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依頼者とコミュニケーションが取れない理由 カウンセリングの人間観と弁護士業務 [事務所生活]

私は、いつもは、
他の弁護士と共同しないで
一人で事件を担当します。

しかし、まれに
一人の被疑者と時間差で面会したり、
事務的な作業で同じ依頼者と
複数の弁護士で打ち合わせをすることがあります。

自分以外の弁護士が、
依頼者とどのように接しているかを知る貴重な機会です。

中には、被告人を軽蔑するような態度をとったり、
相談に来た人を説教したりして、
上から目線の弁護士がいることに
驚いたりします。

依頼者とコミュニケーションが取れないとか
依頼者が理解できないと
悩みを持つ人は大変良心的だということになります。
もしかすると
多くの弁護士は、そもそも
コミュニケーションを取ろうとか
理解しようとか
そんなことが必要だとも考えていないかもしれないからです。

人間ですから、
もちろん、理解しずらい相性の悪い人
という人がいてもおかしくありません。

また、弁護士のスタイルというのは
千差万別であるところが力でもあると思うので、
一概に良い悪いという二者択一的判断にはなじまないとも思います。

ただ、悩む弁護士の方に、
一つの解決方法のヒントをお話ししたいと思います。

私が何か特別なヒューマニズムの持ち主とか
人一倍謙虚な性格だ
というわけではありません。

いくつか理由のあるうちの一つは、
知識です。
人間とは何かという人間観についての「知識」なのです。

私がこれを学んだのは
平木典子先生の朝日選書「カウンセリングの話 増補」です。

司法試験に合格して、
法律以外の勉強に飢えていた時、
真っ先に購入して読んだ本です。

現在、3回目の読み直しをしているところです。

その都度ほとんど覚えておらず、新鮮な気持ちで読めるのですが、
ぼんやり覚えていたのが、
カウンセリングの前提としての人間観の記述でした。

P19 マクレーガーのXY理論
マクレーガーは人間信頼論にたちます。

人間信頼論とは
人間は本性的に働くことが好きであり、
遊びや休息と労働は同じものである。
人間はそもそも、成長したり創造したり働いたりする意欲が備わっている存在で、
その意欲が自然に発揮できるような状況に人間を置くことが大切だと考える。
という風に考えるそうです。

マクレガーの師匠がマズローという人で、

P21 マズローの人間観
人間は生まれながらにして
より成長しよう
自分の持てるものを最高に発揮しようと
動機付けを持つ存在である
という人間観を持ち、

欲求の五段階説というものを唱えています。

⑤ 自己実現の要求 可能性の実現、使命の達成
④ 承認の要求   人から尊敬されたい、自尊心を持ちたい。   
③ 所属と愛の欲求 集団に所属したい。友情を分かち合いたい。
② 安全の欲求   保護されたい。雨風をしのぎたい
① 生理的欲求   性欲。飢え、渇きを満たしたい。


①が満たされて②の要求が出てきて、
①と②が満たされて③の要求が出てくる
というのです。

但し、対人関係学では、この関係は
そのような段階を踏むものではなく、
また、大きく、身体生命の要求と対人関係的要求は
次元を異にするもので併存するものだと考えるので、

身体生命の安全とは        
動物としての欲求        
生理的な欲求、食欲、
性欲、睡眠欲、その他、     
身体生命の危険を回避する欲求  

対人関係的な安全                
人間としての要求                
集団に尊重されて帰属したい
尊敬される、自己実現などは手段的な要求
自尊心、友情は結果的な要求

ということになり、
自分の身体の安全を顧みずに
対人関係的要求に基づく行為に出ることがある
と説明するのです。

違いはあるのですが、
マズローの五段階欲求の
概念がある意味前提となったり論だということに
気が付きました。

それはさておき、
弁護士業務にとっての一番大事な人間観は
ロジャースのものです。

P36
ロジャーズ 来談者中心療法
従来行われてきたカウンセリングは、
指示的なカウンセリングではないか。
つまり、カウンセラーが中心で、
「ああせよ」「こうせよ」と指示する傾向の強いカウンセリングではないかと批判し、
自分のカウンセリングは非指示的―後に来談者中心に改められる━で、
クライエントの成長の力を信じ、
その力と決断力を中心に進めるカウンセリングであると主張したのである。

