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実務的な観点からみた残念過ぎる企業のパワーハラスメント予防研修 [労務管理・労働環境]



1 現行研修の3段階の企業側の目的

法改正などがあり、現在、パワーハラスメント等のハラスメント対策に頭を悩ませ研修などを行う企業も増えてきています。しかし、企業側も、まだ手探り状態のようで、パワハラ対策の必要性について、まだ十分に自分のものにしていないため、せっかく研修を行っても、効果が無いような研修に飛びついてしまっているようです。ご自分の研修の目的をまずしっかり考えましょう。

1)国が言うからアリバイ作りをする
2)パワハラで従業員が病気になったり自死したりして損害賠償を請求されることを防止する。含む、損害賠償報道による企業イメージの低下防止
3)パワハラによって生産性が低下することを下げて、意欲をもって仕事に取り組む従業員を増やす 含む、企業内の良好な雰囲気づくり

大きく分けるとこの3段階になると思います。
アリバイ作りをするための研修であれば、とりあえずやればよいでしょうし、できるだけ費用をかけないで行うということになることはむしろ当然かもしれません。おそらくその研修はただ時間を浪費するだけで頭に入ってくることはほとんどないでしょうし、下手をすれば自分たちの今の状態で問題が無いという楽観的な気分になってしまうかもしれません。

損害賠償事案の防止という観点は切実です。ただ、大きな視点が定まらない対症療法的な研修になるリスクは高いです。これからこの内容をお話しすることによって、3)の目的をもって研修や対策を行うことこそが、効果的に損害賠償事案を減らしたり無くしたりすることができる方法だということに気が付いていただければと思います。

2 損害賠償事案予防型のパワハラ研修の問題点

損害賠償事案予防型のパワハラ研修の問題点は、目標とするターゲットが狭すぎて、誤差が大きくなり、結局足をすくわれるというリスクがあるということです。パワハラ事案の実務をあまり知らない人が研修担当となる場合によく行われる研修内容です。

内容としては、パワハラによって従業員が自死をしてしまい、裁判によって企業に巨額な損害賠償支払い義務が認められた裁判例を説明して、その分析をして、ここまでやってはいけませんという研修が実際に行われているようです。

こう文字で書くと、気が付く人もいると思うのですが、この研修では、裁判例になるような事案の防止にしかならないです。自死しなければそれで良いという研修になってしまいます。端的に言うと、「ここまでしなければ大丈夫」という間違った知識が身についてしまう危険があります。なぜ、リスクが生まれてしまうかということを分析的に説明します。

1)裁判例で示される「事案」は裁判所が証拠によって認定された事案だけであること。

パワハラの裁判は実は簡単ではなく、パワハラの事実が証明されることはかなり難しいという高いハードルがあります。多くは上司の部下に対する言動に問題があるわけですが、その言動の存否がなかなか証明できないのです。

本当は、もっと従業員に影響を与えた言動があったとしても、それが証明できないために証明できた証拠だけがクローズアップされてしまうという危険を判決は常に持っています。だから判決だけではなかなか事案を正確に把握することが難しいというべきでしょう。

ただ、近時IT化が進み、昔は考えられなかった様々な証拠を残すことができますし、証拠に残ってしまっていたという偶然も起きやすくなっています。あの判決の時は裁判所から見て評価される証拠が提出されなかったとしても、現代では評価される証拠が提出されてしまい、裁判事例とは別の角度からパワハラの認定がなされてしまう危険があります。

2)労災認定実務に引っ張られ過ぎている可能性がある

裁判所において、従業員側が「これがパワハラの原因だ」ということで主張する事実関係は、労働災害でそれがあれば労災だと認定されやすい労災認定基準で示された事実関係を主張するものです。労災認定の行政手続きでは鉄則です。

しかし、この労災認定基準も完璧なものではなく、労災と私病を区別するという目的があって作られているもので、従業員側に何らかの要因(弱さ)があると言える場合には、私病に寄せて扱われる可能性を孕んでいます。
つまり、労働災害か否かの判断は、
ストレス過重であればあるほど労災になり
従業員がもともと弱ければ弱い程労災にならない
という相関関係があるということになります。

