
その指示による行為の結果を
正当化できる要素があることが必要だという
行為の属性の側面も必要であると考える。

それは例えば正義であり、
または結果に到達するための効率であり、
または実験を進める秩序である。
約束された、あらかじめ定められたルールであったりする。

被害者の落ち度を強調する理由は
自己弁護であるが、
正当性によって、
被害者の身体的平穏を電流で壊すことの
自己の行為を弁護している
ということになると思われる。

そうだとすると、
権威は、正しさや秩序で正当化されていなければならない。

仮に教授が
「被害者が自分に挨拶をしなかったので
 回答の正誤にかかわらず
 どんどん電圧をあげて電流を流してください。」
という指示を出していたら、
被害者の落ち度を理由にすることができないのだから、
抵抗性は増加したことになるはずである。
教授の権威も著しく低下しただろう。

権威とは、
権威者という人的属性の側面と
指示の内容の「正当性」
つまりもっともらしさという行為内容の側面が
要素として不可欠であると私は考える。

3 「権威」を「群れの論理」として再構成する

そうだとすると結局権威は何であり
どこから来るのか。

ミルグラムは、これを
「なぜ服従するか」という服従側の論理として分析している。

これは、人がヒエラルキー的な構造の中で機能してきたことによる
と説明している。
つまり、ホモサピエンスが文明をもつ以前、
戦闘能力も逃走能力もない人間が
厳しい自然環境の中で生き残った理由が
ヒエラルキーのある群れを作ったことにあるというのである。

統一意志の元、
攻撃を加えて狩りを行い、
子育てや植物採集を分担して行い、
それぞれの力を発揮したことによって
生き延びることができたというのである。

人間が群れを作ってきた以上、
群れの意思に従う本能が遺伝子に組み込まれたはずだ
というよう主張だと私は解釈している。

つまり、「権威」とは「群れの論理」である。
それは、行動を支持する権威者であり、
正義であり、ルールであり、道徳である。
個体を集結させる絆のようなものである。

必ずしも権威者である必要はない。
「空気を読む」という日本語がある。
人間が集まっている時に、
一時的に言葉を使わないで
何かの行動をするコンセンサスが生まれる時がある。

例えば、
皆で小さいことは気にしないで
ただバカ騒ぎをしようというコンセンサスが生まれた場合、
哲学的な話を提起しないというようなものだ。
敢えて、バカ騒ぎなどして何が得になるのだ
等と発言しようものならば
「空気を読めない者」と評価されてしまう。

これも群れを優先する論理であり、
群れの理論に迎合している現象だと思う。

群れの論理は、
権威者がいなくても
一時的なものでも
あるいは漠然とした多数であっても
人間は従う行動をとってしまうという傾向がある
ということになると私は考える。

4 迎合に伴うジレンマとは何か

ミルグラムの実験は、
イェール大学の教授という権威者と
意義ある実験の遂行という秩序、正義等の
群れの論理が権威であった。

被験者は権威、群れの論理に従ったのだが
大きな葛藤があった。

これは、被害者役の苦痛に対する共感なのだろうと思う。
決して正義ではない。

実験における正義は実験の遂行だった。
被害者の苦痛や実験停止の懇願は
正義を遂行することの妨害でしかなかった。
人間は、瞬時の(熟考しない)行動決定において、
対立する当事者の
それぞれの正義を評価することは困難である。

被験者が感じたジレンマは、
被害者の苦しみに対する共感だったのではないか
と考えている。

つまり、ジレンマとは
他者に対する共感に基づく行動感情と
群れの論理によっておこる行動感情の
矛盾に対面していたことなのではないかということである。

共感に基づく行動感情とは、
被害者が電撃で苦しそうだから
電撃を流すことをやめようかという感情である。

これに対して群れの論理によっておこる行動感情とは、
実験を遂行するための共同行動を完遂しよう
という感情である。

この行動感情は、両立しないため、
どちらかを選択しなければならず、
葛藤が生じるわけである。

だから、群れの論理よりも共感の方が強まれば
群れの論理ではなく共感感情に基づく行動をすることになる。
これもミルグラムの実験で明らかにされている。

ミルグラムは、実験の条件をいくつか変えた
変種の実験を周到に行っている。
その一つの変種の実験として、
被験者と被害者との距離を変えて実験を行っている。

① 被験者と被害者を別々のスペースに配置し、
  間を曇りガラスで仕切る。
② ①に加えて、被害者の声が聞こえるようにする。
③ ②に加えて、場所を同じ部屋にする。
④ ③に加えて、電撃を与える時に
  被験者が被害者に手を添える。