クライエントというのは、
実は問題の所在を知っているものだということに気づいた。
あれこれアドバイスはしていたが、
カウンセラーが考えているよりもはるかに深い問題を、
クライエントは知っていたのだ。

クライエントは本来問題を知っているのだ。
しかも問題をどう解決し、
どのように生きていこうかということを真剣に考え、
自分の中ではぐくんでいるのは、実はクライエント本人何度だ。

P40
カウンセラーは、
クライエントが本来持っている力を発揮できない障害や負担を
取り除く援助をする。

カウンセラーとクライエントは人間として同等のところにいる。

カウンセリングの援助は、
どちらかというとともに歩むという考え方が基本になる。
知識や技術を一方的に押し付けるのではなく、
むしろ相手の力の方を頼りにしながら、
一緒に歩んでいく存在なのである。

1年くらい前に、
人を支援する方法ということをこのブログに書いて、
さも自分が発見したように述べていましたが、
ロジャースの編み出した療法として
確立していた物でありました。

但し、私は、この論述を忘れていたのであり、
オープンダイアローグの手法の根幹がここにあると
そういう分析から考えついたと思っていたのですが、
やはり、記憶の基本的なとこに
覚えていたからこそ分析できたのでしょう。

少し結論めいたことを言って終わりましょう。

①これらの人間の根底にあることは、
人間はよりよく生きられればよりよくいきたいと
そういう方向性を持った動物であるということ。

②犯罪や破産や離婚等の社会的病理は、
よりよく生きられない何らかの障壁があったということであること。
即ち必ず理由があるということ。

③弁護士や、その他の支援をする人たちの任務は
その障壁を取り除く手伝いをすること
そのための専門的な知識と技術を用いるのだということ

④その障壁は、通常語られない
弁護士の予備知識には入っていない
従って、クライアント本人が
それに気が付いて、克服する方法を見出し、
克服する作業を行わなければならないこと、

⑤つまり弁護士は、
クライアントにあれこれ指図をして
あるいはクライアントから離れて仕事をするのではなく、
クライアントと
人間的な意味である生きる意欲を回復するために
共同作業をする仲間のプロなのだ
ということです。

間違っても、
「犯罪をするような人」の属性があるわけではなく、
犯罪に至る本人以外の環境などの理由がある
ということだと思います。

属性で犯罪するのであれば
有効な弁護はできないと確信しています。

弁護士は偉そうにしていたので、
仲間になることはできません。
それでは、クライアントの潜在能力が発揮できません。

例えばその人を弁護するという仕事であれば、
その人から学ばなければ、
出発点に立つこともできないわけです。

さて、
そもそも根幹である
「人間は生まれながらにして
 より成長しよう
 自分の持てるものを最高に発揮しようと
 動機付けを持つ存在である」
ということが正しいのかどうか
きれいごとではないか
という疑問が残っている方もいらっしゃるでしょう。

これは、対人関係学的に言えば
疑いを持つほどの話でもない
ということになります。

つまり、
①動物である以上、個体は「生きようとする」
②人間である以上、個体は、「群れから尊重されながら生きようとする」
つまり、「群れから排除されないように生きようとする」
ということですね。
そして、
③群れにとどまるためには、
群れに必要とされるために
自分がより成長して群れからより尊重されなければならない
より自分の持てる力を発揮しようとする。
これは当たり前だということになります。

即ち、人間が成長や高度の能力を身につけようとする存在だということは
きれい事というよりは
どちらかという強迫観念に近いもの
であるとする方が近いと思います。

これがゆきすぎて無理をする環境となると
過労死が起こるわけです。

カウンセリングの人間観から
対人関係学の人間観を説明しました。




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