しかし、実際の損害賠償請求事案では、損害賠償請求を先行させる場合もあります。必ずしも、この相関関係に当てはめずに判断が先行することがあります。また、ストレス要因であるパワハラの存在と内容が、例えば週刊誌の報道が先行し、世間に知られてしまった後では、今さら従業員に弱いところがあったなどという反論がなかなかしづらくなるわけです。

提訴会見などが広く報道されてしまうと、その何年後かに裁判で勝ったとしても、世間に定着した悪いイメージを払しょくすることは簡単ではありません。判決が出た時は既に廃業しているという可能性もあるわけです。

私が企業から相談を受けるときは、この一般顧客(世間)からのイメージや取引先との関係も考慮に入れて解決策を考えるのですが、最近は裁判に勝つ要素があると、裁判でさえもそれですべてが決まるわけでもないのに企業活動の利益を考えないで裁判に突き進む方針が立てられる場合もあります。

しかし、裁判の結論というのは判で押したものが用意されているわけではなく、色々な事情が絡んで先行きが見えないことが通常です。特に裁判官の個性というものが案外影響を与える場合が多く、この証拠があれば絶対勝てるとはなかなか言いづらいということが実情ではないでしょうか。

判決事案は氷山の一角であり、事実を正確に反映しているとは限らないので、あまりその判決の論理だけを参考にするべきではありません。

3)死ななければよいというものではないこと

裁判で現れた事案は、不幸にも自死が起きた事案が中心です。闘病中であるようなケースは、なかなか裁判になりにくいし、従業員の勝訴判決もそれほど大きな損害額が認定されているわけでも無いようです。しかし、近時、この点は改められてきています。うつ病についての研究が進み、損害のプレゼンが進化しているという事情もあると思います。

また、生死の分かれ目というのは、それほどはっきりしているわけではなく、そこに偶然的な事情で大きく結論が異なるということは、よく見ています。死なない事案と死ぬ事案というのは、区別はつきません。裁判例で、「死ぬほどの事案ではなかった」と仮に判断されたとしても、同じような事案でも亡くなる人が現実に出てくるということは大いにありうることです。それでは、企業の損害を予防できるとは言いえないわけです・

パワハラ予防は、もっとゾーンを広げて予防しなければ、ならないと思います。前に大丈夫だったということを過信すると、最悪のケースになることがあっても不思議ではありません。

4 国のパワハラ指針が、実務的には難解である理由

もちろん国のパワハラ指針でどのようなことを言っているのかを知っておくことは必要です。しかし、パワハラはいろいろな要素が組み合わされて大きなストレスになるものです。例えばベテラン従業員にそれをやった場合と、新人従業員にそれをやった時では、受け取る言葉の意味は全く違ってしまいます。

国のパワハラ指針は、その性格上やむを得ないとも思われるのですが、その他の環境を考慮に入れないで、こういう言葉を使ってはダメだ等の例示が列挙されています。これ自体が裁判例を参考にして作られているようで、その意味することも難解です。人によって解釈が変わることもありうることだと思います。

大事なことは防止するゾーンを広げて、確実にパワハラ及びパワハラによるストレス過剰による様々な負の効果を防止するということがきちんと目的とされているかどうかということです。パワハラ的言動をしないことが既得権益の侵害みたいにぎりぎりのところを攻めてはだめなのです。

研修会では、慎重な解釈をあえて提示するという姿勢が必要だと思います。

5 パワハラ予防は企業の伝達効率などを阻害するか

パワハラとは何か、パワハラがなぜストレスになるのか、なぜ予防しなければならないのかということをきちっと理解した講師でなければ、「企業伝達などの効率性がパワハラによって阻害される」などと考えて、予防対策を手加減しても良いように話してしまう場合があります。

