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日本的配偶者加害(DV・モラルハラスメント)の事例研究 なぜ愛する人を圧迫するのか [家事]

日本的配偶者加害(DV・モラルハラスメント)の事例研究 なぜ愛する人を圧迫するのか

<配偶者間トラブルの4類型>

世界的には「配偶者加害」という言い方をする現象を、日本では「DV」や「モラルハラスメント」と呼ぶ。日本においては、あまりにも漠然に言葉が使われている。しかし、一つの言葉で表現される行為ではあるが、その行為及びその程度、行為の効果、原因等において、いくつかの類型があるように思われる。先ずこの整理してみる。

第1類型 世界共通の概念としての「配偶者加害」と言われる類型がある。これは、日本と異なり限定された概念である。継続的な意思を制圧する暴力や言葉等によって、配偶者を支配しようとしている状態。この類型の行為があるというためには、それらの暴力や言葉等が、相手方を支配しようとする意思の元に行われていることが必要だとされる。マリー=フランス・イルゴイエンヌ(モラルハラスメントという言葉を作ったフランスの女性の精神科医)によれば、この類型での行為者は自己愛性パーソナリティ障害の疑いがある場合が多いとのことである。
この類型の行為は、第三者に気づかれることは少ない。なぜならば、行為を受ける側は、自分が支配を受けていることに気が付いていない場合が多いということが一つの理由である。自分が悪いからこのような事態にあっているのだと考えてしまう。支配を目的とした暴力や言葉があることは、援助を求める契機となるのではなく、自分の恥という意識を植え付けられている。このために第三者に対して援助希求を行わない。私が、担当した事案も、全く別の相談から、支配の実情を見つけ出し、女性問題の支援者と私と精神科医によって、ようやく支配から脱出させることができた。被支配者と接していても、「あれ?何かがおかしい。」と思わなければ見過ごすことが多い。深刻な被害、人格荒廃が起きているがゆえに、第三者から気づかれにくいという深刻なジレンマがある。

第2類型 本件で取り上げる日本的配偶者加害。通常は身体に対する直接の暴力はない。これまでの事例を見ると、行為者が、うつ病や不安障害を発症している場合が多い。しかし、その症状が、焦燥型優位のために、うつ病等であると気が付かれない。行為者が相手方に対して、支配しようとする意図はないけれども、行為を受ける側からすれば、結果的に支配されているような不自由で苦しい感覚になる。

第3類型 行為を受ける側の事情と行為者側の事情が加味して、結果として行為を受ける側が支配されているような不自由で苦しい感覚になる。行為者の事情としては、客観的規範、正義を優先して相手方の感情に考慮を払わないということが多い。やや細かすぎる性格、あるいは完璧を要求する性格等の問題がある。受け手側の事情としては、身体的な問題や発達上の問題があり、通常要求される程度の家事が苦手であったり、金銭管理ができなかったりという弱点を有していて、その弱点を指摘されることに恐怖に近い拒否反応を起こす。一般的には、道徳よりも自分の感情を優先する傾向はある。この類型では、支配を目的とする暴力、言動は見られない。この場合、日本以外では行政などの公的な第三者が介入することはない。しかし、日本ではDVとかモラルハラスメントであるとして、男性行為者は、第1の典型的な配偶者加害が起きたときと同じ扱いを受ける。行為を受ける側が被害者、行為者を加害者であると割り切り、被害者を加害者から分離して、加害者に対して一切協力しないという行政対応となる。日本において一番多い類型と思われる。これまでこのブログで多く取り上げてきた類型。

第4類型 虚偽、詐称型。被害救済とは別の意図、例えば不貞の成就、あるいは実母の支配に積極的に入る目的等により、夫からDVやモラルハラスメントがあったと訴えて、配偶者から逃亡する類型。純粋な第4類型ということよりもなんらかの第3類型の要素がある場合が少なくない。

