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加害者プログラムという時点で終わっている。楽しい家庭の再生プログラムこそ主流にしよう!一例として産後クライシスの本質は出産後の夫婦の変化に対応しきれないための不具合という考え方。 [家事]

夫婦の問題なのですが、
DVをした主として夫の更生プログラムとして、
加害者プログラムというセミナーや勉強会が開催されます。

かなり高額な受講料をとるみたいです。
加害者プログラムの受講証明を持ってきてから
子どもに会わせるかどうか決める
なんていうやり取りもあるのでしょう。

私としては、夫婦問題で
一方を加害者と否定評価を込めた言葉で表すこと自体
本当に役に立つプログラムなのか、懐疑的になります。

例えば、夫が妻に暴力をふるったら
暴行罪の加害者でしょうけれど、
夫婦問題について一方を加害者
他方を被害者と決めつけることはデメリットも多いと思います。

このセミナーの当然の帰結は
夫婦の一方に対してだけ
考えを改めさせて
それで夫婦の状態を良くしようとするネーミングでしょう。

もしそうなら、一方だけが
自己否定を叩きこまれて、
今後は相手に服従していく
と極端に言えば、そういうことに
なりかねないわけです。
ひどい場合は、洗脳のセミナーになってしまいます。

夫婦の状態がうまくいかない、
一方が他方を怖がり、不快に思い、憎み
一緒にいたくないという意思と行動が起これば
それを是正することが求められます。

特に子どものためには
例え親同士が離婚を選択しても、
子どもは一生自分の母と父の子として生きていきます。
離婚してまでも、子どもの前でも
相手を怖がり、不快に思い、憎んでいたのでは
子どもの健全な成長を阻害する危険があるからです。

夫婦の状態が健全ではない理由は、
一方だけの問題ではなく、
相互の関係性の中にこそ見出さなければならないと思います。
なぜならば、
夫が妻を拉致してきて結婚に至ったという事例でもない限り、
元々は望んで夫婦になったはずだからです。

行政や児童相談所等から精神的虐待だ
と認定される夫の多くに、
あれこれと妻の弱点を指摘して
ああしろ、こうしろと命令する夫がいます。

これを支配を目的とした行動だと評価すると
精神的虐待になるわけです。
この点難しいことを考えないで
妻側が不快に思っていたら
即、精神的虐待だと
認定する機関が多すぎることは
加害者プログラムと共通の要素があります。

このように世話焼き夫につきものなのは
依存志向の妻です。
結婚前は母親に依存し、反発し、
結婚後は夫に依存していたケースが少なくありません。

幸せな結婚生活も、夫が作るべきで、
自分はそれを享受するだけ。
夫が幸せを作れなければ
性格の不一致を理由に離婚という筋書きが多すぎるように思えます。

自分は主体的に人生を切り開いているのではなく、
夫が何とかしてくれるのを待つという
人生をギャラリーから鑑賞する人のようです。
そうして、夫依存をやめると
一度は反発した母親に
依存する相手を変えるだけの人生ということになります。

夫婦状態の改善のためには
共同作業ということを始めることが
必須条件だと思います。

加害者セミナーというのは
名前のとおりが良く、宣伝がしやすく、
利益が上がりやすいということがあるのでしょう。
それはなんとなくわかります。
でも、本気で楽しい家庭を作りたいなら
加害者セミナーと同時に
被害者セミナーも開催するべきだと思います。

家庭のことは、加害、被害ではなく、
これからどう作り上げるかという視点こそが
大切ですし、
自分を殺して我慢するのではなく、
もともと持っていた愛情や善意の
発言の仕方を工夫するということ、
相互に相手が安心して共同生活を送るための
気構えと工夫を考えていく
ということこそが本筋だと思います。

例えば、一つの例として、
夫婦二人ならば、子どもが生まれる前ならば
世話焼き夫に依存妻でも逆でも全く問題がありません。
本人たちがそれを望んでやっているのですから、
「その生き方は間違っている」と
第三者が目くじら立てる必要性について
私は理解できません。

問題が起きるのは子どもが生まれるからです。

子どもが生まれると、
母親はホルモンバランスの変化などがあって
女性から母親へと変貌します。

もっとまじめに考えなければならない産後クライシス 産後に見られる逆上、人格の変貌について http://doihouritu.blog.so-net.ne.jp/2015-10-12 

「人格」なんていう細かいことにこだわっている場合ではないのです。
それほど、妊娠出産は一大事業です。

先ず、一つ一つ、自分で子どもに接しなければならないのですから、
依存的な行動傾向はできなくなります。
自分が最終責任者になります。
これはとてつもなく、強烈な変化を求められているわけです。

自分の頭で考えて実行したことを否定されると
たまったもんじゃないということは
創造できると思います。

そこで相も変わらず、世話焼き夫が
実情も知らず、疲労や精神的ストレスも知らず
結論だけを押し付けて来たら、
妻から見れば
精神的虐待だと感じるでしょう。
あるいは他人から精神的虐待だと言われると
ああそうかも知れないなと思う余地がある
ということになります。

夫は出産後の妻に対して
少なくとも子育てに関しては
妻の裁量を広範に認める必要が出てきます。

依存傾向から、自主的行動を持ちつつある妻を
積極的に応援、援助する必要性が出てきます。
本当は共同作業と言いたいのですが、
妻の行動を支援するということがわかりやすいと思います。

妻の裁量を尊重するということがキーワードです。

責めない、笑わない。批判しない。

最近の親御さんは、少子化のため、
一人の子供に手をかける時間が多くなっています。
何とか完璧な子育てをしようという
どだい無理なことを目指してしまいがちです。

それでも、父親があれこれ口を出すよりも
母親の行動を尊重することが
結局子どもにとって一番良いということは
取り返しがつかなくなってからわかる事柄です。

無理やりでも褒めて誘導することくらいしか
できないことでしょう。

本当はDVということではなく、
出産という妻の変化、夫婦の変化に対応できずに
不具合が生じているだけの場合もある。
だから、変化を認識し、理解し、
相手が望むことはなにかということを相互に理解し、
大変だけどやりがいのある人生を送る
そんな幸せを呼び込むことが実行的だと思うのです。

そんな程度なことを目標として、
その実現を阻む認知の歪みを但し、
具体的に修正を行うことを試しながら
検証していく
そんなプログラムこそ主流になってほしいものです。


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