仕事で行っている場合には、クライアント受けが良い方が良いと考えてしまうのはありうることかもしれません。

しかし、パワハラがどうして起きるのかということを見ていくと、伝達技術が未熟である場合もあるのですが、伝達環境を整備していない場合が多いように思われます。他人を動かす場合、時間もかかりますし、コストもかかるわけです。これを無かったことにしようと無理を通そうとする場合にパワハラが起きてしまう場合が多いのです。むしろ個別にパワハラと指摘された行為を点検して、改善するためにどうしたらよいかということを考えた場合、
1)そもそも伝達しなくても良いことを伝達しようとしていないか
2)伝達する場合の方法は適切か、どうあがいたって伝達情報が伝わらない方法で伝達しようとしていないか
3)伝達対象にふさわしい伝達方法になっていたか
という点検をする必要があり、それを点検すれば、パワハラをすることがいかに企業にとって非効率的なことをしている場合が多いことかよくわかると思います。

真のパワハラ予防は、企業活動の効率化につながるということはこういうことも含んでいます。

6 パワハラをする人間像の誤解

一部ではパワハラをするというのは、人格性パーソナリティ障害の人間であり、あるいは他人の心を感じられないサイコパスのような人だという誤解があります。もっともそう思いたくなる事案が多く、そのような事案では従業員は多大なストレスを受けてしまいます。

しかし、現実には、真面目過ぎる、責任感が強すぎるという上司が、十分時間を取らずにコーチングをして失敗しているケースも多くあります。一度上司に対する信頼関係が無くなると、周囲もパワハラ上司だと認識をしだしてしまい、本来ならば指導の仕方を覚えれば済む話も、どんどんパワハラの沼に落ちていくということが多いのです。

あまりにも人道的に問題がある上司であれば、改善を促して改善されなければそれなりの処分をしなくてはなりません。しかし、実際は上司の言い分はわかるということが多いようです。「言い分がわかっても改めなければならない」、これが多くの企業で行うべきパワハラ研修のはずです。

7 効果的なパワハラ防止策、パワハラ研修

ここで最悪なことは、「上司として部下の人権を尊重しましょう」ということで終わってしまう研修です。何が最悪かというと、人権という言葉は一義的に意味のある言葉ではなく、行動指針とはなりえないからです。結局何も変わりません。

なぜ、パワハラを行ってしまうかという理由を明確にして、理由を常に意識させて、同じような事態になる時に、先ずパワハラをしない方法を考えるという癖がつけばかなり上出来です。しかし、これも、実務的に、常に意識し続けるという作業ができるかについては、かなり難しいことだと自覚をする必要があります。

中間管理職の上司が自分の行動を改めるということには限界があることを十分に意識する必要があります。会社に対する責任感を無くせとか、ちゃらんぽらんに仕事を考えろと言えるはずもありません。

現実的で効果的な方法は、パワハラ上司の上司のコーチング技術を向上させることです。

つまり、自分ひとりではなかなか行動を改めるということができないために、補助者の協力を得るということです。

「それはパワハラだ」と叱責するだけでは、相手も構えてしまい、逆にストレスでつぶれてしまうことも心配しなければなりません。評価や査定が低くなることも心配になってしまい、結局、統制力や指導力のない上司が出来上がってしまいます。

やるべきことは「置き換え」のアドバイスが一つです。

これも部下の前で上司のメンツをいたずらにつぶすようなことがあっては困ります。上司の上司は自分の役割を見せつけたいためにパワハラを起こしやすいという実例も多くあります。

いくつか方法があります。

部下の指導に参加するタイプ
部下には中間管理職の言いたいこと、目的などを説明し、改めてあるべき指導をする
中間管理職には介入してしまうことを謝罪しながら、部下に対してフォローをする。
後で改めて、どうすればよかったかということをミーティングする
パワハラの問題を作業効率、効果的な指導の問題としていくことで中間管理職を安心させるということも意識しなくてはなりません。

中間管理職とその上司の信頼関係が効果を左右すると言っても過言ではありません。この信頼関係が絶大であれば、個別に部下対応、中間管理職対応を迅速に行って指導方法の置き換えが可能となります。



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