今回は第2類型を扱う。

事案:あるシステムエンジニアの夫の事例である。

<現状>

夫と妻はおおよそ40歳。20代で結婚し、現在中学生と高校生の子どもがいる。家庭内別居の状況だったが、現在は、子どもたちは妻の実家で預かり、妻は一人で別居している。夫と妻の連絡はメールなどで取れる。妻はパート労働者である。
別居の原因は、夫の暴言、きっかけのわからない激昂である。必要以上に金銭的心配をして、子どもや妻に金を稼いで来いという。食事の時だけキッチンに来る。それ以外は自室にこもっている。食事の時は必ず飲酒する。飲んで酔っては、金銭的請求をしたり、自分に価値が無いということ等愚痴を言う。突然激高して、家族をなじりだし、「お前たちが俺を怒らせている」といって、収拾がつかなくなる。妻は、夫の夕食は作るが、夫がキッチンに来ると、子ども部屋に避難して顔をあわせないようにする。何か話すといつ激昂するかわからないので、話をしない。家庭内別居が続いていたが、子どもたちに対しての言動が不穏当になりだしたので、別居をすることにした。いつ切れるかわからない夫の顔色をうかがいながらの生活に疲れ切ったということもある。家族全員に何らかの精神的な問題が生じ、それぞれが精神的に不安定になっている。

<経緯>

結婚して数年で第1子を出産したが、そのころから、妻によれば夫の言動が「おかしくなった」という。些細なことに激昂することが時々みられるようになった。夫はシステムエンジニアで、当時(おかしくなり始めたころ)は始発で出勤し、終電で帰宅する状態。家にいる時間は、午前1時過ぎから午前6時前ということになる。最近さらにおかしくなってきた。数年前から家にお金を入れない。もっとも、家賃と光熱費は夫の給料口座から引き落とされる。子どもの学費や食費は、すべて妻の収入で賄っていた。そのころ、夫はリストラにあい、転職を余儀なくされたという事情もあった。

<分析>

夫は、結婚してすぐに、うつ病や不安障害等の精神疾患を発症している可能性がある。発症の原因は、睡眠障害(睡眠不足)が考えられる。時間外労働時間は月あたり、120時間を超えている可能性があり、1日5時間の睡眠が確保できない状態だったと思われる。また、システムエンジニアの仕事も、細部に神経を使う仕事であり、職場によっては、パワーハラスメント的な言動が盛んに行われている職場もある。この夫の具体的な症状としては、自分が仲間から評価されない、役に立たないと思われている、とるに足らない人間だと存在を否定されているのではないかという危機感が鋭敏になっているということである。これが基本的な症状である。当初、家庭では、まだ家族のことを思う余裕がわずかながら残されており、なんとか自分を保つ努力をしていたと思われる。しかし、その症状に対して医療機関を受診する等の手当てをしないで放置した上にリストラされたこと、リストラに至る過程の中での状況によってうつ病等が悪化したものと思われる。

<疑問>

 問題は、「なぜうつ病や不安障害を発症すると、家族に対して攻撃的になるのか。」ということであろう。うつ病というと、我々のイメージとしては、活動をしないで部屋などに引きこもる状態であると思われる。子の夫のやっていることはうつ病とは正反対の行動ではないかという疑問が生じるだろう。

<不安の中身の対人関係的危機の意識>

病気ということで済ませてしまわずに、夫の心理をもっとのぞいてみよう。簡単に言うと、夫は、特に理由なく、病的に、理由もなく悲観的になり、物事を悪い方に解釈してしまうという心理状態になっていた。もっとも、解釈という意識的な作業をしているのではなく、条件反射のようなものである。むしろ、意識的に努力していたことは、考え過ぎではないかと自問自答し、不安を抑え、怒りを高めないようにしていたということだと思う。
この病的な不安を抱いてしまうと、普通の人がなんとも感じない、聞き流すような他人の言動が、自分を否定していることを意味しているのではないかと受け止めてしまうのである。例えば、妻が、「今日、夕飯いらないんだよね。」と尋ねるとする。実際に夕飯が不要であるのは、職場の会合がある翌日であるとする。通常の人だと、この妻の間違いに気が付いて、「今日じゃないよ。明日だよ。今日は夕飯家で食べるよ。」という会話で話題が終了するはずである。ところが、病的に物事を悪い方に解釈する人は、「妻は、本当は明日が会合だとわかっていながら、今日も俺の夕飯を作らないつもりなのだ。そうして、自分が夕飯前に帰宅したら、こちらをなじるんだ。本当は俺の食事を作ることが面倒くさいのだ。」と瞬時に感じてしまう。第三者が見ると、あえて悪く解釈する努力をしているように感じてしまう。ふざけているのかと思うが、本人は真剣である。こういう考えだから、自分の食事という、生きていくための基本的なことが妻という家族によってないがしろにされたと思い、自分だけ家族の一員として扱われていないと感じていくようになる。これが対人関係的危機意識である。
対人関係的危機意識について、少しだけ説明しよう。これと対になるのが、生物的危機意識である。危険を感じた場合は、素早く逃げたり戦ったりして危険を回避することによって、危険の現実化を阻止する本能的な意識である。これは、街を歩いていても、自動車が近づいてきたら道路を横断することをやめる等、日常的に危機意識のおかげで、我々は生き延びている。人間は、この生物的危機意識の他に、群れを作る動物として、対人関係的危機意識を持つ。人間は、人間の群れの中に所属したいという遺伝子的な要求を持っている。これが満たされないと心身に不具合を生じる。つまり、どこにも所属していない場合や、所属はしているが、その群れから仲間として尊重されないという意識等を持つと、どうしようもない不安感、危機感を抱くのである。究極的には、自分は群れから外されるのではないかと感じさせる事情がある場合ということになる。この不安感を抱いた後の反応は、個性や環境に応じて変化して、一様ではない。いずれにしても、逃げたり戦ったりして危険の現実化を阻止しようとする行動をとることは同じである。

