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連れ去り別居。離婚調停への対応についての現実の夫の行ってしまいがちな行動行動決定の傾向と、家族再生を目標とする場合に行うべきこと [家事]



私のところには、妻に子どもを連れ去られた上に、妻から離婚請求をされているけれど、それでもまた以前のように家族仲良く暮らしたいという人が多くいらっしゃいます。簡単ではありませんが、少しずつ、家族再生に成功した事例も増えてきています。また、家族再生には至らなかったけれど、子どもとの面会が定期的に行われるようになったという実績はそれ以上に増えています。

しかし、世の中では、家族再生どころか子どもとも会うことができず、養育費だけを支払っているような状態になっている男性もいらっしゃいます。大事なことは、自分に責任もないのに父親に会えない子どもたちが日々増えているということです。

どこに違いがあるのでしょうか。もちろん、条件面として、妻の夫に対する拒否の度合いの違いはあります。もちろん、家裁実務の問題もあるでしょう。妻の状態、家裁手続きの対応が結論を動かす要素であることは間違いありません。

だけどもう一つの要素として夫の対応というものがあります。ここは夫が「意識をして取り組めば」できることなので、夫側がやるべきことであることは間違いありません。

何をするのか。

答えはもうはっきりしています。妻を安心させることです。妻が夫と一緒にいることに安心できるようにすること。今さらだけど帰ってきても大丈夫だと思うこと。これまでの成功例からすると、妻を安心させるための行為を徹底することが不動の王道であることは間違いないと思います。

妻の精神状態がどうあれ、調停委員や相手方代理人がどう対応しようと、夫はあらゆる方法を総動員して、妻を心配させない存在であることを妻に実感させること、これだけです。

ところがせっかくのチャンスでの調停での陳述書作成や証拠提出において、逆方向の活動をしている人たちがほとんどなのです。

もちろん、「もう家族再生なんて目指さない。不当な損害を受けることだけを回避できれば、一人で生きていく。」という強い決意がある人ならば良いのですが、夫婦再生を目指しているはずの人も、逆方向の活動をしてしまうのです。妻を怒らせ、不安にさせて、自分から遠ざけているということが実情です。

単純な結論である「妻を安心させる活動」を貫くということはとても難しいことだからです。

人間は、目標を定めて、それに向かって効果がある行動を行い、効果が無い行動や逆方向に向かう行動をしないという単純な動物ではないということなのだと思います。意識的に自分のやるべきことを検討して、その派生問題まで考慮して行動を決定していないという言い方もできると思います。

現場では、私からしてもそりゃあそうだろうという気持ちになることも間違いありません。全く事実として成り立つことのない主張が正々堂々となされていますし、誰の作文なのかわかりませんが、事実に反して下品で醜悪な行為を自分がしていると言われたり、何よりも大切に思って大事にしてきた妻に対して自分が暴力をふるったり、呼びつけにしたり、それ以上の侮辱をしているという虚偽の主張をされてしまうと、「そんなことはしていない。」ということをムキになって反論したくなることは当然です。第三者の私が読んだって、うっかりそんな気持ちになることも多いです。

その結果、言われた夫は、気に障った箇所についてだけ重点的に反論をしてしまったり、相手に対して人格を非難するような反論内容になったり、大事なところをきちんと説明するのを忘れて致命的な失敗をしたりという訴訟技術的な問題も起こしてしまいます。妻側の意図にまんまと引っかかるわけです。

しかし何よりも最大のデメリットは、相手を怖がらせる、不安にさせる、こちらに対してますます安心できなくなるということにあります。

企業秘密に触れない範囲で説明しますと、家族再生を目指す離婚調停をする場合にお勧めする弁護士は、あなたの怒りを理解しつつもそれに従わず、家族再生の目標を堅持して書面を書いたりして対応をする弁護士です。こういう人と一緒に手続きを行うことが有効です。

威勢がよく、相手が犯罪者であるかのように(まあ連れ去りについては講学上は見解を持っていますが)決めつけて、少しの誤りも許さず完膚なきまでに叩きのめす対応をする弁護士は、連れ去りをされたような理不尽な思いをしている人にとっては確かに救いだと思います。家族再生を目指さないならばそれでも良いかもしれません。