①から④に行くにつれて、
被験者は電撃を与えることを拒否する確率が増えた。

共感は、相手の置かれている状況を
自分が置かれている状況として認識し、
生理的、感情的反応をすることである。

そうだとすると、
相手に近くなるほど共感しやすくなる。

近づくほど権威に対する抵抗が生じることについての
ミルグラムの分析は、
共感がもたらす合図、否認と知覚の狭窄、相互作用の場
行動のつながりの実感、初期の集団形成、習得した行動傾向
等としている。

主として、共感に基づく行動というくくりでとらえることが可能であろう。

5 ミルグラムは何を発見したのか

私は、ミルグラム実験は、
人間は権威に迎合するという以上の心理を発見している
と考えている。

つまり、
人間は、共感に基づいて行動するという性向があり、
群れの論理に基づいて行動するという性向もある
ということが第1である。

そうして、共感に基づいての行動は
群れの論理によって後退してしまう傾向がある
ということが第2である。

また、群れの論理の正当性については、
瞬間的な行動の場合は、
疑わないで迎合する傾向にあるということが
第2の結論のメカニズムなのだと思う。

これを対人関係学的に表現すると、
人間は、
自分が属する群れの論理に従う傾向にあり、
群れの論理から逸脱した人間は
群れの仲間であると実感しにくくなり、
共感を閉ざす傾向にある
ということになる。

表現を変えると、
群れの論理である
正義、秩序、効率等が働いてしまうと、
それに反する者に対しては
共感を閉ざしてしまい、
苦しみや悲しみ、孤独等の負の感情を示しても
助けようとか、協力しよう
という気持ちになれないということである。

6 効率について補足

「効率」が群れの論理であるということについては、
今回、ミルグラムの分析を受けて
初めて思い当たった。

群れの論理は、
人を機能させるためのツールである
一人ではできないことを
集団で行うというものである。

例えば動物を集団で狩るという場合、
音をたてないで動物に近づくような場合に、
興奮を抑えられなくて声を出す者がいたとすれば、
狩ることのできたはずの動物を
取り逃がすことになってしまう。
群れの目的を達することが効率であり、
正義である。
群れの目的を阻害する者は、
群れの論理に反した行動をする者だということになる。

効率を群れの目的の達成ととらえ直すと
効率は間違いなく群れの論理となる。

もっとも狩猟採集時代の大半は
効率はそれほど問題にならず、
「妨害か推進か」という程度の
大雑把な問題だったのではないか。
文明が進んでいくにつれて、
オールオアナッシングから
より多くの物を獲得する効率が重視され始めた
ということが、
近年の傾向にも合致して実態を反映しているのではないかと
考えている。

7 パワーハラスメントへの応用

パワーハラスメントの典型として、
同僚の面前で、従業員を罵倒する
という行為類型がある。

同僚は沈黙を守り、
当該従業員は孤立する。
誰も自分を助けてくれず、
不合理な罵倒が職場で是認されていると感じ、
自分の存在が否定されているような危機感を感じる。

なぜ同僚が助け舟を出さないかということについて、
その場にいた同僚から事情聴取をする機会があった。
すると、一様に、
「発言ができる雰囲気ではなかった」
という回答があった。
私は、
「ここでアクションを起こすと
次の標的になるからではないか」
と問いかけてみた。
積極的な賛同というよりも、
消極的な肯定だったということが
リアルな評価だった。

しかし、実態は、
同僚たちは、被害者に対する共感よりも
群れの論理を優先させたという側面もあるかもしれない。

つまり、
パワハラ上司という権威者が
企業の利潤追求という目的を基本として、
それに逸脱したということを指摘するわけだ。
(冷静に考えれば言いがかりであることが多い)
企業という群れの論理に対して
人間の行動傾向として
異議を申し立てにくいという側面があったのだ。

同僚たちは、
被害者が精神的に追い込まれているだろうという認識は持っている。
よく聞く言い訳としては
「でも、上司の言っていることは間違っていない」
ということを言うものだが、
それは群れの論理に迎合していることを
明確に示すものだったのだ。