<不安・対人関係的危機意識と怒りの行動の関係>

われわれが想起しやすい、対人関係的危機意識の発現形態は、引きこもりであろう。活動性が低下し、他者と関係することができなくなる。いわゆる回避型、逃避型という類型である。しかし、危機意識への対処については、戦闘型、排除型という類型もある。大体は、危険の対象と対峙して「勝てる」と意識できる環境の場合に出現しやすい。要するに、怒りを持つということである。自分をないがしろにする妻に対して、言葉による攻撃を行うという行動である。この場合の行動は、よく考えて行動を選択するというものではなく、条件反射のように瞬時に行動に出てしまうことが特徴である。図式すると

{危機意識}+{勝てるという瞬間的判断}=怒り

 ここでなぜ、危険排除に怒りの感情が伴うかについて説明する。危険排除のために攻撃的行動に出る場合、攻撃を完遂させて危険の現実化を阻止するためには、相手に対しての容赦ない攻撃を行うことが必要である。例えば、ゴキブリを殺す場合、反撃されるのではないかとか、死なないのではないか、こんなものにも命があるのだから等という邪念が入っていれば、なかなかゴキブリを倒すことはできない。こんなやつ叩きのめせば終わりだという認識の元、怒りに任せて叩き潰せば、案外簡単に殺すことができる。怒りとは、攻撃に集中し、全力で危険が現実化することを阻止するためのシステムなのである。
 怒っている時は、思考が停止したり、思考力が低下したりする。危険の現実化阻止というシステムを合理的に作動させている。思考力が低下するため、特に人間関係に関する怒りの場合は、怒ってはいるが、何を怒っているかよく考えてみれば自分でもよくわからなくなることが多い。例えば、先ほどの会合の日を一日間違えた事例での夫の激昂は、「俺のこと、馬鹿にしやがって、何だっていうんだ。」という発言をすることが一般的であろう。一日間違えていることに気が付けば、「なんて大人げないことをしてしまったのだろう。」ということになる。しかし、自分が慢性的に家族の中でさげすまれている、正当に評価されていないという意識がある場合は、大人げない行動を謝ることはできない。謝罪するということは精神的に余裕がある人ができることであり、謝罪してもそれ以上立場が悪くならないという確信が無ければなかなかできないことである。