しかし、家族再生を目指す場合はそれでは逆方向に向かってしまいます。

但し、事実と違うところは事実と違うということを明確に指摘する必要がありますし、評価が偏っているところも明確にこちら側の評価を主張する必要があることも間違いありません。だから、離婚事件は難しいし、家族再生を目指しながらだとさらに難しくなるわけです。相手の主張を否定しながらも、相手を怒らせないというところが、弁護士の腕の見せ所ということなのです。

要するに怒りの反応で行動決定してしまうと、本当に望むことの逆方向に行ってしまうということを抑える必要があります。第三者を近くにおいて、感情による行動をストップして、目指すゴールに向かっていくということが必要になります。

もう一つ、攻撃的手段を選択したくなる「現代的な理由」があるようです。インターネットでの離婚手続きに関する情報サイトには、戦闘的な裁判手続きを紹介するサイトが結構あるようです。中には、「そんな方法最初から取ったらまとまる案件もまとまらなくなるし、認められるわけがない。お金と時間だけを浪費して逆効果にしかならない。」という方法について、「これをしなくてはならない」と紹介しているサイトもあるようです。「ネットではこう言っているのですが」と紹介してくださる依頼者もたくさんいらっしゃいます。どうも不安をあおる効果もあるようです。

ある程度ちゃんとした当事者の方々が運営しているサイトであれば、私の方で大筋は把握できるので、その真意などについて説明できるし、メリットデメリットを紹介して、ご自分の最終目標との関係で選択してもらえますので問題にはなりません。しかし、中には商業的な意図を持っているのではないかという疑わしいサイトもあり、きちんと信頼できる弁護士に依頼できたならば、その弁護士を信頼した方が良いと思っています。また、弁護士は、メリットデメリットや、実務的な実現可能性についても的確な見通しをお話しできなければなりません。

私の依頼者の方への提案は、一度本当の目標に立ち返ってから考えるという作業をしないと、すんなりと気持ちに収まらないことも多いです。せっかく家族再生という目標がありながら、逆方向に行こうとする場合、それを考えた上で行うならば良いのですが、感情に任せて行動決定する場合、どうしても思い直してもらうことに必死になってしまうことがあります。高圧的だとか言われたこともありますが、そういう事情なので勘弁していただければ幸いです。

一番うまくいった例も、その時は離婚という結論になってしまったのですが、面会交流がかなりうまくゆき、すぐに宿泊付きの面会交流になり、夫の家にお泊りになり、やがて子どもが父親の元から学校に通う問い話になったと思ったら再婚していたという事例があります。

離婚手続きの間、早急に態度を決めなければならないことも多く、感情的に態度を決めるのではなく、目標から考えるとここはこうした方が良いということをかなり細かく打ち合わせしなければならない事案でした。何せ、その時は再婚の保証もないのに、離婚や、子どもたちと別れての生活を選択しなければならなかったのですから、それに至るさまざまな過程で当事者の意図しないことが多く、こうすべきだという私の提案には反発を繰り返したり、自暴自棄になるような発言を繰り返したり、大変疲れました。おそらくその依頼者も同じく疲れたし、理不尽な思いをしたことだと思います。

でも、離婚後にもたびたび連絡をしてくれて、面会交流がきちんと実施されたとか、子どもの体調を理由に面会交流を中止にされ、かなり疑わしい事情があったけれど、私から言われた通り、「それは仕方がない。一人で看病させて申し訳ありません。この次を楽しみにしています。」と言ったら、とても感謝されて、今度はホテルを取って子どもたちと宿泊することになった。もちろん、相手に感謝をがっちり伝えました。その後も、今度は私の家に子どもたちが止まることになったとか、いつもいつも嬉しくなるような報告をいただいています。私の弁護士として生きる支えになってくれている人の一人です。

理屈はわかっているのですが、このように絵に描いたように成功した事例でも、そこに至る道筋は簡単ではありませんでした。とにかく、ひたすら相手を安心させるということに徹したことができたという素晴らしい精神力の賜物だと素直に感じました。よりを戻した奥さんも尊敬できますが、この人も心の底から尊敬していますし、弁護士としても感謝しています。

やることは明確だ。しかしそれをやりきることはとても難しいことだ。しかし、それをやりきることができれば、必ず然るべき場所まで到達できる。そう確信できる事例が少しずつ増えています。

お金と時間を使った挙句に逆効果になることだけは無くなってほしいと思います。

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