もっと群れの論理が顕著なことは、
パワハラ上司の取り巻きである。
あるいは、パワハラ上司の上司かもしれない。
人を追いつめても一切否定的なことは言わない。
群れの論理が強烈に支配しており、
「責められる被害者が悪い」
ということを言いだす。

もはや葛藤も生じないほど
パワハラ上司との群れの一体性を感じており、
同時に、被害者と同じ群れに帰属するという意識は
実質的に失われている。

パワハラを予防する一つの方法としては、
発言の内容、目的が企業の理念に沿ったものでも、
例えば同僚の面前で叱責してはいけない
長時間にわたって叱責してはいけない
具体的に業務の改善方法を示さなければいけない
等の禁止事項を増やすことが一つかもしれない。

しかし、根本的問題としては、
共感を閉ざさない方法を構築するべきであろう。
一人一人の従業員の置かれている状況を
自分が置かれているものと把握し、
従業員と共同して問題を解決していく
という姿勢が最良である。

そのためには、
部下は自分の仲間だという意識を徹底することと
上司と部下を分断させるような方針を
会社経営者は下に降ろさないということ
上司の上司が、
上司を飛び越えて従業員の置かれている状況を
把握することを可能とすることだということになる。

8 いじめへの応用

子どもたちの間では
つまらないことが権威になる。
ゲームが特異なことや体が強いこと
漫画の知識があること
スマホを自由に操作できること

子どもたちの中では、
物おじしないで他人に指図する子どもが
気がつけば権威をもっていることもある。

一つ一つの瞬間的な友達同士の娯楽の中で
不用意な権威が発生することがある。

権威は簡単に生まれすぐに消滅する。

しかし、不用意な権威者に
取り巻きができてしまうと、
権威は強力かつ持続的なものになってしまう。

明らかに不当な
権威者の被害者に対する要求によって
被害者が苦しんでいたとしても、
取り巻きは権威者との仲間であることを意識するため、
被害者の苦しみに対して共感することができない。

権威者や取り巻きにとって
いじめは群れを守るための正義なのだ。

ここで被害者が
授業について行けず、
あるいは結果として授業の効率を下げてしまい、
群れの頂点に立つ教師から
効率を害する者
という評価が下ると、
群れの論理は被害者を排除するようになる。

はじめから誰かの悪意が存在しないとしても、
仲間からの除外が起こりうるし、
共感を閉ざす対象が生まれてしまう。

その結果、偶然の攻撃が肯定的に受け止められ、
やがて悪意の攻撃が繰り返されるようになる。
積極的な攻撃とともに重大な打撃を与えるのは
仲間はずれという孤立である。

被害者は、自分が毎日通わなければならない学校という人間集団が
自分の味方がいない人間集団であると受け止めていく。
きわめて不気味であり、
時折繰り出される攻撃が
傷口に塩を塗るような刺激となる。
やはり自分には傷口があるということを
いやがうえにも再確認させられる。

いじめが増えている学校に足りないものは何か。

被害者に対して共感して行動を起こすということである。
嫌がっているから、かわいそうだから
止めるということができていない。

いじめを生み出さないためには
逆回転をする必要がある。
せめてクラスメイトにだけは
共感を絶やさないという
教育、訓練が必要だ。

なぜこれができないのか。

それは、学校の中で、
群れの論理が肥大化しているからだ。

正義、秩序、ルール、効率等が
子どもたちの価値観において優先されている。

子どもという未熟な存在は
これらの群れの論理から
きわめて簡単に
逸脱行動をしてしまうものである。

簡単に多数から群れの論理で
排除されてしまうことになる。
これが現場だとすれば理解しやすい。

一人一人の子どもたちの
短期目標によって順位をつけるということを控えめにして、
共感を占めてして助け合うという行動を
積極的に取り入れるべきだろう。

成績についての一喜一憂ではなく、
人に助けられる喜び、安心感
人を助けることの喜び、感謝をされる喜び
というものを体験させる教育こそ
いじめ防止の特効薬になると考える。

我田引水的にミルグラムを改変してしまったかもしれないが、
折に触れて再学習をするべき
素晴らしい研究だと思った。

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