<夫の不安感、危機意識が病的になる事情>

 おそらく、第1子が生まれたばかりの、夫が長時間労働をしていたころは、対人関係的危機意識も、病的なほど固定していたわけではないだろう。突発的に、危機意識を感じてそれが抑えられなくなり、条件反射的に怒りのモードになったとしても、自分の考えなしの激昂を恥じるだけの余裕があったと思われる。もっともこの時の怒りの感情というか危機意識は、おそらく職場での自分の立場の不安定さに対するものであった可能性がある。職場の上司や会社に対しては勝てるという意識はないが、危機意識だけは発生している。ある程度過敏になっている状態である。同じような構造での危機意識を家庭の中で感じてしまい、本来会社に向けられるべき怒りが、家庭の中で爆発してしまったということもあるだろう。怒りの大部分は八つ当たりであると感じている。
 しかし、本人でさえそのような構造はわからないから、受け手である妻はそのような事情は全く分からない。時々、わけのわからないタイミングで激昂し、収拾がつかなくなり気まずくなる出来事を発生させる夫だという記憶が定着していった。会社の中では、状態は改善されず、恒常的に危機意識を感じている状態となっていくことはよくあることである。危機感が敏感になっていったものと思われる。生物的にも、例えば、熱いものを食べると食道がただれるなり損傷を受ける。これが継続していけば、食道炎になったり潰瘍ができ、さらには食道がんとなるというようなものである。後ろ向きの悲観的受け止め方が固定化していくということがある。さらには、リストラによって仕事を奪われる。仕事を奪われてしまえば案外、あとは再就職に全力を挙げるものだ。しかし、リストラされるかもしれないという不安と、自分がリストラされることが正当ではないという不公平感が、対人関係的危機意識をいやがおうにも高めてしまう。そうすると、益々危機意識に過敏になっていく。感じ方の歪みは固定化されて、病的状態となった。

<家族から見てみる>

 ところで、怒りを受ける方は、もともと八つ当たりをされているようなものであるから、何を怒っているかわからないことが多い。先ほどの夕飯を作るか作らないかの問題で言えば、言われた方は何が何だかわからない。せめて、「俺の食事を作りたくないとは何事だ」とでも言ってくれれば、「ああ、夕飯作らなくてよいかと聞いたことが気に障ったのか。」と気が付くヒントくらいにはなる。しかし、「何なんだいったい。」と言うことが精いっぱいの状態であるから、よくわからない。さらには、夫が怒るということは、妻側にも対人関係的危機意識を発生させる。攻撃的な妻であれば、口論が成立して、だんだんと誤解が解消したり、一つ飛び越えて、双方が双方を加害する意思のないことを確認できる場合もある。しかし、夫の怒りが強すぎる場合や、攻撃的になれない妻の場合は、自分が何か悪いことをしたのではないかと罪悪感を抱くようになることもある。
 また、この様なことが度々重なると、だんだんと疲れてくる。この人と一緒に時間を共有することは難しいという意識が芽生えてくる。事例の妻も、夫がキッチンに来ると別室に逃げ込むということをするようになった。
 最初は、自分が悪いのではないかと自分の行動を修正しようとするが、どうしても夫が切れるタイミングはわからない。対人関係的危機意識は夫の心の中だけで自動的に生まれることもある。群れを壊さないようにしようという本能から妻は何とか我慢しようとしてしまう。夫の顔色をうかがいながらの生活を我慢することになる。しかし、これが5年も10年も続くと限界になることは簡単に想像できると思う。

<再び夫、思春期の脳とアルコール依存と貧困妄想>

 妻側の行動によって、夫からすると、危険の現実化が始まったと益々感じるだろう。妻は自分と顔をあわせることすら嫌がるようになったと感じるのである。最初は、「こんなことはすぐに終わるだろう。機嫌が悪い時期なのだろう。」等と考えて、また料理を作ってくれているというギリギリの納得があるので、積極的に自分の行動を修正しようということができない。妻が相手をしてくれないのならば子どもたちに対して話をしようとするが、子どもたちも既にわけのわからないことで怒りだす父親に辟易するし、父親は酒に酔って自分たちを攻撃するという意識が強く、逃げるか攻撃するか、無防備に攻撃にさらされるという深刻な事態となることがある。
この時の夫の脳状態は、思春期の子どもの脳のようなものである。思春期の子どもは、親のわずかな表情の変化から、自分が否定されているのではないかと思い、怒りをぶつける。これと同じである。被害感覚が鋭敏になりすぎている。
それがさらに家族を自分から遠ざけている。それがさらに夫を自滅へと向かわせる。
食事の時以外は部屋に引きこもり、食事の時は飲酒をするということは、アルコール依存症が疑われる。素面では怖くて家族と会うことができない。だからアルコールの力を借りるのだ。但し、こういう人は対面でなければ、例えばメールなどでは、怖さを感じないので好き勝手辛辣なことを書く。これがまた、家族を怖がらせる。
 さて、夫が家にお金を入れなくなったり、子どもたちに金を稼いで来いというようになるのもうつ病などの影響もあるのではないかと考える。これは貧困妄想と呼ばれるうつ病の症状が影響している可能性がある。元々、うつ病には、自分はこのままではお金を使い果たしてしまうのではないかという妄想を抱く場合が少なくない。実際にお金は使えばなくなっていくのだが、収入が途切れるのではないかとか、実際には預貯金があっても、それを忘れている場合もある。本気でこのままでは我が家は財政破たんとなると考えている節がある。その不安を言葉に出して表現すると、学費などでお金を使う子どもたち自身に対して自分で働いて収入を得てこいと言う気持ちになっていると解釈する余地がある。しかし、これが子どもや妻からすれば、夫こそが自分たちを攻撃していると、無理難題を言うと受け止める。当然のことである。ますます夫は孤立する。
夫は、必ずしも妻や子どもたちを支配しようとしているわけではない。自分がないがしろにされていると感じることで、対人関係的危機意識をもち、怒りに転嫁しているだけである。だから、妻子に直接暴力をふるって、言うことを聞かせようとすることはしない。自分を分かってほしい、自分が辛い気持ちに共感を示してほしいという結論を求めるが、それが伝わらないので、イライラして物に当たるという行動が起こる。妻子は、これは、次は自分たちに向けられるという予告のような感覚を持つ。音や振動、壊れたものの形状から生物的危機意識を強く抱くことは当然である。
 夫は、本当は、家族から見捨てられたくないという無意識、無自覚の感情から出発している。人間的な感情からすればそういうことになる。しかし、逆に、自分の行動で家族から遠ざかっていくことになる。
 きちんと自分の置かれた環境と、それが感情や行動にどのように結びついているかについて、きちんと認識をすることが出発である。そして、家族が大切であることを自覚させ、そのための行動を確立する必要があったのだ。こういうと、専門のカウンセラーが必要だと聞こえるかもしれない。しかし、これは人間の精神的営みとして、古今東西あまり変わらない。日本においても、親や親方ご隠居や大叔父さんが説教していたことである。そのような人物や人間関係自体が破壊されたとすれば、やはり何らかの専門家の介入が必要となるかもしれない。しかし、夫を加害者として把握して、悔悟を促していく手法で解決しようとすることは、高価が上がらないどころかデメリットも出てくるだろうと思う。

<妻子の夫に対する感情まとめ>

 妻子は、最終的には恐怖感情が支配的になる。いつ切れるかわからない。常に顔色をうかがいながら生活する。自分の行動が、全て夫によって否定される。そのような不自由感、被支配感が蔓延する。さらには夫の後ろ向きの発言、自虐的な発言のオンパレードであるから、苦しさは倍増していく。夫に支配の意図が無くても、妻子は、支配されていると同じような拘束感を抱いている。そうして、妻や子どもたちが、夫を理解できないまま行政などの第三者機関に相談をして、判で押したような「精神的虐待が行われているから逃げなければならない。DVは治らない。」ということを言われて、逃げていくことになる。ひとたび逃げると、夫から見つかることを恐れ続けていくことになる。

<最後に>

冒頭、DV、モラルハラスメントを類型的に分けてみた。しかし、特に支援者を志向する方に留意していただきたいのは、どの類型も紛争の始まりについての考え方は一緒だということである。基本的に、夫は、自己愛性パーソナリティ障害かうつ病か等の原因はともかくとして、事情があって対人関係的危機意識を抱きやすくなっており、敏感になりすぎている。この危機意識が条件反射的に怒りに転嫁する。妻側は、その事情が分からず、当初は全てを真に受けて、あるいは受け流すことができず、次第に不自由感を感じていく。相乗効果で夫の危機意識が昂じていく。
今必要なことは、双方に事態を理解させることであろう。仮に離婚等の別離が不可避だとしても、きちんと理解して別れることによって、逃げることによる恐怖や、独りぼっちになった孤立感、絶望感から解放されることになる可能性が出てくる。
加害者、被害者という二者択一的な対立関係でものを把握しようとすることは、このような合理的解決を阻害することになる危険性が伴うものであることを肝に銘じるべきである。当事者は支援者から離れても人生は続くということをきちんと想定しなければならないと考える。

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